継続は力なり、がんとは統合療法的に闘う 大腸がんと肝転移と24年間闘った精神科医・星野仁彦さん(66)

取材・文●西条 泰
撮影●向井 渉
発行:2014年3月
更新:2019年7月

  

ほしの よしひこ
1947年福島県会津若松市生まれ。1973年福島県立医科大学卒業、神経精神科入局。1984年米国エール大学児童精神科留学。1990年大腸がん発見、手術後肝臓への転移発見。1991年福島県立医大神経精神科助教授。2003年福島学院大学福祉心理学部教授。著書、新聞連載など多数
ガンと闘う医師のゲルソン療法 [ 星野仁彦 ]

大腸がんが肝臓に2カ所転移すると「5年生存率は0%(当時)」――。
福島県の大病院で精神科医として活躍していた星野仁彦さんが衝撃のデータを知ったのは42歳の時。
熟考したうえで取ったのは栄養療法だった。
24年間、がんはなりを潜めている。

精神科医を襲った激しい心の嵐

1990年3月、福島県立医科大学に精神科医として勤めていた星野さんは、左の下腹部に鈍い痛みを感じるようになった。下血もあった。日に日に重くなる症状に、星野さんは同じ大学病院でバリウムを注入しての検査を受けた。

画像を見ながら説明しようとする内科医が話し始める前に、星野さんが口を開いた。

「これは大腸がんですね」

S字結腸にはっきりとした影があった。

「24年も前になりますね。42歳の働き盛りです。がんなんて全く思ってもいなかった。晴天の霹靂だった」

しみじみと振り返る。生検で病理学的に大腸がんと確定された。がんの大きさは4㎝ほどと見られたが、数日後に開腹手術をしてみると、かなり広がっていた。大腸の壁を破り、リンパ節にも転移していた。広範囲な切除をする手術は成功したが、執刀医は「5年生存率は高くても20~30%」と告げた。再発や転移の危険度が高かった。

手術を経て、5月には忙しい職場に戻った。精神科と心療内科を受け持つ星野さんだが、とくに専門としていたのは、子供の心の病気だ。

「私も児童期や思春期には大いに悩みました。そして、人の心に興味を持ちました。それが専門になったのです。不登校、引きこもり、発達障害、自閉症、アスペルガ―症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、摂食障害、家庭内暴力……。患者さんは全国からきています。専門家がいないからです」

多忙な日常の中で、「自分だけは再発しない」と楽観的になろうとしながら、「気休めのようなもの」で抗がん薬を服用していた。

しかし、星野さんを待っていたのは、さらに深刻な事態だった。職場復帰後に体のだるさを感じ、次第にそれが重くなっていった。10月に肝臓への転移を疑ってエコー検査を受けたところ、転移したがんが肝臓の2カ所に見つかった。直径は1・5㎝ほどだった。

「国立がんセンターのデータで、大腸がんが肝臓に2カ所転移した場合の5年生存率は0%(当時)と知りました」

激しいショックを受けた。

「私は精神科の医師ですが、心の嵐に見舞われました。抑うつ気分、無気力、絶望、不安、焦燥、家族への罪悪感などのうつ状態、そして生きている現実感がなくなる離人状態にも陥りました。がん患者ならだれもでそうなってしまうでしょう」

星野さんは、自分の取るべき道を考えた。

偶然、書店で出合った「ゲルソン療法」

星野さんは、抗がん薬を止めた。

「抗がん薬が非常に有効ながん種もありますが、胃がん、乳がん、大腸がんなどには効果があまり期待できないと思います。抗がん薬が正常な細胞に作用してしまうという危険も周知の事実です。全身に回ってしまった微小ながん細胞を抗がん薬で殺すというのは無理です。実際、私も半年間服用しましたが、再発を予防できませんでした」

星野さんは発想を変えた。

「まずは肝臓の腫瘍を取り除くこと。そして、がんが増殖しないように、体を変えていかなければと思いました」

肝臓の腫瘍は、当時は開発されて間もなかったエタノール局所注入法(PEIT)を選んだ。

「肝臓のエコー検査をしながら、皮膚の上から長い注射針を腫瘍に刺してエタノールを注入する方法です。腫瘍はアルコールに弱いので、壊死します」

治療は成功して、2つの腫瘍は壊死した。次はがんを再発させない体づくりだ。

「お見舞いに来てくれる人たちの多くが代替療法の本を持ってきてくれました。もちろん、知人には医師も多いのですが、彼らも同じでした。現代医学でがんを治すのは難しいという気持ちがどこかにあるのでしょう」

星野さんは現代医学の治療法とは別に代替医療という世界があることを新鮮に捉えた。そして、出合ったのは、たまたま入った書店で手を伸ばした棚にあった栄養療法である「ゲルソン療法」に関する本だった。

「ゲルソン療法のことは全く知りませんでした。患者さんががんになる前のヒストリーが書かれていることが良かった。食生活、アルコール、ストレス、睡眠不足などのゆがんだ生活習慣が重なり、何十年も経過してがんになるのです。大腸がんの事例が3人分ありましたが、私と同じだった。医師という職業柄、症例というのは相当な説得力があるのです。がんになるべき人はなっている」

食卓から消えた大好きな料理

ゲルソン療法とは、ドイツのマックス・ゲルソン医学博士が1920年代に開発した治療法だ。がんを全身の栄養障害・代謝障害ととらえ、食事を変えることによってがんを退縮させたり、再発を予防したりすることを目的とする。

大量の特製生野菜ジュースや無塩食、調味料抜き、脂肪・動物性タンパク質抜きの食事などがその柱となる。

「私はがん細胞を喜ばす食事ばかりを食べていた。塩分、高脂肪、トランス脂肪酸、肉……がんになる人体実験のようなものでした。現代医学で助かる目はないと思い、ワラにもすがる思いでこの方法にかけました」

星野さんは、おいしいものを食べることが好きだった。家に『世界の料理140巻』という書籍シリーズがあり、料理が得意な妻・都さんが毎日のようにイタリア、スペイン、フランスといった各国の料理をつくってくれた。パーティも頻繁に開いていた。しかし、星野さんが栄養療法を始めると言ったとき、都さんは毅然として答えた。

「もう、あなたを喜ばす料理は作らないことにしました」

140巻はすぐ、倉庫の奥に運ばれた。

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