若い患者さんの大腸がん闘病記
がんという病気の治療は、いわば「未知の領域への探検」

文:諏訪邦夫(帝京大学幡ヶ谷キャンパス)
発行:2009年8月
更新:2015年9月

  

すわ くにお
東京大学医学部卒業。マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学などを経て、帝京大学教授。医学博士。専門は麻酔学。著書として、専門書のほか、『パソコンをどう使うか』『ガンで死ぬのも悪くない』など、多数。

がんの闘病記を調べました。この種の文章は読んでつらいことはありますが、どれも心情にあふれています。今号で紹介する「大腸雁之助の大腸がん闘病記」の著者は、病気発見の時点で34歳でした。期待にたがわず、文章が上手で分量も多く、充実した内容です。

「記録」という意思は自然

「細大漏らさず記録」という意気込みを感じる、実に丹念な記録です。患者さん、とくに若い方にとって、がんという病気になって手術を受けるのは、いわば「未知の領域への探検」で、正確で詳しい記録をつける意思は自然です。読む側も、「探検記を読む」気分です。

ホームページではまず、病気の見つかった経過を述べています。

2004年7月上旬に、区(板橋区)の健診で大腸がんを発見され、1カ月後に大腸内視鏡検査を決断。インターネットを探索して技術の優れている(らしい)医師と診療所を見つけ出します。年間5千件の内視鏡を行うというから、休日を除き1年300日として1日に17件のペースです。

8月下旬に大腸の内視鏡検査を受け、下剤を飲んでトイレに通うつらさの描写のほか、「インターネットで知識を得ていたのであまり不安は無かった」と述べながら、Tシャツ以外全身裸になることや、のどの麻酔のつらさ(胃の内視鏡検査も同時受診)、自分の前の患者さんが終了したあと、つらそうな表情で部屋から出てきた様子など、検査時の不安な心情を綴っています。

全体の分量は、文章だけで容量150KB(キロバイト)、字数は7万5千字です。写真やイラストも沢山載っていて、新書1冊分を超える分量でしょう。

診断確定から手術へ

大腸内視鏡検査で診断が確定し、国立がん研究センター大腸外科を紹介され、8月末にがんセンターを受診(初診)。手術は、(初診から)2カ月後と決まりました。手術内容については、腹腔鏡手術か通常の開腹手術になるかはこの時点では不明で、「医師は『リンパ節転移していたらステージ(病期)3』と簡単に言うではないか」と、憤激した気持ちを表明しています。

9月はじめに、「粘膜下層まで浸潤しているが、筋層浸潤はない」という病理検査の結果が出ました。つまり、リンパ節転移や遠隔転移の可能性は低いとの診断で少し安心します。がんセンターでも内視鏡検査を受け、内視鏡で切除しましたが医師から「手術は必要」と断言され、次の診察(9月中旬)で、「手術をすれば生存率97パーセント、手術なしでも生存率80数パーセント」と聞かされ、手術を決断します。

闘病記では、その後、こんなことが書いてありました。

「がんになって、がんに詳しくなった。以前は、CT(コンピューター断層撮影装置)検査なら体のすみずみまで検査できて、がんも一目瞭然に判ると思っていた。これは間違いで、CT検査では小さいがんは発見出来ないし、がんを確定できない。CT画像でがんはないといっても、CT画像で今は見えないだけで、見えない小さいがんがあるかも知れない……」という内容で、短期間にこうした認識に達している点に感心しました。

10月18日に入院し、20日に手術を受け、28日に退院します。この10日間余りの記述は大変に詳しく、それだけで2万語あります。この記述は具体的で、要領がよくて冗長でなくて興味深いので、がんサポート読者自身のアクセスを期待して、ここでは詳しい記述を控えます。

術後は順調に回復し、尿道カテーテル(管)が除去され、胃に入っている管が抜け、吻合部へのドレーンがとれて「特発性肛門痛」の消失をよろこび、最後に点滴がはずれて退院しました。「歩かないと、腸が動かず、肺も悪くなる」と言われ、一生懸命に歩いています。

退院後間もなくの診察で、病理検査でリンパ節への転移が無かったので、今後は定期的な検査だけでよいと告げられて安心します。その後、別の科の診察などが加わるものの、基本的に順調です。MRI(核磁気共鳴映像法)検査を受ける際の、騒音の描写が印象的でした。

術後2年間の経過も詳しく記述し、つらかったことや、苦しかった点も述べていらっしゃいます。しかし、この方の文章はそれをストレートに言わずに、自分の気持ちを第三者的に描写している点に感心しました。手術1年後の診察の帰途、「1周年記念パーティ」と立派なお寿司を食べてよろこぶシーンも印象的です。

手術終了から約2年後の2006年6月24日(土)には、「今年も来たぜ。健康診断の季節が。(中略)2年前のこの健康診断が大腸がん闘病記を書き始めるきっかけとなったが、今思い起こしても受けておいて良かった。もし受けていなかったら、今頃どうなっていたろう」との記述があり、読んでほっとしました。

その後は、同病、その他の患者さんとの交信記録を公開しています。そちらでも、友人や仲間の方々に対する真摯な文章が綴られていて、心うたれました。
手術から4年半を経過しましたが、お元気のようです。

ユーモア豊かな文章に敬服

ユーモア豊かな例を、いくつか紹介します。

「病院では待たされる」をテーマに、「人間と言うのは不思議で、あまりにも順調に進み過ぎると、逆に不安になる。いつもなら、長い間待たされ、何時間も掛けて全てを終えるのに、今日はたったの20分」という描写があります。ほかにも、「数多くの福沢諭吉が私から旅立って行った。諭吉たちは機械に整頓させられた後、物凄いスピードで弾かれカウントされていった。諭吉は誰一人、帰ってこなかった」との記述もありました。「医療費が高い」とのストレートな記述より、記憶に残ります。また、「初めての排尿時は驚いた。使用していなかった水道の蛇口をひねった時、ゴボ、ゴボ、ゴボボボー、水と空気が交互に出てくるのと似ていた」という記述や、「看護師からしつこくガスは出たか? と質問され、出たと答えると褒められる。今までの経験とちがって、ここでは褒められる」など、ユーモアを失わない気持ちの余裕に敬服します。

素直な語り口に説得力がある

医師の私自身が患者になった場合、これほど内容豊かでしかも自分を客観視して、心情を他人に伝えられる文章が書けるか自問しましたが、自信がありません。医療や医療関係者に対してもっと辛らつなコメントも予想したのに、実に素直な語り口で逆に説得力があります。

硬膜外麻酔のカテーテルが、術後にあまり有効でなかったらしいのが意外ですが、この点は自分の専門に対する私の職業意識です。明確な「不満」として述べていらっしゃるのは、点滴のポンプの電池が弱くて歩行練習時にすぐに電池切れになった点です。これは、充電式電池がおそらく古くなっていたと推測します。

一般に「がん体験記」や「闘病記」では、医療に対する評価がマスコミの論調ほどにはきびしくないと感じます。ご自分のことに一生懸命で、「他人」や「システム」の悪口を述べる余裕がないのでしょうし、患者として病院で暮らすと自身も医療構成員の1人で、悪口を言うのは天に唾する気持ちになるのかもしれません。

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