がんになったことで、下巻の人生が始まりました 子宮頸がんを経験し、現在は薬物依存者の社会復帰に取り組む歌手・千葉マリアさん
1949年、千葉県出身。1971年「薔薇の涙」で歌手デビュー。歌唱力には定評があり「恋は波まかせ」ではバリ島キャンペーンを大々的に行い、大いに注目を集める。その後、数々のTV番組に出演、TBSドラマ渥美清氏主演の「ヨイショ」ではレギュラー出演し、そのユニークな役どころでファン層も広がった。1995年、子宮頸がんを経験。現在は、薬物依存症で悩める人へ、チャリティー、ボランティア、家族会など行っている。
壮年期にがんになった人のなかには、それを機に生まれ変わった気持ちになり、それまでとは違う人生を歩み始める人がいる。千葉マリアさんはその典型的なケースだ。彼女は、46歳の若さで子宮頸がんの広汎子宮全摘術を受けたが、上巻の人生はそこで終わり、新たに下巻の人生が始まったと語っている。
子供を育てながらのアイドル
芸能界には波乱万丈な人生を送っている人が多いが、千葉マリアさんほど紆余曲折の多い人生を歩んできた人は、そう多くはないだろう。
生後4カ月で父親と死別。子供時代は、親からの愛情というものを知らずに育ち、20歳の若さで結婚。21歳で長男を出産し、22歳で歌手デビュー。子供を預けての歌手活動が始まった。
デビュー当初は売れなかったものの、23歳のとき「恋は波まかせ」が大ヒットし、超多忙な身となった。しかし夫はそのことを快く思わず、間もなく離婚することに。
その後36歳のとき、仕事で知り合った俳優・松方弘樹さんと親密な仲になり次男を出産。それを知った当時14歳の長男はショックを受け、家に帰っても自分の部屋に閉じこもり、心を閉ざしてしまうようになる。さらに3年後には、松方さんの子を出産したことをゴシップ・マスコミに報じられ、彼女自身も大きな痛手を受けた。
それでも歌唱力に定評があったため、仕事が途切れることはなかったが、40代の半ばになると、これまでのパターンでいつまで仕事を続けることができるか不安になってくる。そんなとき、千葉さんの体に異変が起きたのである。1995年秋のことだった。
予感はあった……
子宮頸がんは初期のうち、これといった症状が出ないことが多いが、不正出血、下腹部の痛み、性交時の出血などの症状が現れて見つかるケースもある。彼女の場合は、下腹部に鈍い痛みがあった。
「痛みはそれまでの生理痛とはまったく違うもので、子宮の奥深くが痛い感じで、地下に潜っていくような痛みでした。20年以上歌っているのでステージに立てば歌えるんですが、何か背中に鉛のようなものが覆いかぶさっているような、お腹の深い部分に痛みを感じました」
しかし、それがすぐにがんの発見に結びついたわけではない。仕事の先行きに不安を覚えていたことに加え、その少し前に、長男が大麻の不法所持で逮捕されるというショッキングな事件があったため、それらが影響していると思っていたのだ。
しかし痛みに耐えられなくなった彼女は、当時住んでいた目黒区内の婦人科を訪ねた。
応対した医師は千葉さんを診察した上で、「恐らく、がんではないと思いますよ」と言いつつも、念のため、子宮頸部の細胞を採取し、1週間後に結果を聞きに来るように言った。
5日後、医師から直接電話があった。
「『がんだよ』って言われました。ショック? それはなかったです。自分のなかでは、がんじゃないかという予感がありましたから」
広汎子宮全摘術を受けることに
大きい病院で詳しい検査を受けるように言われた千葉さんは、紹介された世田谷区にある国立病院を訪ねた。
「検査のあとお医者さんから、ステージ1の子宮頸がんであることを言われ、広汎子宮全摘術を受ける必要があると言われました。いろいろ説明があったんですが、がん細胞の悪性度が高いので、早めに手術を受けるように言われ、3カ月後に手術を受けることになったんです」
しかし、彼女はすぐに手術をキャンセルした。
千葉さんいわく「死にそうな予感がした」ので、方位学に詳しい人に相談したところ、「世田谷の病院は悪い方角にあたるので良くない。いいのは東南の方角だ」とアドバイスされたので、彼女はその方角にある病院を探し、千葉の鴨川にある大病院で手術を受けることにした。
「その病院を選んだのは方位の関係のほかに、病室から海が一望できてすごくきれいだったんです。自分自身もう死ぬんだと思っていたので、海が見えるきれいなところで死にたいという気持ちもありました」
手術では、子宮と膣の一部、また片方の卵巣、卵管を含めて、骨盤壁近くから広い範囲で切除。周囲のリンパ節も同時に切除した。がんは他の臓器に浸潤しておらず、千葉さんは術後に放射線治療や抗がん剤治療を行うことはなく、約1カ月の入院で退院の運びとなった。
待っていたつらい後遺症
術後は手術の後遺症とのつらい闘いが待っていた。
最初に直面したのは排尿障害である。
広汎子宮全摘術では、自立神経の一部が傷ついて膀胱や直腸の働きが悪くなり、そのために完全には排尿できなかったり(残尿)、尿意を感じないなどの排尿障害が起こることがある。千葉さんも排尿をコントロールできなくなったため、術後1週間が経過した時点で、排尿訓練を始めた。
「看護師さんに頼るのが嫌だったので、導尿法を教わったあとは、自分でカテーテルを入れてやっていました。最初は大変でしたけど順調に残尿量が減って、1週間くらいで合格になったと記憶しています。今はカテーテルなどせずに完璧に対処できるようになりましたけど、最初のほうは尿意をあまり感じないので、そのままにしていて、いきなり“ばっ”と漏れてしまったこともありました。今まで当たり前にできていたことが急にできなくなって、そのことに傷ついて……、次第に受け入れていく。そんなことの繰り返しでいた」
広汎子宮全摘術では、腸の動きをコントロールする神経に影響が出て、腸の動きが鈍くなってしまうケースも多い。そうなると排便がうまくいかなくなるが、千葉さんはこれにも悩まされた。
「排便のときは、力んで筋力で押し出すしかないんですが、そのたびに手術の傷が痛むので参りました。排尿のときも、自然に出てこないので、力んでするしかない。ただ、力んでいるうちに腸が変なほうに飛び出してしまって、脱腸のような状態になったこともあります」
子宮と卵巣の片方を取ったことで更年期障害のような症状も出るようになり、体温調節もうまくいかなくなった。皮膚感覚も鈍くなり、触れたりつねったりしたときの感覚が、今までと全く違うものになった。
しかし、何よりも困ったのは、声の質が変わったことだった。
「子宮を取ったら声が上がって、ハスキーな声からカワイイ声になってしまったんです。歌手にとっては声が命です。仕事に復帰してステージで歌っていても、深みがないというか、薄っぺらい声しか出てこない。これは、大変なことになったと思いました」
今まで、感性だけで歌っていた千葉さんだが、それからはテクニックなども駆使して歌うようになった。
また、自身の活動自体も、ステージで歌うことだけでなく、人に教えることにも幅を広げていくようになった。
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