今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って
石川邦子さん キャリアコンサルタント/カウンセラー
多発性骨髄腫のため3回の自家移植を行った石川邦子さん。今度再発すればもう自家移植は行えない。CAR-T細胞療法の治験にも参加したが、再発。待ったなしの状態の石川さんに新規薬剤エルレフィオによる二重特性抗体療法という一縷の光が差し込んできた。
キャリアコンサルタント/カウンセラーで、働く人のストレスケアやキャリアの悩みを支援してきた石川さんに、病気への向き合い方と現在の気持ちについて訊いた。
背中が痛くなって
フリーのキャリアコンサルタント/カウンセラーとして働いていた石川邦子さんは、背中の痛みのため2016年の6月頃から内科がある整形外科に通院していた。
「10月頃から風邪をこじらせていて、ずっと体調が悪かったのです。年齢的なことも考えて、肺炎だったらいけないと思い、CT撮影を行いました」
すると第7胸椎が圧迫骨折していることが判明した。画像を見た医師が、「圧迫骨折は、上皮がんの骨転移の可能性もある」と、MRI検査を行うことになった。
「結果は『とくに問題なし』でした。ですが、非常勤の医師から画像を見て『圧迫骨折の仕方がどうしても気になるので、血液検査をもう一度したほうがいい』と言われて、改めて血液検査をしました」
後日、「この程度だったらとくに問題なし」とのことだったが、そう判断したのは気になると指摘していた非常勤の医師ではなく、他の医師だ。だから、結果がどうにも気になって検査データを全部持ち帰り、ネットでそれらを1つひとつ検索した。
「その結果、骨髄がスカスカになってしまう骨髄の難病かもしれないと思って、とても不安になりました」
素人の自分がいくら調べても専門家には敵わない。もし血液の病気なら血液の専門病院でなければ本当のことはわからないと考え、セカンドオピニオンを受けたいので紹介状を書いてほしいと院長に頼んだ。
院長は少し不機嫌な顔をしたが、渋々、日本赤十字社医療センターに紹介状を書いてくれた。
多発性骨髄腫と診断、自家移植を
2016年12月5日に日赤医療センターを受診すると、前の病院の検査記録を見ただけで、血液検査のために大量採血され、その後待合室で長らく待たされた。
やっと診察室に呼ばれると、医師が多発性骨髄腫の冊子を手に待っていた。
「最終的な診断は骨髄穿刺(マルク)をしなければわかりませんが、99%多発性骨髄腫だと思います。次回になると遅れるので、これから骨髄を採取させてください」
石川さんとしては、まさかそんなことになるとは思ってもみない展開だった。
「骨髄穿刺は通常、腰から採取するのですが、腰の骨髄がスカスカになっていて採取できませんでした。ですから胸骨から採取しました」
1週間後、多発性骨髄腫と確定診断され、入院してまずは寛解導入法を4クール行うことになった。
多発性骨髄腫とはBリンパ球の最終分化段階の形質細胞ががんかする病気である。免疫グロブリンの一部である軽鎖(カッパまたはラムダ)の値が低下すると治療効果があると判定できる。
多発性骨髄腫との診断を受けた石川さんは、そのときの気持ちをこう語る。
「親や親族にがんが多く、がん保険にもしっかり入っていたので、がんと言われてもそんなにショックはありませんでした。それより難病かもしれないと思っていたので、多発性骨髄腫と診断されたときには、冊子までできていて標準治療も確立している病なのだと、逆にホッとしたというのが正直な気持ちです」
受け持っていた仕事を調整して、12月19日に寛解導入療法を受けるため入院。1クールを行って28日に退院、その後は通院で済んだ。
「寛解導入療法は、副作用も軽くてそんなに大変ではありませんでした」
2017年4月まで寛解導入療法を行い、1カ月治療を休んだ後、6月に入院して自家移植を行った。
「自分の骨髄が定着するまでの10日間がしんどいだけで、その後は楽になっていきました」
1カ月弱で退院でき、7月以降は維持療法が続いていたが、別に副作用もつらくなく、仕事も9月から再開し、通院以外は休むことはなかった。
この状態が3~4年は続くと思っていた。ただ、医師からは染色体の異常が4つも見つかり、1つでも予後が悪いのに4つもあるため、「絶対、治療を途中で止めないように」と注意は受けた。
CAR-T細胞療法の治験に参加できた
自家移植後1年半は問題はなく、維持療法を続けていたが徐々にカッパの数値が増えてきて、医師から再発を告げられた。
「多発性骨髄腫の新薬が次々に登場してきていた頃で、たとえ再発しても大丈夫だと思っていました」
しかし、新薬を使用しても一旦は効果があるものの、すぐに効かなくなるという繰り返しが2019年7月くらいまで続いた。
「丁度その頃にCAR-T細胞療法の治験の話があり、治験を受けられればいいな、と思っていました。しかし、自分のように治験を受けたいと思っている人は沢山いるし、受ける条件も厳しかったので諦めてもいました」
ところが、治験予定者が体調の悪化で受けることができなくなった。そこで、治験を受けられるか調べてもらうと、参加条件に合うと判明して治験参加が急遽決まった。2019年9月のことだった。
CAR-T細胞療法とは患者のリンパ球を採取してアメリカに送り、遺伝子を導入して日本に送り返し患者の体内に戻すという治療法で、簡単に言えば患者自身の免疫細胞を強化する治療法だ。
2019年10月に入院、CAR-T細胞療法の治験を受けた。副作用としてサイトカインストームという全身へ強い炎症症状が現れ、そのため1週間くらい高熱が続き苦しんだ。
「それ以外は、下痢が多少あったくらいです」
CAR-T細胞療法の効果が続かずショック
無事、治験を終え2019年11月初旬に退院する。
「退院後は無治療で過ごすことができ、体はすごく楽でした。それまでは抗がん薬での維持療法で、副作用も軽く『全然平気じゃん』と思っていました。でも無治療の状態と比べるとつらかったと気づき、抗がん薬を使わなければこんなにも楽なんだと思いました」
しかし、この状態は長くは続かなかった。治験の13カ月後にまたまた再発。
「CAR-T細胞療法が2年とか3年は効果があるものだと思っていたのに、13カ月しか効果が続かなかったことにショックを受けました」
その頃に承認された新薬を試したのだがあまり治療効果は得られず、2回目の自家移植をすることになった。
「新しい抗がん薬を使用すれば大丈夫と思っていたのに、また入院してきつい治療を行わなければならないことがわかり、『もうだめなんじゃないか』と気持ちが沈んでいました。でも自家移植をする頃には、完全奏功するという根拠のない自信が湧いてきました」
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