がんに負けなかったケーシー・ランキンさんのがんとの向き合い方
2人のドクターを「応援団長」にし、末期の食道がんで3年生存

取材・文:吉田健城
発行:2007年6月
更新:2013年8月

  

ケーシー・ランキンさん

ケーシー・ランキン けーしー・らんきん
1946年、米国カンザス州生まれ。
トランペット奏者の父とピアニストの母のもとで7歳からピアノを習う。
10代で日本人の妻・ヒロコさんと結婚し、71年から日本に永住。以来、さまざまな音楽活動をし話題を呼ぶ。
79年、吉野藤丸さんとともに「SHOGUN」を結成。デビュー曲『男たちのメロディー』は50万枚を売る大ヒットを記録し、ゴールデンシングル大賞、ゴールデン作曲大賞、最優秀賞を受賞。
2002年にはNHKの『みんなのうた』で「ぱっぱらパパ」が大ヒット。


日本全国を股にかけたライブ活動のさなか

写真:演奏中のケーシーさん
写真:ステージ

「今年の1月にがんが再発するまでは、こんなにふさふさした髪で演奏活動をしていたんだ」とケーシーさん

ケーシー・ランキンさんは生まれも育ちもアメリカだが、1971年に日本に定住して以来、ミュージシャンとして東京を拠点に息の長い音楽活動を続けてきた。とくにわれわれの記憶に焼きついているのは、1979年に結成されたロックバンド「SHOGUN」での活躍である。ボーカル&ギターとしてロックファンを魅了する一方で、作詞作曲も手がけた。当時の人気番組『俺たちは天使だ!』の主題歌になった「男たちのメロディ」はシングルの売り上げ50万枚を超すヒットとなった。

SHOGUNは結成から2年足らずの1981年に解散したが、すでに実力を広く認められていたケーシーさんは、その後も日本全国を股にかけてライブ活動やオリジナルアルバムの制作に精力的に取り組む一方で、CMソングやテレビ番組のテーマ曲を数多く手がけ好評を博してきた。

若いころから人一倍体力には自信があり、盲腸と椎間板ヘルニアの手術で入院した以外、これといった病気をしたことがなかったケーシーさんが、食道がんと診断されたのは2004年6月のことだった。

食道がんの場合、大きくなったがんが食道を塞いで食べ物を飲み込めなくなり、それがきっかけでがんが見つかることが多い。ケーシーさんの場合もそうだった。正月に家族で初詣に行ったとき、立ち寄った馴染みのそば屋でそばを飲み込めなくなりトイレに駆け込んで吐いている。

しかし、それががんの発見につながったわけではなかった。

末期の食道がんでリンパ節や胃にも転移

「そばを飲み込めなくてトイレで吐いたんですが、家族に心配かけたくなかったから黙っていた。それに、体を少し傾けるようにして食べると飲み込むことができたから、忙しさにかまけてそのうちあまり気にならなくなった。ミュージシャンをやっていれば、年がら年中、調子が悪いところがあり、我慢することには慣れているんです」

食道がんだとわかったきっかけは、その年の6月、食道がんで入院している友人を見舞った際に、具体的にどのような症状が出るか聞く機会があったからだ。それを聞いたケーシーさんは自分が食道がんに冒されていると直感した。すぐにホームドクターの診療所に行って「食道がんではないかと思うので、調べる一番いい方法は何か?」と尋ねている。

「胃カメラです」という答えが返ってきたのでケーシーさんは、ホームドクターにすぐやってくれるように頼み、ほどなくして食道に大きな腫瘍が見つかった。

そのドクターから、都心にある大学病院を紹介されたケーシーさんは、詳しい検査を受けた結果、食道に15センチの病巣があるだけでなく、周辺のリンパ節や胃にもがんが転移していることが判明した。

「もうこれは末期の食道がんです」

医師は険しい顔で、がんがどこまで進んでいるか説明し、なるべく早く治療を行う必要があるので、すぐに入院の手配をするよう勧めた。

それに対し、まだ事態の深刻さを飲み込めていなかったケーシーさんは、

「9月までライブがいくつか入っているので、入院を10月に伸ばすことはできますか?」

と問い返した。

このとき、そのドクターから返ってきた答えでケーシーさんは、自分が生きるか死ぬかの岐路に立たされていることを知った。

化学放射線治療と血管内治療の併用

写真:ケーシーさん

帽子をかぶっているのは、「抗がん剤治療で抜けた髪を隠したいから」だと笑う

「その先生が泣きそうな顔で『10月? あなたのがんでは、それまで持たないかもしれないんですよ』と言うので、これにはしょぼんとなっちゃった(笑)。それに僕は、泣きそうな顔で話すような人といるとストレスが溜まっちゃうので、その先生は僕の主治医には相応しくないと思った。ストレスが溜まれば、がんはどんどん悪いほうに行っちゃうから」

がんと闘ううえで、精神的なエネルギーを医者からもらえるか、あるいは、逆に、ストレスばかりが溜まって精神的なエネルギーが奪われるか、という点は大変重要な意味を持つ。

ケーシーさんが、この時点でこの医者は自分の主治医にしたくないと直感的に決めたことは、がんとの闘いにおいて結果的に大きなプラスになったといっていい。

ケーシーさんは、それからしばらくどうやってがんと立ち向かうか、さまざまな可能性を検討したようだが、最終的に血管内治療と化学放射線治療(抗がん剤と放射線の同時併用)の併用で治療することを選択している。

末期の食道がんは、2年後の生存率が30パーセントという数字が示すように、生き長らえること自体が難しいうえ、治療が抗がん剤(標準治療は5-FU+シスプラチン)で行うことが多いため、患者は副作用対策が十分行われずQOL(生活の質)が維持できなくなる場合もある。そのため、ケーシーさんのような体力を必要とする職業の人は、命を長らえたとしても、仕事を続けられなくなることもある。

そんななかでケーシーさんは、命を長らえただけでなく、ブランクわずか3カ月程度でライブのステージに復帰。今日に至るまで元気に音楽活動を続けていることは、幸運といっていい。それを可能にしたのは、血管内治療と化学放射線治療の選択がたまたまよかったこと、その治療を施してくれる2人の医師を自分の応援団にしてしまったことだ。

この2人というのは、主治医である都内の大手病院の医師と、血管内治療を専門にしている医師のことだ。


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