家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に

取材・文●髙橋良典
写真提供●貫井昭洋
発行:2024年11月
更新:2024年11月

  

貫井昭洋さん キッチンカー「Fio Nuku」シェフ

ぬくい あきひろ 1989年東京都西東京市生まれ。2008年、調理師専門学校卒業後、五つ星ホテル「グランドハイアット東京」のイタリアンレストラン「フィオレンティーナ」で修行。その後、神楽坂「Ristorante SOPRA ACQUA」、横浜「NINE wine & cheese Dining』」料理長を経て、2022年4月、実家の貫井農園内にキッチンカー「Fio Nuku」開店。2021年に発症した神経膠腫の治療を続けながら、貫井農園の野菜や果物をたっぷり使ったイタリアンを提供している

病は突然襲ってくる。31歳で神経膠腫に罹患したイタリアンシェフの貫井昭洋さんの場合もそうだ。ある日、風呂上りに突然倒れた。それが病気との闘いの始まりだった。

診断の結果、脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫と診断された。手術で機能を守れるところまで腫瘍を切除し、仕事にも復帰することができた。ところが、仕事に復帰してまもなく腫瘍が増大し、再び手術を行うことになった。

3人兄妹の末っ子である貫井昭洋さんは、現在、西東京市にある実家・貫井農園の敷地内で、火・水・金・土の11時~15時までキッチンカーで営業を続けている。メニューはパスタが2種類と肉料理が1種類の計3品。テイクアウト専門だが、テーブルと椅子が1つあるのでそこで食べていく人もいる。貫井農園は果樹園で、夏は梨やブドウ、秋には柿やみかんも収穫している。その合間にはさまざまな野菜を栽培していて、その野菜をふんだんに使った料理を提供している。

風呂上りに突然意識を失う

2021年1月15日の夜、風呂から上がった貫井さんは、脱衣場で痙攣を起こし前向きに倒れた。大きな音にびっくりして、様子を見に来た奥さんと子どもが声をかけても返事はない。近所に住む貫井さんの両親もあわてて駆けつけた。しばらくしたら貫井さんの意識が戻ったが、頭を打っていたので検査してもらおうと翌日、吉祥寺の脳神経外科病院を両親と一緒に受診した。

診察室に入ると、医師から診察前に撮ったMRIの画像を見せられ、「脳腫瘍で、余命は2年くらいです。できるだけ早く手術をしないといけない」と告げられた。画像には左前頭葉の広い範囲に白い影が映っており、さらに右脳側にも広がっていた。

「これだけ広がっているとうちの病院ではアフターケアをすることができないので、国立がん研究センター中央病院を紹介します」と言われた。

そのときの気持ちを貫井さんはこう振り返る。

「ただただ茫然とするしかなく、医師のいうことすべてを受け入れることができませんでした」

神経膠腫と診断される

居間にはすぐ横になれるベッドが

貫井さんは、紹介された国立がん研究センター中央病院を受診して、改めてMRIやエコー、血液検査などを行った。

医師からは「画像に映っている白い箇所は、脳細胞が死んでいるところです。いま、しゃべれなかったり手足が動かせなかったりしていないので、ここの白い箇所は完全に切除しても問題はなく、できればその周辺も切除したい」という話をされた。

それは、独立してレストランを開業するための物件を探している最中のことだった。

「がんが発覚したことで、取り敢えずがんを治そうと気持ちを切り替え、仕事のことはあまり考えないようにしました。病院の先生からは、『余命も2年とかでなく、5年とか10年とかの可能性もあるので、一緒に頑張りましょう』と握手されて激励を受けました」

貫井さんの手術は、その年の(2021年)2月1日に行われ、8時間ほどの手術だった。

腫瘍が前頭葉にあったので、覚醒下手術で執刀医と話をしながら切除手術を行なった。

「最初手術台に座らされ、麻酔をされて完全に意識はなくなりました。そして、頭蓋骨の切開が終わると起こされました。そこからは事前に用意されていた30くらいの質問、たとえば、『兄妹は何人ですか』といった簡単な質問に答えながら手術が進んでいくわけです。意識が覚醒しているといっても、麻酔の影響もあって少しボーっとしているような感じはありました。手術が進んでいくうちに、『ボールはどんな形をしていますか』という質問に、『白』と答えたりするようになり、正確に答えられなくなりました。そこで、医師は腫瘍を切除する限界と判断して終了した、と後日聞かされました」

遺伝子パネル検査と病理検査の結果、代表的な脳腫瘍である神経膠腫(しんけいこうしゅ:グリオーマ)と判明。神経膠腫は悪性度によってWHOグレード1から4まで分類されるが、もっとも悪性度が高いグレード4の神経膠腫(グリオブラストーマ)と診断された。

その病名を告げられたとき「自分自身が悩んでも仕方ないじゃないですか。悩んで病気がなくなるならすごく悩むでしょうが、悩んでも仕方ない」と思ったという。

そして、先生からは「貫井さんのがんは遺伝子変異があるがんなので、今後グレードが変わってくるかもしれないと言われたので、いい方向に行けばいいなと思っています」

病気の診断がついてから、がんを治すためにはどうしたらいいかを考えて、ネットなどでいろいろ調べた。

「すると同じ病気で娘が亡くなったというブログが目に入ってきたりして、落ち込むわけです。それらを見ていても落ち込むばかりなので、その後は、極力普段の楽しい生活を考えるようにしています」

術後、普通は5日間くらいで退院できるのだが、貫井さんは2週間近くもかかった。その理由は、鼻の奥からずっと出続けている謎の赤い液体で、MRI検査をしても原因がわからなかったからだ。

「1週間くらいしたら、赤い液体は出なくなってきました。あとから言われたのは、鼻の奥にMRIでもわからないような小さな穴が開いていて、脳から液体がでてきたのではないかということでした」

がんが広がり再び手術を

退院後は、週に5日の放射線治療と抗がん薬のテモダール(一般名テモゾロミド)を1カ月半、1日1錠服用する治療が4月上旬まで続けられた。

その間に家族も増えた。次女が手術の翌月に誕生して、2児の父親になった。

5月からテモダールの服用は5日間服用し1カ月休薬、再び5日間服用するというサイクルが2021年末まで続けられた。それと同時に治験薬として2型糖尿病の治療薬メトグルコ(一般名メトホルミン)を、1日3回服用を2022年5月まで続けた。

「飲む量は少ないのですが、1カ月しないうちに胃が気持ち悪くなり始めて先生に相談したら、テモダールの副作用だと言われました。それと放射線治療も一緒にやっていたので髪も抜けてきました」

最初のうちは月に2度の定期検診を受けるため通院していた。

「採血して、その数値に問題がなければテモダールを続けるという診察でした。2022年5月以降は飲む薬がなくなって、秋ころから腫瘍が大きくなってきたのです。そこでその年の12月に再度手術をすることになりました」

貫井さんは2月1日の手術後の4月に、キッチンカー「Fio Nuku」(フィオヌク)を開業していたのだが、12月に再び手術を受けることになった。

2021年4月6日キッチンカー「Fio Nuku」オープン。左から3人目が貫井さん

「主治医からは『手術する場所は、物事の段取りを組み立てる場所で、もしかしたら手術の後に料理の段取りができなくなる可能性もあるかもしれない』と言われました。ただ、『その部位はすでに白くなっていて、機能してないはずだからおそらく大丈夫だとは思う』とも言われました」

手術は初回のときと同じ覚醒下手術で行われたが、手術時間は少し短くて5~6時間だった。

術後は、テモダールを1カ月に5日服用、1カ月休薬という初回と同じサイクルで2023年末まで服用を続けた。

「私としてはがんが見つかって手術したときに、すべてのがんが切除できなかったので、いつか残っているがん細胞が大きくなって再び手術するんじゃないか、とそれなりの覚悟はしていたので、また手術と言われてもすごく落胆したわけではありませんでした」

キッチンカーの仕事も週4日で、そんなに体に無理がかからない程度にやっているので、病気を抱えていてもこうして仕事ができればいいな、といまは思っています」

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