「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第1回
「がんばらない」。本当にそんなことができるのでしょうか。
まつむら なおみ
千葉県在住。50歳。1男1女の母。大阪に住んでいた98年、乳がん発見。術前化学療法をした後、乳房温存療法。2000年鎖骨、脇の下リンパ節に再発。現在抗がん剤治療を受けている。
がん患者・松村尚美さんから 医療者・鎌田實さんへの書簡
鎌田實様
初めまして松村と申します。
鎌田様を初めて知ったのはTVのドラマでした。奥様を演じていた女優の方がとても素敵だったこと、温かな、心の豊かな方だと思いました。山小屋風の家と自然に囲まれた病院でした。実際の諏訪中央病院もこんな病院ですか。
私が手術をした病院は大きな病院でした。主治医だった方は、週1回の外科の外来で1日100人の患者を診ていると言っていました。朝、診察が始まってから、いつ昼食をとられるのか診察室から出られるのを見たことがありません。入院して、先生を見かけるときはいつも小走りで駆けていらした。聞きたいことがあっても、手をふって、今は忙しいという合図をして走っていかれるのを、唖然として見送ったのが印象に残っています。
でもなぜこんなに医者という職業は忙しいのですか。人間としての感性を失わずにいられるのが不思議なくらいです。鎌田様もこんな時間を過ごされているのでしょうか。
がん患者となって以来、がんについて書かれた書物はずいぶん読みましたが、医療ものがほとんどです。闘病記もドラマもほとんど見ません。自分ががん人生を生きているのでそれだけで十分だからです。もしあなたが病気になられたら、すいません、どんな患者になられますか。どんな治療を受けることを望みますか。
不安と苦痛の毎日です
この病気になって2年で再発し、3年余りの時間を再発患者として過ごしています。ごく普通の主婦であり、会社員でもあります。
平成10年4月末、脇の下に違和感をおぼえ病院へ行きました。乳がんの3期との診断でした。 不安でした。どこか話を聞いてくれるところはないかと尋ねると、医師は精神科に行けばいいと言いました。検査を受けるたびに結果を待つ辛さ、結果を受け止める辛さ、再発して受ける抗がん剤が、効き続ける不安、効かなくなる不安、この病気に罹った、そのときから始まった不安と苦痛の毎日です。
先日テレビで、ツリーハウスの番組にある女性の顔が画面に映されていました。
その方の顎の線、何かに耐えてきた人の横顔でした。不安な時、がんばる時、歯を食いしばった時現われる顎の線です。私の顔にもおそらく同じ線が現われていることでしょう、こわさと向き合うことで、やっと今をしのいでいます。向き合っているからこそ、まわりの温かさを受け止めることができます。 自分の足で立っていること、両手を開けていること、そうでなければ何も受け止められません。
私たち再発者は、再発後の根治はないと告知を受け、治療法も確定していません。今を精一杯生き、命を永らえるために、それぞれが模索し、治療をしています。
標準治療をベースにして、最新の情報をもち、患者の病状を考慮にいれ、患者と共に考える治療方針、医療を受けたい。しかしながら現実は、理想とは遠く、がんの治療からターミナルケアまで一貫して担当する病院が少ないのが現状です。
症状が進むにつれ、痛みのケアが中心になりますが、要所の治療はしたい。こんな治療を受けることは可能ですか。抗がん剤を受け入れることには理由があるはずですが正しい判断をしているのかと不安になります。こんな再発の治療についてどう思われますか。
一人でこの病気を抱えていく
鎌田様、あなたは「がんばらない」と書かれていました。本当にそんなことができるのでしょうか。
私は副作用の少ない薬を選択してきました。生活を変えたくなかったからです。そんな私でも、やはり心に抱える不安や、悲しみと闘っています。
私の死ののち、悲しむ人のことを思い、守れなくなる人のことを思っています。 もし今不安を、私の大切な人にそのまま伝えたら、がん患者を抱えた彼らの生活はどうなるのでしょう。私が再発したのは子供たちが20歳を過ぎてからでしたが、それを伝えた時の息子の不安な顔を忘れられません。 「私は一人になる」といった娘の言葉は、心が凍るようでした。私は一人でこの病気を抱えていなければなりません。大切な人の今の生活を守るため、そして、私の居なくなった後の、悲しみを軽くするために。
病気と向き合うには、治療の辛さもむろんですが、精神的な辛さもあります。が、心理的なサポートはありません。治療費も重要な問題です。通院のための交通費も負担になっています。 食費や衣類の費用もかかります。 たくさんの問題の中で、がんばらないってどんなことかなと思います。
今は穏やかな毎日を過ごしています。しかし、相変わらず時折、鋭い悲しみを感じています。でもなぜなのでしょう。私は今この透き通った悲しみを豊かだと感じることがあります。信頼し、病気のことについて話し合える主治医、そして悲しさ辛さをそのまま伝えることのできるもう一人の主治医、に恵まれています。だからこそ、がんばっていられるのでしょう。豊かな命の時を過ごしています。病気でなかったらといつも思うのですが、私にはこれ以外の人生を想像することができません。なにを思ってもこれが私の命の在り方だからです。こうしてお手紙を書けることを幸せに思っております。ありがとうございました。
松村尚美
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