恵まれている日本の医療環境 しかし〝後進国〟にはならないで 十二指腸がんを経験したジャーナリスト・辛坊治郎さん(57)

取材・文●西条 泰
撮影●矢澤亜津砂
発行:2013年12月
更新:2019年7月

  

関西を中心にテレビのニュース情報番組のキャスターとして活躍する辛坊治郎さんに十二指腸がんが見つかったのは、去年(2012年)の12月。内視鏡手術を受け、6月にはヨットによる太平洋横断を試みた。自らの体験を、患者として、そしてジャーナリストとして振り返る。

しんぼう じろう
1956年鳥取県生まれ。すぐに埼玉に転居し、大学まで過ごす。早大法学部卒。読売テレビにアナウンサーとして入社。朝番組を中心に活躍。解説委員長などを経て、大阪綜合研究所代表。関西ローカル番組に加え、土曜朝の「ウェークアップ!プラス」などで全国放送のキャスターを務める

2012年夏、辛坊さんに1つの「プロジェクト」が持ち込まれた。米国在住の目の不自由なセーラー・岩本光弘さん(46)と2人で太平洋を横断しないかというものだった。全盲のセーラーを含めた2人が太平洋横断に挑戦するのは、初めてのことだった。

辛坊さんは、大学時代にヨット同好会で活動して以来、ヨットの魅力、海の魅力に取りつかれていた。プロジェクトは、岩本さんを支援する米国の団体が打ち上げたもので、スポンサーもメディアも付いていなかったが、2つ返事で受け入れた。

「引き受けたからには、途中で離脱はできません。健康を崩して、というのが心配だったので、人間ドックを受けました」

思えば、2年ほど、健康診断からは遠ざかっていた。10月、何度もかかっているクリニックで基本コースを受診した。

「胃がん検診で、3000円プラスすれば内視鏡検査ができるって聞いたんです。お願いしました」

鼻から挿入する内視鏡で検査を受けた。その即断が、吉と出た。

十二指腸に腫瘍 すぐに治療を行う

「ほとんどの項目で異常はなかったのですが、胃の内視鏡検査で(胃に続く)十二指腸に腫瘍があるという結果が出たのです。AからEのうち、E判定です。すぐに病院に行きなさいという意味でした」

自身も画像を見た。言われるまま、大きな病院に行った。

「腺腫または腺がんの疑い」と告げられた。どちらなのかは、手術で取った部位の病理検査を経なければわからないということだった。

「治療は早いほうがいい」と急かされた。医師は、十二指腸がんについての説明をした。がんの中では珍しいこと、初期の内視鏡切除でも数日の入院が必要なこと、臓器の特徴として傷口が塞がらず大量出血が有り得ること――。

しかし、辛坊さんは全く動じなかった。

「生まれながらの楽観主義なんです。がんのはずがないと思っていました。にきびの大きなものかな、くらいに」

太平洋横断までの準備スケジュールとテレビ出演の都合を考え、入院を12月下旬に設定した。

楽観的な考えが一転 事の重大性に気づく

「週末のニュース情報番組では政治家らそうそうたる面々の話をテキパキと〝交通整理〟していく(読売テレビ提供)」

旧知だった建築家の安藤忠雄さんに相談し、病院を紹介してもらった。安藤さんも数年前に十二指腸がんを経験していたからだ。

「安藤さんの場合は、私よりも難しい部位にがんが発見されたそうです。大変な手術らしかったのですが、私の場合はそこから5㎝ほど、胃のほうにずれていたんです。『よかったですね』と励まされました」

奥さんにも、楽観的に報告した。

「『人間ドックで、何かあったから病院に行ってくるわ』『念のために入院したほうがいいって言うから入院する』『取ったほうがいいって言うから1週間くらい入院かな』って感じでした。

全部終わった後で、すべてを話しました。正確なことを伝えると、心配させるだけという気持ちがあったんです」

そして、12月下旬、内視鏡切除のために入院した。入院翌日、「手術前ならいいですよね」と医師に確認し、患者識別のためのリングを右手首にはめたまま、レギュラーの情報番組に生出演した。自分の状況を、カメラを通してありのままを話した。

テレビ局からトンボ返りしての手術室。内視鏡で切除したのは、1・5㎝の腫瘍だった。施術から1週間後、辛坊さんは医師の言葉に初めて震えた。

「いい知らせと悪い知らせがあります」。病理検査の結果だった。「紛れもなくがんでした。でも、取り切ることができました」

辛坊さんは、事の重大性に初めて気づいた。父親は肺がんで亡くなっていた。義理の弟は膵がんで早逝していた。自分は助かった。

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