上手につきあうための悪心・嘔吐の管理術講座
悪心・嘔吐対策の実際~乳がん治療の場合~
たぐち てつや 現在、大阪大学大学院医学系研究科機能制御外科学にて講師を勤めるほか、大阪大学医学部付属病院乳腺・内分泌外科の診療局長として診療に従事している。 専門は乳腺・内分泌外科、腫瘍学、病理学。 |
機能制御外科学講師の
田口哲也さん
乳がん化学療法は完遂することに意義がある
がん化学療法(抗がん剤治療)の副作用である悪心・嘔吐が、患者さんにとって非常につらい症状であることは、昔も今も変わりません。しかし現在のがん化学療法は、科学的・統計学的に裏付けのあるデータをもとに作られた抗がん剤の組み合わせ(特定の薬剤の組み合わせとその用量、投与期間などが定められたもの)による治療であり、それを完遂することで最も効果があがることが長年の研究からわかっています。
「だからこそ、がん化学療法はその副作用を克服し“完遂すること”が重要になってくるのです」と田口哲也さんは説明します。
「特に乳がんの場合、術後の補助化学療法は再発の予防がその目的であるといえます。というのも乳がんの場合、この補助化学療法をすることで再発をかなり抑えられる、ということがわかっています。また、進行再発乳がんで手術ができなくなった患者さんの場合でも、確実に化学療法有効例が増加していることもあり、十分な投与が行われなくては、効果の判断もできません。ですからいずれにしても、化学療法の完遂が重要になってきます。この認識を患者さんにまず持っていただきたいですね」(田口さん、以下同)
悪心・嘔吐を引き起こしやすいタイプ
リスクファクター | |
---|---|
危険因子 | ●若年 ●女性 ●飲酒歴 ●嘔吐の経験 (化学療法・妊娠・乗り物酔いによる) |
治療関連の 危険因子 | ●催吐作用のある薬剤の使用 ●適用したレジメン ●制吐剤使用状況 ●治療環境 |
以上のように、がん化学療法、特に乳がんの化学療法においては、化学療法の完遂が何よりも大切であるというわけです。しかし、がん化学療法の代表的な副作用である悪心・嘔吐により、患者さんが化学療法の完遂を妨げられたり、また治療継続への意欲を失ってしまう可能性があります。化学療法完遂のためにも悪心・嘔吐のケアは確実に行う必要があるのです。
「悪心・嘔吐は、副作用の中でも患者さんに自覚症状となってあらわれ、つらいものです。この悪心・嘔吐の出方も患者さんにより異なります。実は悪心・嘔吐にもリスクファクターがあるのです。
まず性別では、女性のほうがリスクが高い、という結果が出ています。
その理由はいろいろ言われていますが、科学的に明らかになっているわけではありません。“精神的な働きが男性と異なるため”“抗がん剤の体内での働き方が異なるから”などの理由が挙げられていますが、事実は定かではありません。
もうひとつの大きなリスクファクターが年齢です。若い人ほど強く症状が現れます。“若い”という年齢の線引きについてですが、欧米では50歳ぐらいのようです。我々が乳がん女性を対象に研究したところによると、55歳というデータも出てきました。これは、使用した抗がん剤や治療法の種類などで異なるものですので、一概に『何歳まで』ということはできません。ただ明らかなのは、若年者のほうが高齢者に比べて悪心・嘔吐を引き起こしやすい、ということです」
乳がんの治療においては、ほとんどの患者さんが女性ですから、性別よりも年齢のほうが注目すべきリスクファクターといえるでしょう。
また、専門的にいうと妊娠悪阻、いわゆる“つわり”、しかも強いつわりを経験した方は悪心・嘔吐が出やすいといわれています。悪心・嘔吐は、そのきっかけが化学療法でも船酔いでも、体内の神経を伝わって最終的に嘔吐中枢を刺激して引き起こされます。このことを考えると、普段から吐き気を起こしやすいことが、そのままリスクファクターになると考えられます。ほかに飲酒量の少ない人も悪心・嘔吐を起こしやすいといわれています。
さらに、化学療法経験者では、以前に悪心・嘔吐が出現した患者さんのほうがリスクが高いこともわかっています。
抗がん剤による悪心・嘔吐の発現頻度の違い
「さまざまなリスクファクターをご紹介しましたが、乳がん患者さんのほとんどが女性で、化学療法が高齢者よりも若年者でよく使用されることを考えると、乳がんの化学療法ではすべての患者さんが悪心・嘔吐のリスクファクターを持っていると言っても過言ではありません。乳がん化学療法において、制吐剤をきちんと服用して悪心・嘔吐を予防することが、化学療法完遂への第一歩として欠かせません」
では現在、悪心・嘔吐に対する標準的治療として世界的に認められているガイドラインの内容をご紹介しましょう。
がん化学療法では年を追うごとに抗がん剤の投与量が増えてきています。これを可能にした要因のひとつに1980~90年代に開発された制吐剤、5-HT3受容体拮抗薬の発売があります。それまでの制吐剤は悪心・嘔吐を抑える力は弱く、投与量を増やすと別の副作用を引き起こすことがありました。
しかし5-HT3受容体拮抗薬はきちんと悪心・嘔吐を抑え、かつ副作用も少なく、効果と安全性のバランスがいい薬剤として、90年代以降は抗がん剤とセットで必ず投与されています。5-HT3受容体拮抗薬の登場こそ、抗がん剤の十分な投与を実現したのです。その5-HT3受容体拮抗薬は制吐療法のガイドラインでも標準的治療として使用が推奨されています。
また抗がん剤も悪心・嘔吐の発現頻度により大きく三つに分類されています。
「このデータはエビデンスに基づいたものですから、国内でもがん化学療法に携わる医師が標準治療として認めているものです。実際には化学療法は単剤ではなく複数の抗がん剤が組み合わさったものがほとんどですが、この発現頻度分類は十分参考にすることができます」
悪心・嘔吐の 発現頻度 | 化学療法剤 | 急性期嘔吐 への対処 | 遅延性嘔吐 への対処 | エビデンスレベル(*1) (急性/遅延性) |
---|---|---|---|---|
高 | シスプラチン | 5-HT3受容体拮抗薬とステロイドの予防的投与 | 経口ステロイドとメトクロプラミド(もしくは5-HT3受容体拮抗薬の投与) | I,A/I,A |
高 (シスプラチン以外) | ダカルバジン アクチノマイシンD ※Mechlorethamine ※Streptozotocin ※Hexamethylmelamine カルボプラチン シクロホスファミド ※Lomustine ※Carmustine ダウノルビシン ドキソルビシン エピルビシン イダルビシン シタラビン イホスファミド | |||
中 | イリノテカン ミトキサントロン パクリタキセル ドセタキセル マイトマイシンC ※Topotecan ゲムシタビン エトポシド ※Teniposide | ステロイドの予防的投与(たとえばデキサメタゾン4~8mgを化学療法の前に1回経口投与* | 必要なら制吐剤を予防的に投与* | III-IV,B-D/V,D |
低 | ビノレルビン フルオロウラシル メトトレキサート ※Thioguanine メルカプトプリン ブレオマイシン L-アスパラギナーゼ ビンデシン ビンブラスチン ブスルファン ※Chlorambucil メルファラン ハイドロキシウレア フルダラビン ※2-chlorodeoxyadenosine タモキシフェン | 状態をみながら制吐剤を予防的に投与 | 必要なら制吐剤を予防的に投与 | V,D/V,D |
Gralla RJ, et al.;J Clin Oncol 17:2971-2994, 1999
エビデンスの種類としてI~V、エビデンスのグレードとしてA~Dの評価がありI,Aに近づくほど統計学的に精度の高いエビデンスであるといえます。
*5-HT3受容体拮抗薬+ステロイドの投与
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