自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
カルピンTVさん ユーチューバー
ユーチューバーのカルピンTVさんは大学1年のとき悪性リンパ腫を発症。日本人は非ホジキンリンパ腫のなかのB細胞性リンパ腫が圧倒的に多い中、末梢性T細胞リンパ腫という稀ながんだった。化学療法を行ったのち再発のリスクがあるため、母親をドナーに造血幹細胞移植を受ける。母親とはHLAが半合致だったこともあり、移植後、GVHDに悩まされる。大学を中退し現在、ユーチューバーとして自らのがん体験を発信し続けている。
唾液が呑み込めないほどの喉の痛みと発熱が
現在、ユーチューバーとして活動しているカルピンTV(以下カルピン)さん。その名前の由来は大好きなアニメに登場してくるペットの猫の名前から名付けたという。カルピンさんが悪性リンパ腫に罹患したのは2019年5月のことだった。
「2019年3月末、唾液が呑み込めないくらいの喉の痛みと発熱があったことです。その前の年に扁桃炎になったこともあり、扁桃炎がぶり返したのか、と思い、近所の耳鼻科クリニックを受診しました」
そこで「扁桃炎でしょう」と、医師から薬を処方され帰宅した。
しかし、処方された薬を飲んで2週間経つのに一向に回復する兆しはない。それどころか、鼻水の量が増えて、全身のだるさが増してきて、当時大学生だったカルピンさんは授業を欠席することが増えていった。
3週間経った頃、さすがにこれは何かおかしいと思って別の耳鼻科クリニックを受診する。
しかし、そのクリニックでも同じ扁桃炎との診断で、1週間分の薬が処方された。しかし、その薬を服用しても一向に症状は回復しなかった。
症状が出てから1カ月くらい経った頃、クリニックの医師もこれは普通ではないと思ったのか、市立総合病院に紹介状を書いてくれた。
そこに3日間入院。その間は検査漬けの日々だった。最初は耳鼻科で血液検査、骨髄穿刺。何か違う病気が隠れているかも知れないと、内科に廻されPET-CT検査を行なった結果、脾臓がパンパンに腫れていることが判明する。これは血液系の病気ではないか、と診断され、朝一番にがん専門病院に母親と看護師と一緒に救急車で緊急移送された。そのときはすでに高熱とだるさで、朦朧としていた。
当時19歳だったカルピンさんは、自身の病状について詳しいことは知らされていなかったという。だが市民総合病院の医師は両親には悪性リンパ腫の疑いがある旨を告げていた。
「当時は熱が40℃近く出ていたこともあり、そのつらさで意識が朦朧としていて深く考える余裕はありませんでした。解熱剤を飲めば熱は一時的には下がるんですが、薬が切れるとまた上がってくるその繰り返しの状態でした」
悪性リンパ腫、余命3カ月と診断
がん専門病院に移送されたカルピンさんはそこでも血液検査、骨髄穿刺、PET-CT、MRI検査など一通りの検査を改めて行ない、また喉の生検も行われた。
彼が病名を知ったのはがん専門病院に救急で搬送されて2~3日後のことだった。
「医師からは『血液のがんで白血病と似ている病気だよ』というような説明でした。この時点では、僕は良くも悪くもがんについて良く知らなかったことが幸いして、主治医からの説明もそんなに深刻には捉えていませんでした」
悪性リンパ腫は大きく分けると、ホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫に分類される。非ホジキンリンパ腫はB細胞性と末梢性T細胞性(PTCL)に大別される。カルピンさんは末梢性T細胞リンパ腫と診断された。B細胞性が80%を占めていて、末梢性T細胞リンパ腫は比較的稀だ。
「CT画像では喉、肺、脾臓、腎臓にがんが発生していたようです。そういった深刻な話は僕にはなく、両親に話があり、父親の記憶ではこのままでは余命3カ月くらいだろうと言われたということでした」
血液内科の医師からは初めに「T細胞リンパ腫に10代で罹患するのはとても珍しいケースだ」と言われ、この病院でもあまりデータがないと言われた。
「僕が入院した時期がゴールデンウイークと重なるタイミングだったこともあり、先生やスタッフも休みに入る前に全部検査を終わらせて1日でも早く抗がん薬治療を始めるぞ、といった流れがあり初めは過去のデータ上確率の高い抗がん薬を使って治療を進めていくという話でした」
治療は化学療法が中心で、多剤併用療法(代表的なものにCHOP療法)が行われる。
最初の抗がん薬を1クール使用。進行は止まっているもののがんは消えることはなく、ほとんど効果がみられなかった。また副作用も強く、脱毛、吐き気、倦怠感、手足のしびれ、下痢の症状などがみられた。
2つ目の化学療法は1週間、薬を24時間入れっぱなしという投与方法で2クール行ったが、この療法もそれほどの効果は認められなかった。副作用も最初とほぼ同じようなものだった。
3つ目の薬に効果が!
「診察のとき母親も同席していたのですが、主治医から『2つ目の抗がん薬も、3つ目も効果が見られなければ、1年後には厳しいことになる』と告げられていました。その言葉を聞かされたときには、頭が真っ白というか、いま自分が置かれている状況を理解できませんでした。
隣にいた母親を見るとポロポロ涙を流していて、僕は母親が泣いている姿をみてグッときて、僕自身がどうこうというより、涙を流している母親のほうが心配になりました」
「主治医の説明では、3つ目の薬は最近海外でいいデータが上がってきているイストダックス(一般名ロミデプシン)という薬で、それを試しに使用してみることになりました。本当に効くか効かないか評価の分かれる薬だと言われたのですが、僕の場合は充分な効果がありました」
この薬は1日数時間程度点滴を行い、3週間休薬して1クールが終了。2クール目にはかなり効果が見られたため、7月からスタートして翌年の1月まで行った。
状態がかなりよくなったことで一度退院して家で過ごすことになり、1月に退院した。
「それまでも通院でやってみるかという話は1~2回あったのですが、退院予定の前日に体調を崩し取りやめになったりしていて、内心では退院してもまたすぐに病院に戻ってしまうだろうと思っていました」
母親をドナーに造血幹細胞移植を決断
実は2019年9月に医師からこの抗がん薬だけの治療だと効果が続くのは難しく、再発するリスクもあり、その場合また新しい薬を探すとなると大変なことになる。だから造血幹細胞移植をやってみないかという提案があり、現在使用している抗がん薬の効果があるうちに造血幹細胞移植を行うことを決断する。
「医師から事前に相当につらいし、その後遺症としてさまざまなケアを受けなければいけないといった説明は受けていたのですが、自宅での生活に戻りたいというのが一番だったので造血幹細胞手術を受けることを決断しました」
造血幹細胞移植では正常な造血機能を持ったドナーから造血幹細胞の提供を受ける必要があり、患者と提供ドナーは白血球の型であるHLA(ヒト白血球抗原)が完全かあるいは部分的に一致している必要がある。ただ一部が不一致のドナーから移植を受けた場合は、移植後に起こるGVHD(移植片対宿主病)のリスクが高くなり苦しむといった課題がある。
「母親とはHLAが半合致だったので、できれば半分以上合致しているドナーさんを血液バンクで捜してもらったのですが、結局見つからず、母親から提供を受け造血幹細胞移植を行いました。前処置として最初に使用した抗がん薬を大量投与し、それと同時に放射線照射も行いました。その後、造血幹細胞移植を行ったのですが、3日間くらいは、体がだるくもちろん食欲はなくしんどい状態が続きました。でも3日間が過ぎた頃から徐々に体が回復して、退院することができました」
入院している成人の中ではカルピンさんが一番若く、看護師さんたちから心配されていたが、精神的に落ち込んだり、気持ちが不安定になることが少なかった。それが逆に心配だと言われたことがあったという。
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