ストレスを受け持ってくれたがん。自分から縁遠い存在ではありません 女優復帰直後に大腸がん治療を経験した長谷直美さん
17歳で航空会社のミス・コンテストに入賞したことをきっかけに芸能界デビュー。「俺たちの朝」「太陽にほえろ」などの人気番組に出演するなど〝青春ドラマの華〟として活躍した。結婚後パリに移住したが、離婚などを経験。昨年春、17年ぶりに帰国した。芸能界にも復帰し、ゴールデンタイムのバラエティ番組に出演するようになった。
長谷直美さんは1970年代から80年代にかけて、青春ドラマを中心に端麗な容姿と飾らない演技、そしてカーアクションで人気を集めた。結婚後のヨーロッパ生活を経て、17年ぶりに帰った日本で経験したことは――。
長谷さんは「人生いろいろあって……」と前置きして話を始めた
TV番組の企画受けた検診で
「私の芸能界復帰をネタにしたコーナーで、美容のために温泉に行ったりする企画をこなしていたんです。その中で、健康診断もしましょうか、という軽いノリで検診を受けることになりました」
体力と健康に自信のあった長谷さんは、しばらく健康診断は受けていなかった。
番組スタッフが選んだのは、都心のセレブ御用達のクリニック。デラックスな半日人間ドックだった。いすひとつにしてもゴージャスで、待合室には1人に1つずつテレビが置かれていた。そこで「何から何まで調べてもらった」という。
「細かい病気はないと言われたのですが、先生が『ちょっとここが気になるんですよね……』というところがあったんです」
数日後にまた来院するように言われた。結果を聞きに行くと、「腫瘍マーカーが高いということと、PET(検査薬を投与してがん細胞に目印をつける検査方法)で、S状結腸に『これは』というのが見つかったことを告げられました。先生は『至急大きな病院で検査と対処をしたほうがいい』と言いました」
父親をがんで亡くした思い出
長谷さんは、がんに関する、ある思い出があった。父・清さん(享年75)を肺がんで亡くしていた。清さんは、生涯1本のたばこも吸ったことがなく、健康管理にも神経質でしょっちゅう病院に通っていた。東京近県のある病院で「咳が出る」といった症状を訴えたときにも「異常がある」とは言われなかった。「どうもおかしい」とカルテなどを借りてほかの病院に行ったら、すでに末期がんであることを告げられた。
肺がんの末期ということで手術もできず、余命半年を宣言された。
「がんというのは非常に恐ろしい病気。なってしまったらおしまい、というイメージがありました」
自覚症状なし「私が、がん!?」
長谷さんは、クリニックに紹介された順天堂大学医学部附属病院に行くことにした。
「自覚症状がなかったので、がんの可能性を宣告されてからしばらくは、わけがわからなかった。『私が、がん?』って」
インターネットで調べてみた。大腸がんの症状として、便秘と下痢をくり返すとか、便が細くなるなどがあるとわかった。それでもピンとこなかった。
「言われてみれば……というのはあるかもしれないけど、女性の場合、便秘があったからといって病気に結びつけることはあまりしないと思います」
がんの疑いが出た翌週、病院を訪れた。クリニックから検査の資料を持って行ったが、それを見たときの医師の様子が印象に残っている。
「んー、間違いないでしょう」
重要なことを告げられていると感じた。CT、MRI、レントゲン、血液検査、細胞診などを受けた。1週間後に結果を聞きに来るように言われた。この1週間が長かった。
眠れない、変な夢……気持ちにもきた
「自分の中では大したことない、大丈夫だよ、と軽く考える部分と、夜になって寝るときになると、普段はものを考えたりはせずに3分で眠るような性格なのですが、このときばかりは暗い部屋の中で目が冴えてしまいました。明け方まで眠れなかったり、変な夢を見たり……『やっぱり、気持ちにもきてるんだな』と思いました」
「闘病」「死」「運命」といった「考えなくてもいいキーワード」が頭に浮かんで離れなかった。
「もしステージが進んでいて、転移があったりしたら、ずっと闘っていかなければならない。『私はどこのお墓に入るのかな』とか『荷物は少なくてよかったな』とか考えてしまいました。最後は『私は死ぬために日本に帰ってきたみたい』ってさえ。普段考えなくてもいいことばかりですね」
長い1週間が過ぎて、再び病院に行った。医師は「表面的には出てないが、中を調べなければわからないから、とにかく切ってみましょう」と言った。
その前に、すぐに内視鏡の検査をすることになった。そこで、長谷さんにちょっとした〝間〟ができた。
『太陽にほえろ』でリラックス
「内視鏡の先生が『太陽にほえろ』のファンだということで、検査の前にずっとその話をするんです。あの場面はどうで、あの刑事はこう殉職して――と、とにかく詳しいんです」
長谷さんは、医師が患者としての自分をリラックスさせようとしているのだなと感じた。実際、不安も余計な力みも抜けていった。
「『じゃあ、やりましょうか』っておもむろにお尻から内視鏡を入れるんです(笑)」
検査中、長谷さんも医師と同じモニターを見ていた。
「身体の中ってこうなっているんだ――」と持ち前の好奇心で。がんの大きさは3cmだった。内視鏡で見た感じではほとんど腸がふさがっているように見えた。
検査をした医師は、モニターを見ながら言った
「これはラッキーかもしれませんよ」
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