がんで死なない
がん死亡率を20パーセント下げるという嘘

文:諏訪邦夫(帝京大学幡ヶ谷キャンパス)
発行:2008年1月
更新:2019年7月

  

すわ くにお
東京大学医学部卒業。マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学などを経て、帝京大学教授。医学博士。専門は麻酔学。著書として、専門書のほか、『パソコンをどう使うか』『ガンで死ぬのも悪くない』など、多数。

2007年5月、厚労省が音頭をとって、予防法や検診を充実させて「がん死亡率を20パーセント下げる」ように努力すると報道されました。これをきいて「ちょっとおかしいぞ」と思いました。人間は必ず死にます。死亡率の総和は100パーセントで、その上位4位はがん・心臓疾患・脳血管障害・肺炎で計70パーセントです。

死亡率の総和を100パーセント未満にできる?

がんと心臓病と脳血管障害と肺炎の4者を「死亡率を各20パーセント下げよう」と努力しても絶対に達成できません。「総和は100パーセント」と固定されていて、主な4つを全部大幅に減らせるはずがありません。まさか、事故死や自殺を増やして合計100パーセントにしようというのではないでしょう? すると「がん死亡率を20パーセント下げる」目標は不可能に近いはずで、努力の方向が間違いです。「研究費獲得のアドバルーン」と邪推しました。

一方で「がんでは死にたくない」という気持ちは理解できます。いろいろな考え方があるとして、今回は「がんで死なない」をキーワードにして検索したところ、ヒット数は540件と手ごろで、なかなか面白い結果が得られました。

特定の「がんで死なない」

がん死亡全体を大幅に減らすことは「論理的に不可能」ですが、「特定の種類や条件のがん死亡を減らす」ことは可能です。まずみつかったのが「前立腺がんで死なないために――治療の多選択肢時代を迎えて――」(垣添忠生著)で、ヤフーブックスに紹介されています。

前立腺がんは予防も治療もいろいろ知られ、「死なない」や「死を大幅に遅らせる」方法がありそうです。類似のことが乳がん・子宮がん・胃がんなどに当てはまるでしょう。各々、検診の有効性・早期診断法・早期がんの治療法が確立しているからです。

検診に関連してPETの議論がみつかりました。「がんを1つずつ探すのは能率が悪く合併症も強い。身体に負担をかけずに一挙に全身を調べる」のがPET検診の考え方で、医療法人 祥仁会 西諫早病院の千葉憲哉さんの解説によると、人間ドック(がんドック)の大きな欠点として「がん発見率が意外と低く、日本検診学会の発表では1000人に1人」だが、「PETドックでは1083人中40人」なので人間ドックの40倍の発見率だと指摘します。ところが、PET単独では「発見できるが診断がつきにくい」ので、これにCTを組み合わせると、発見率と診断率が大幅に向上する由で、最近、厚生労働省が使用認可を出したと説明しています。

アメリカの成功?

「アメリカでがんの死亡率低下に成功」という意味の講演が見つかりました。平成12年10月、第10回広島がんセミナー県民公開講座「がんの予防と治療――がんで死なないために――」、副題が「がんは、どこまで減らせるか――アメリカの成功から学ぶこと――」の辻一郎さんのものです。

それによると、アメリカではがん死亡率は91年より、罹患率は92年より減少を始め、90年より年率0.7パーセントの割合で減少している。減少率が大きいのは大腸、口腔・咽頭、肺、前立腺の各がんと白血病の順。一方、がん死亡率は、90年以降は年率0.5パーセント減少し、乳房・大腸・前立腺の各がんで死亡率の減少が著しいといいます。とくに面白いのが乳がんで、罹患率は減っていないのに、死亡率が減少しており、「がん検診の普及による死亡率減少効果が国全体として目に見える形で現れた」と解釈しています。辻さんは禁煙を最大要因に挙げて、アメリカの男性喫煙率は65年51.9パーセント、95年27.0パーセントと30年間で半減しました。

私は、「日本のがん死亡率が高いのは、平均寿命が長い故。つまり心臓病と脳血管障害の管理がうまくいっている証拠」と勝手に解釈していますが、日本人の喫煙率がアメリカ並に低下したら、平均寿命がさらに何年か延びるかも知れません。

「100歳まで生き、がんで死のう」

素晴らしい記事が見つかりました。市川平三郎さん(国立がん研究センター名誉院長)の講演録(平成13年)の要約で、主なものが2つあります。(100歳まで生き、がんで死のう <日本の技術は世界一> と、がんとは症状のない病気 <早期発見で治そう> )自身ががんに2度かかって生命を拾った体験を、職業の経験と組ませて話に潤いを与えています。

自著の冒頭に「がん患者は必ず死ぬ」と書いて、若い医師から抗議されたが、実はそのすぐ後に「がん患者でない人も必ず死ぬ」と書いて、「死なない人はいない。必ず死ぬ」とまず強調します。

それから年代毎のがん発生問題を議論し、10・20代では少なく、30代から急速に上昇しはじめ、40代では30代の倍、50代は40代の倍、60代になると50代のまた倍、70代では60代のまた倍に激増すると説明します。ところが、80代では70代の1.5倍ぐらいと上昇がにぶり、90代になると下がります。「年齢が進むと他の病気で死ぬ人が多くなる」故との回答を、会場から引き出しています。

次に「どんな死に方が望ましいか」という話に入り、「心筋梗塞や脳溢血や事故死など、死ぬ当人はいいとして周囲が迷惑だ。がんで死ぬのが最良」と述べています。理由は明快で、がんでは「いつ死ぬかがわかる」からで、周囲も当人も人生を整理できるという論理です。

市川さんは、理屈だけでなくて実例を多数観察した説明で聴衆を納得させます。もう1つ、「親父が死ぬときはかわいそうで、がんでは死にたくないと思った」という意見には、「20年前はつらかったが、最近はもがき苦しむがん死はない」と断言します。最近の進歩には問題もあり、「昔はがんで確実に死ねたけれど、今は治ってしまうのでもう1度がんになる」という話もして、逆説的ながら聴衆に勇気を与えてもいます。

もう1つの「がんとは症状のない病気<早期発見で治そう>」というタイトルの講演では、戸籍年齢60歳で肉体・精神年齢はプラスマイナス20違い、40歳相当の人から80歳ぐらいまでの幅があると述べ、小学校のクラス会で同級生と教師の区別がつきにくい実例で説明しています。

これが「がんとは」の説明の導入で、がんはできてから何10年と放置され終に命を奪われると述べています。 巷間いわれる「がんの症状」というのは役には立たず、大酒を飲んであくる日に血を吐いた場合、99パーセントは単なる急性炎症による出血だ。

しかし、胃カメラで小さながんが見つかることが1パーセントくらいあり、「がんを早期にみつけ、手術しないで削って治す」こともあるからと聴衆を元気付けます。

市川さんの豊かな臨床経験と、高齢に達して得られた深い人生洞察を組み合わせた素晴らしい記録で、「がんをこう考える」という1つのお手本です。

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