移住目的だったサウナ開設をパワーに乗り越える 心機一転直後に乳がん
谷山嘉奈美さん サウナプロデューサー・ジビエ料理家
名古屋から北海道下川町に移住し、この地でサウナを始めたいと思い立った谷山嘉奈美さん。移住して3カ月で乳がんが発覚。地元名古屋に帰省し、治療に専念する。1年後、下川町に戻った谷山さんは軽トラにサウナ小屋を搭載した移動式サウナを始める。谷山さんにとって乳がん体験はその後、どのような人生観を生んだのか?
サウナのため北海道下川町に移住
それは、移住促進サイトが2019年11月~12月に募集した「ミステリーツアーチケット」に当選したことがきっかけだった。ミステリーツアーとは、事前にどこに行くのか参加者には秘密。その秘密の場所が北海道下川町だった。
「下川町は水もきれいだし、真冬はマイナス30℃になる。ここなら自分の理想のサウナができそう」という予感がしたという。
しかし、そのときにはまだ下川町に移住することは考えてはいなかった……。
実は、谷山嘉奈美さんは2018年頃からサウナが大好きになり、サウナ発祥の地のフィンランドやトルコにも出かけるほどだった。
ミステリーツアーから1年くらい経った頃、下川町でサウナを作りたいという会社が現れ、「サウナのプロデュースをしないか」という、願ってもない話が谷山さんに持ち上がった。
それまでは、名古屋などの地方自治体で10年ほど保健師の仕事をしていた。ただ、非正規の雇用形態で働いていたこともあり、これからのキャリアを考えたときにどうしようか、迷っていた時期でもあった。
谷山さんは2021年4月、実家のある愛知県名古屋市からサウナを作るため下川町に移住することを決断した。
下川町は北海道中央からやや北部に位置する内陸の町。現在、人口2,900人ほどで、およそ東京23区くらいの広さの8~9割が森林に覆われていて、その自然を活かしたまちづくりが評価され「環境未来都市」に認定されている。
移住した谷山さんは、サウナを開設するにふさわしい場所を探し始めた。ところが、谷山さんと一緒にサウナをやろうと声をかけてきた会社は当初、行政を巻き込んでと考えていたのだがうまくいっていなかった。
なぜ今なんだろう?
そのようなときに、谷山さんに乳がんが見つかった。移住してわずか数カ月のことである。
「たまたま寝転がってボディクリームを塗っていたときに、おかしいな? と思いました。立った状態で触れることのできなかった位置にくるみのような感触がありました」
谷山さんは自身が保健師だったこともあり、月に1度は乳房の触診をしてチェックを怠らなかったという。
これはがんかも知れないと思った谷山さんは下川町近隣の病院で検査を行うか、それとも以前マンモグラフィ検査を行なったことのある名古屋の乳腺クリニックに行くか迷った。
結局、地元名古屋の乳腺クリニックで検査をしてもらうことを決め、帰省してその乳腺クリニックでエコーとマンモグラフィ検査、組織の生検を行なった。
クリニックの医師からは「ハッキリしたことは組織の検査が判明してからになりますが、確かになにかありますね」と言われた。2021年のコロナ禍だったこともあり、すぐに手術が可能な大学病院を紹介された。
「母親が乳がん、父親が膵がんの家族歴があったので、自分もなるかもしれないと思っていました」
以前、子宮がん検診を受けた際に家族歴を医師に伝えたところ、マンモグラフィ検査を勧められていた。
「でも下川町に移住してこれからサウナを立ち上げようとしているまさに、これからというとき。なぜ今なんだろうとは思いました」
谷山さん34歳のときだった。
ステージⅡのトリプルネガティブ
2021年7月28日、谷山さんは乳腺クリニックから紹介された大学病院で左乳房全摘術を受けた。
「悪いところはスパッと取ってください、と左乳房全摘手術を受けました。ただ主治医からは『乳頭は残せそうなら残しておきますね』と言われ、お願いしました」
腫瘍の大きさ2.2㎝、ステージⅡb、タイプはトリプルネガティブだった。
妊孕性(にんようせい)温存術のため、腹部の肉を使った再建はできず、また肩や背中から持ってくるにはボリュームが足りなくて、さらに手術のスケジュール調整をするなかで形成外科医と合わせて行うことが難しく、同時再建は断念した。
乳房全摘手術から化学療法まで、猶予は最大8週間。その間に、将来自分の子どもを授かる可能性を残す妊孕性温存のため、卵子凍結療法を2クール行った。そのため、術後化学療法を行うには8週間待たなければならなかった。
「もともと下川町には戻るつもりで、荷物はそのままにしていました。手術が終了したら化学療法は下川町で出来ないかと検討したのですが、病院までのアクセスが悪く断念しました。使用した抗がん薬パクリタキセルにアルコールが含まれており、自力で運転するのが難しかったからです」
名古屋の大学病院で2021年9月からdose-dense AC(d-dAC)療法が始まり、2022年2月まで続いた。d-d AC療法とはアドリアシン(一般名ドキソルビシン)+エンドキサン(同シクロホスファミド)の従来のAC療法を、3週間毎から2週間毎に短縮して4サイクル投与する方法だ。
「薬の副作用は脱毛、爪の変色、手足の指先のしびれが目立ちました。その他には嘔吐があって食事が摂れませんでした。元気だったのですが、貧血で倒れて動けなくなってしまうような症状が2~3カ月続きました。
薬の副作用は主治医から説明は受けていましたが、自分が思っている以上に脱毛のスピードが早かったです。それを知っていたらもっと早く髪を短くしておけばよかったな、と思いました。いずれ髪の毛は生えてくるだろうと思ってはいましたが、もし生えてこなければ、いまはウィッグも可愛いのがたくさんあるので、結構遊んだ髪型もしていました。また、味覚障害にも苦しめられました。私は料理人でもあるので、この症状がずっと続いたら料理人としての仕事はどうなるのだろうという不安も強くありました」
谷山さんがそう語るのには理由がある。とくにジビエ料理に興味を持って名古屋ではジビエ料理家としてジビエ料理を食べる会を主催。下川町でもジビエの料理教室を開いているからだ。
谷山さんが名古屋で乳がん治療を続けていた1年間、下川町でのサウナ開設事業は頓挫したままになっていた。
しかし、悪いことばかりではなかった。名古屋で化学療法を受けたことで思わぬ父親孝行が出来たと語る。
「父は私が乳がんの治療のため戻って、化学療法を始めた頃に亡くなりました。ですから、父の死に目に会えてよかったと思っています」
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