早期発見、治療が何より 早い処置が大切なのは政治も同じです 若き日に甲状腺がんの手術を受けた政治家・小沢一郎さん(71)

取材・文●西条 泰
撮影●向井 渉
発行:2014年1月
更新:2018年3月

  

おざわ いちろう
1942年東京生まれ。3歳で岩手県に。慶応大学経済学部卒、日本大学大学院法学部中退。69年、旧岩手2区で衆議院議員初当選。以降15回連続当選。国家公安委員会委員長などを歴任し、89年自民党幹事長。93年に自民党を離脱し新生党を結成。以後、自由党、民主党などを率いる。2013年1月から生活の党代表。趣味は囲碁、釣り

衆議院議員を半世紀近く務める「生活の党」代表の小沢一郎さん。47歳で自民党幹事長、その後は新しい党を率いて日本のあり方を模索してきた。常に政治の中心にいた〝剛腕・小沢〟だが、議員初当選直後の甲状腺がん発症はあまり語られていない。小沢さんの健康に対する〝秘策〟はあるのか――。

27歳で初当選 直後に首に異物感が

「実は僕もがんをやりました。甲状腺です」

2007年のテレビ番組で、小沢さんは唐突に自身のがん闘病歴を話し始めた。番組の司会は、直腸がんと闘うジャーナリストの鳥越俊太郎さんだった。

「初当選直後に甲状腺がんが見つかったと明かしたんです。鳥越さんもがんで何回も手術したという話から、『実は私も経験しています』と。周りの人たちは初めて聞く話にひどくびっくりしていましたね。隠すつもりはなかったけど、しゃべって歩くことでもないから、話す機会がなかったということでしょう」

がんが見つかったのは、1970年の春。

69年暮れの衆議院選挙に27歳で、当時の岩手2区から立候補すると、トップ当選を果たした。その直後だった。

「僕の場合は、何となく首に触ったときにコロコロしたものを感じたのです。『何かなあ』と思って町のお医者さんに通っていました。扁桃腺でもないし、いつまでたっても消えないから、いとこがいた東北大学附属病院に行って、コロコロを切り取って生体検査をしてもらいました。調べたら悪性とわかりました。それですぐに手術したわけです」

手術は成功した。

「がんというとみんな驚くし、なかなか医者に行かない人が多いようです。がんと診断されるのが怖くて。結局それが手遅れになってしまう。僕が40年前に助かったのは、やはり早く診てもらったのがよかったのだと思います」

声が出ない!政治家生命に暗雲?……

多彩な趣味のひとつは釣り。無心になれるひと時だ

小沢さんは、戦火が激しくなろうという1942年、東京で生まれた。父は建設大臣などを歴任した政治家の佐重喜氏。生まれて間もなく父の出身地である岩手県水沢市(現奥州市)に疎開した。

東京の高校、大学を経て、大学院で弁護士になるための勉強をしている68年、佐重喜氏が急逝してしまう。小沢さんは人生の転換点を迎えた。父の後を継ぐ形で翌年の衆議院選挙に挑戦という道を進んだ。環境の急激な転換が心身への負担となっていたのかもしれない。

手術は成功した。しかし、小沢さんには悩みが残った。声がかすれて、まともに言葉にならないのである。

「のどを切ったから、癒着があったのかな。声が出なくなっちゃった。政治家として、声が出せないというのは致命的です。選挙区に帰るわけにもいかず、東京でやるせない時間を過ごしていました」

そんな数カ月が過ぎたころ、岩手県花巻市長選挙があった。後援会から地元選出の若き衆議院議員に応援演説を求めてきた。

「どうしても来てくれということになって、これで街頭演説のときに声が出なかったらもう政治家を辞めようと決意しました。花巻の街頭で、でっかい声を張り上げてみました。そうしたら声が出るようになったんです。それ以降、のどは全くなんでもありません」

政治家・小沢一郎は、大声とともに最初のピンチを切り抜けた。

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