「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 鎌田實から松村尚美さんへの最後の書簡
尚美さん さようなら ありがとう
かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に
本当に力足らず、役に立たずごめんなさい。
もっと先があると思っていました。僕は、ここからが勝負と思っていた。乳がんという病気は、大変やっかいな病気です。再発をしたあとも、他のがんとは違ってまだまだそこから5年10年とがんばれることがあるのです。尚美さんにはまだ生きる力が残っていると信じていたのです。爆弾を抱えながらも病気の勢いを止められる。そういうことも十分できると思いこみ、なんとか彼女の病態を逆転できないだろうかと、ずっと思っていました。それが僕の役割だと思っていた。
だから、「がんサポート」の対談で、食べること、食の専門家である群馬大学教授の高橋久仁子先生や、あるいは免疫学者である谷口克先生、安保徹先生、そういう方々のたくさんの知恵を動員して、尚美さんの中にある細胞に働きかけたい、そう思っていました。
パニック障害の様な、不安状態がでてきていたので、心療内科の永田勝太郎先生に生きる力について語ってもらいました。すべては尚美さんの中にある、生きようとする細胞にメッセージを送りたかった。奇蹟をおこしたかったのです。でも、尚美さんには読んでもらうことはできませんでした。力及びませんでした。もう少し早く尚美さんを支える計画をつくりあげるべきだったと、くやまれます。1度もお会いしていませんでした。会って診療させてもらい、パワーをあげたかった。心残りです。心が置いてきぼりにされています。さびしいです。
5月号では、遺伝子学者である筑波大学名誉教授の村上和雄先生と対談をしました。この対談では、例えば、がん遺伝子があってもそのがん遺伝子のスイッチがオンにならなければ、病気の進行をある程度止められる。あるいは、がん抑制遺伝子のスイッチもあって、その遺伝子に働きかけられれば病気の進行を止められるというお話しを聞きました。遺伝子学的にも、まだまだこれから勝負なのだと言いたかったのです。尚美さんの命に間にあいませんでした。悲しいです。
他にも、古本をあたったり外国の文献をあたったりしながら69例の再発がんの自然退縮、つまり治らないはずのがんが治った症例を集めたり、イギリスの学者が研究した治らないはずの再発がんが治ったという症例報告の文献を集めたりしていました。
そういう1つひとつのことで尚美さんに勇気や元気を与えられないだろうかと思っていました。もちろん彼女は勇気を持っていたし、元気も最後まで持ち続けていました。が、彼女の細胞1つひとつに何か僕はモールス信号のようにツー・トントンと刺激を与えられることはないだろうかと考えていたんです。けれど、全部後手に回ってしまいました。
僕は、尚美さんには不思議な力があるような感じがしていました。それで、往復書簡をしながら、なんとか治療のとっかかりがつかめないだろうかと思っていました。元々明るくスポーツウーマンの尚美さんを、さらにもっと明るく、元気にしてあげられないだろうかと、自分なりに仕掛けをしていたんです。
会って尚美さんの細胞にパワーを注ぎたかった
尚美さんは自分というものをしっかりと持った女性で、いつも毅然としていて、凛としていました。文章も美しくて無駄がなくて、力のある文体で僕のほうがタジタジでした。初めのうちはなかなか彼女の心に入れなかった。僕は「彼女の力に十分なりきれてないな」と思っていました。
他者を認めない皮膜や、ガードがあったわけではありませんでした。彼女は自由な空気をもっている女性で、僕を受け入れていったのです。僕のポジションがむずかしかった。アドバイザーになっていたのです。ここが反省です。医師と患者さんの関係にもう一歩踏み込めばよかったのです。治療計画をたて、少し病気がよくなると、患者さんが喜んでくれます。病態が悪化すると、つらさや、不安を患者さんといっしょに背負います。苦しみが半分になるように。この関係性がとれればよかったのにと、反省しています。単なるアドバイザーではなく、エンパワーメントしたかったのです。尚美さんの細胞にパワーを注ぎたかったのに……本当にごめんなさい。
病気が進行し、頻脈の発作が起きて、居ても立ってもいられなくなったとき、尚美さんはそのことを全部、隠すことなく僕の手紙に書いてくれていました。僕は、彼女がなんとか不安なく、心安らかに病気と闘える力になれないだろうかと思って、クリスマスに2冊の絵本を送りました。『だいじょうぶ だいじょうぶ』『100万回生きたねこ』という絵本。
その絵本を送ったときに、とても喜んだお手紙を頂きました。僕はそれを1つの手応えだと思っていました。なんとも軽いジャッジをしてしまいました。ここからが勝負所と思いました。免疫力を高めて、がん細胞といっしょに闘うんだ。がんばろうと思っていたのです。もちろん、僕はがんばらない医者ですから、そんな言葉はつかいませんでしたが。
でも、あなたはこのとき、あるがままでいいんだ、無理しなくてもいいんだ、その人らしく生きればいいんだという僕の言う「がんばらない」という言葉を正確に受けとめてくれていたのではないかと思うのです。
人生のフットワークが実に美しい人だった
4月1日、全日空ホテルで行われた
尚美さんのお別れ会で
お別れの言葉を述べる鎌田さん
往復書簡のはじまりのとき、あなたは、「がんばらない」なんて生き方、本当にできるのかしらと疑問に思われていました。でも、あなたは本当によくがんばりました。病気に負けず自立した女性を見事に貫き通しました。いつも、どんなときも、君は君らしかった。高い医療費のことも、自由に使えない抗がん剤のことも、この国の医療のあり方についても、あなたは、自分の確かな意見をもって、感性の高い、あたりまえの生活者の視点で、問題提起してくれました。いつもかっこよかった。かつてあなたはテニスのフットワークもすごかったようですが、あなたが生きた人生の1つひとつのフットワークが実に美しかったと思います。あきらめず、最期の最期までていねいに生きた。あなたのステップワークは華麗でした。
でも……多分、ここからは想像ですが、クリスマスの頃から……そう100万回生きたネコのように……1回や2回の死を乗り越えて、尚美さんに生きつづけてもらいたいと思っていたのに……。
この頃、尚美さんはすべてのことを受け入れた。「受容」という言葉はとてもうすっぺらで、この場に合わない言葉ですが、それに近いことが、あなたの心の中でおきていた。僕はこのとき、会いに行かなければいけなかった。後悔しています。僕は、これからが正念場と思いがんばろうと思っていました。尚美さんはあるがままでいいと思っていた……きっと。人間の心は不思議です。こうやって、それぞれが、がんばったり、がんばらなかったり、がんばれなかったり、いろいろ揺れながら生きているのですね。あなたから大切なことをたくさん教えてもらいました。感謝しています。ありがとう。
2月13日、彼女が旅立たれた日、僕はイラクの国境沿いの難民キャンプで子供たちの診察をしているときに電話が入りました。
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