切除可能な直腸がん試験結果に世界が注目も 日本の標準治療は「手術」で変わりなし
2023年7月、切除可能な直腸がんに対する国際共同第Ⅱ/Ⅲ相試験「PROSPECT試験」の結果が「The New England Journal of Medicine」(NEJM)に発表され、注目を集めました。欧米の標準治療に、米国自らが一石投じる結果を導き出したのです。
切除可能な直腸がんに対する欧米の標準治療は術前化学放射線療法ですが、日本は手術です。世界の流れと日本の標準治療について、がん研有明病院副院長/消化器内科部長の山口研成さんに聞きました。
「大腸がん」でなく「直腸がん」と区別するワケは?
直腸は肛門に続く長さ15㎝ほどの腸管部分です。骨盤内の非常に狭い空間にある直腸は、肛門の手前で便を貯留するという役割を担っています。また、排尿に関わる膀胱、性機能に関わる前立腺や子宮、膣といった臓器、さらにそれらをつかさどる神経や動静脈とも近接しており、そうした役割や複雑な位置関係も起因して直腸がん治療では合併症や局所再発が起こりやすく、大腸がん(結腸がん)とは分けて考えなくてはならない側面があるのです。そのため、あえて「直腸がん」と区別されます(図1)。
欧米の直腸がん標準治療が揺れている?!
切除可能な直腸がん治療において、実は日本と欧米では標準治療が異なっています。
「日本の標準治療は、あくまでも手術です。手術の経過によって術後補助療法を行うかどうかを検討するのが日本のスタンスですが、欧米、とくに米国では術前化学放射線療法を行い、がんを縮小させてから手術するのが標準治療になっています」と、がん研有明病院副院長の山口研成さんは話します。
日本と欧米でなぜ標準治療が違うかについては後ほど説明しますが、実は今、欧米の標準治療である術前化学放射線療法をめぐる臨床試験の結果が世界の注目を集めています。
その試験とは、切除可能な直腸がんに対する術前FOLFOX療法の国際共同第Ⅱ/Ⅲ相「PROSPECT試験」。*T2N1、T3N0、T3N1の切除可能な直腸がんを対象に、術前化学療法(FOLFOX療法)と欧米の標準治療である術前化学放射線療法(CRT)を比較した試験で、低~中リスクの切除可能直腸がんに対して、術前の放射線治療が過治療になっていないかを問う目的のもと、米国を中心に実施されました。
主要評価項目は無病生存期間(DFS)。副次評価項目として、全生存期間(OS)、局所再発、完全(R0)切除率、病理学的完全奏効(pCR)割合、有害事象などが評価されました。2012年から2018年までに1,194例の患者さんがFOLFOX群とCRT群に1:1に割り付けられ、1,128例が実際に試験治療を受け、2022年12月に試験期間が終了。その後の解析を経て、2023年7月、FOLFOX群のCRT群に対するDFSにおける非劣性が証明されたのです。5年DFS率はFOLFOX群80.8% vs. CRT群78.6%。両者、ほぼ同等の結果となりました(図2)。
さらに、OSと局所再発は両群で同等、R0切除率はFOLFOX群90.4% vs. CRT群91.2%、pCR割合はFOLFOX群21.9% vs. CRT群24.3%と多少の差は出ましたが、ほぼ同等。また、術前治療中の有害事象は、FOLFOX群41.0% vs. CRT群22.8%で、FOLFOX群のほうが発生率が高い結果となりました。
「PROSPECT試験は術前の放射線治療が過度の治療ではないかを問うものですが、治験対象は、がんの位置やTNM分類などから『局所再発・低リスク』と見なされる、あくまでも放射線治療の恩恵が低いとされる患者集団に限定されました」と山口さん。つまり、T2~T3の低リスクの患者群には、術前での放射線治療は行っても行わなくても同等であるという結果が出たことになります。
今後、この結果を受けて、欧米では、切除可能な直腸がんの術前治療に対するスタンスが変わっていくことが予想されますが、山口さんは「この結果に日本が左右されることはあってはならない」と述べ、同時に懸念を明かしました。
*T2N1、T3N0、T3N1:TNM分類の表記。TNM分類とは大腸がんの病期について国際的に用いられる分類法。がんの壁深達度(T因子)、リンパ節転移(N因子)、遠隔転移(M因子)の程度を表している
日本の標準治療はこの結果を受けて変わらないのですか?
「日本では、切除可能な直腸がんの標準治療はあくまでも手術です。ただし、『局所再発・高リスク』においてのみ、術前化学放射線療法を弱く推奨しています(ガイドライン2022年版)。今回のPROSPECT試験の結果を拡大解釈して、高リスク群に対して、術前でFOLFOX療法をすることを是とするような流れが起きないよう、大腸癌研究会のHPにPROSPECT試験に対するガイドライン委員会の見解を載せて、注意喚起しました。ただ、術前化学放射線療法をどのような対象で、どのような目的で適応させるかについては現在臨床試験が行われており、議論されています」と山口さん。
PROSPECT試験の対象はあくまでも「再発・低リスク」で、放射線治療の恩恵が低いとされる患者群。「ここに高リスク群を混在させることはあってはならない」と山口さんは警鐘を鳴らしているのです。
また、PROSPECT試験はあくまでも術前治療について、化学療法のみと化学放射線療法を比較したものであり、術前化学療法と術後補助療法を比較した結果ではないことからも、「少なくとも日本では、PROSPECT試験の結果によって切除可能な直腸がんの治療法が変わることはありません」と強調しました。
欧米と日本、直腸がんの標準治療はなぜ違うのですか?
ところで、なぜ、同じ直腸がんなのに、欧米と日本で標準治療が違うのでしょうか。それにはいくつかの理由があると山口さんは説明します。
「核被爆国である日本は、放射線治療に否定的だった歴史的背景があって、放射線治療の開発が遅れたことも少なからずあります。2007年のがん対策基本法施行以降、放射線治療はがん医療の3大要素として重要視されるようになり、がん研有明病院や国立がん研究センターのようながん専門病院では、高リスク直腸がんに対して積極的に術前化学放射線療法を行うようになりました。とはいえ、全国では、限られた施設で行っているのが現状です。それには設備だけでなく、放射線専門医が絶対的に少ないことも影響しています」
そして、さらなる理由について述べました。「欧米人と日本人の体格の違い、つまり肥満度の違いも、欧米と日本の標準治療の違いに関係しています。米国で直腸がんの治療を受ける人は、日本ではあまり見かけないほどの肥満体型の人も多く、肥満度が高いと高確率で合併症を併発します。そもそも直腸がん手術は近辺の臓器や神経を傷つけやすいリスクがあるにも関わらず、肥満による大量の脂肪はリスクを高めます。そんな高リスクの中で手術するより、術前の抗がん薬と放射線照射でできるだけ腫瘍を小さくしよう、郭清の範囲を小さくしようというのが欧米の考え方です」
一方、「日本人は欧米人に比べて、痩せている人がほとんどです」と山口さんは指摘します。余分な脂肪が少ないと合併症のリスクも低くなり、手術もスムーズに進むとのこと。さらに、直腸がん手術の難易度の高さにも言及しました。
「日本では直腸間膜全切除術(TME)で骨盤の側方領域のリンパ節も郭清します。欧米でも直腸間膜全切除が広く行われていますが、たとえ広く開腹しても直腸のすぐ後ろに仙骨、その前には膀胱、女性なら子宮や膣があり、そんな中、狭い骨盤の中から直腸を切除するのはやはり難しく、周辺には神経や血管が張り巡らされているため、がん細胞が転移しやすいリスクもあります。そうしたリスクを少しでも下げようと、欧米ではまず、抗がん薬と放射線でがんを縮小させてから手術をするという方法をとってきたのです」
翻って日本は、放射線治療開発は遅れましたが、リンパ節の郭清をはじめ、手術手技の進歩は目を見張るものがありました。術式も多く、直腸がんの位置や状態によって最適な方法を選択できます。近年、直腸がん手術にはロボット支援下手術(ダヴィンチ手術)が積極的に採用されるようになり、また、経肛門的直腸間膜切除術(TaTME)も行われるようになりました。
TaTMEとは、術者が2チームに分かれて、腹腔側からと肛門側からの2方向からアプローチして直腸を切除する術式です。同時進行のため手術時間は大幅に短縮され、患者さんの負担も軽減されました。こうした日本の手術手技のレベルの高さも、日本の直腸がん標準治療の第1選択肢が手術であることに寄与していると言えるでしょう(図3)。
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