乳がんも再建乳房も私の個性 前よりも元気になりました 非浸潤乳がんで乳房を全摘 同時再建したお笑い芸人・小林アナさん(32)

取材・文●西条 泰
撮影●向井 渉
発行:2014年4月
更新:2018年3月

  

こばやし あな
本名・小林聖子。1981年長野県生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。2004年新潟テレビ21入社。アナウンサーとして約3年活躍後、お笑い芸人としてサンミュージック所属。FMラジオNACK5「おに魂」毎週木曜20時からレギュラーパーソナリティ。趣味は1人旅、カラオケ

「私、乳ガンになりました」――ストレートなタイトルでブログを綴ったのは、元女子アナウンサーで、今はお笑い芸人の小林アナさん。2013年の春、右乳房の全摘手術を受けた。「なんで取らなきゃいけないの?」というショックから立ち直れた思考の転換とは――。

ブログで公表「私も励まされた」

乳がんを告白した小林さんのブログ

 ここ二ヶ月間
 療養ということで
 仕事をお休みしていましたが
 その理由は
 『乳ガン』になってしまったからです。

2013年7月4日、小林さんは自身のブログで、がん闘病を明かした。人々に笑いを届ける仕事をしていながら、深刻なイメージを醸してしまったり、同情の眼を向けられたりするようでは芸人としてマイナスなのではと悩んだが、思い切って書き始めた。かなり長い文章に、笑いを誘うギャグや自虐は交えなかった。

「私という人間そのものを受け入れてもらおうと思いました。前向きな気持ちで書きました」

出会った人々への恩返しでもあった。

痛くて嫌いなマンモグラフィを受けたわけ

東京都に住む小林さんのところに、地元の自治体から子宮頸がんの無料検診クーポンが届いたのは13年の年明けだった。30歳を超え、検診の案内が来たのは2度目だった。

1回目は「忙しかったし、何となく大丈夫かなと思って」行かなかった。2回目の案内には「行ってみようかな」と思い直した。別料金ではあるが、乳がんの検診も併せてできることが目に付いたからだ。

「母が40歳で乳がんを経験していたので、人よりは気にしていました。3年前に1度検査を受けましたが、異常なしということでした。この機会にまた受けておこうかなと思ったのがきっかけでした」

2月8日、地域の中核病院に行った。子宮頸がんの検診はすぐに終わった。

次は乳がん検診だ。マンモグラフィによる検査は痛いからホンネでは敬遠したいのだが、それよりも「安心材料にしたい」と思う気持ちが強かった。

マンモグラフィの前に触診があった。しこりはまったくなかった。

「中学生のころ、母の胸のしこりに触ったことを強く覚えていて、乳がん=しこりというイメージでした。大丈夫だと思いましたが、次にマンモを受けました」

10分で終わったが、やはり、痛かった。

検査で見つかった 胸の小さな異常

1週間後、検診の結果が郵送されてきた。

「何もないだろうと思い込んで気楽に開けましたが、2度見直しするぐらいびっくりしました」

子宮頸がんは異常なしだったが、乳がんは要再検査。右の乳房内に「石灰化」が見つかったという。

長野に住む母・早苗さんに精密検査を受けることを報告した。耳慣れない単語をインターネットや本で調べた。石灰化には良性と悪性があるが、悪性の可能性は低いという記述が多かった。安心しようとする一方で、怖さも増していった。

地方テレビのアナウンサーからお笑い芸人に転じて7年、試行錯誤のうちに芸風も磨かれ、テレビやラジオにレギュラー番組を持っていた。

「仕事にも心理的影響がありました。自分の役割は明るさを届けることです。がんへの恐怖を顔には出さないようにしていましたが、浮き沈みがあったのでは……」

再検査を受けた。医師には母のがんのことも話した。乳房の組織を取り出して調べるマンモトーム生検が行われた。

2週間後、結果を聞きに病院に行くことになっていたが、前日に担当医師から直接電話がかかってきた。「どちらとも言えないグレーな状態。いろいろな病院に回して診てもらっているから、もう1週間待ってほしい」と言われた。

「まずいな。もしかしたらがんかも」

がん告知に涙 乳房は切りたくない

芸風に磨きがかかったときにがんが襲ってきた

待たされた結果を聞きに行く日がきた。一人で行った。早苗さんは「がんだったら家族を呼ぶから大丈夫だよ」と電話で言ってくれた。

予約していたのに順番が後回しになった。最後に呼ばれた。部屋に入ると、医師は浮かない表情をしていた。座った瞬間に「結果ですが、がんでした」と告げられた。

「がん告知ってこんなにあっさりしているんだ、ってびっくり。覚悟はしていても、いざとなると頭は真っ白――」

医師の説明が耳に入って来た。乳がんで、ごく早期の非浸潤がん。転移もない。うなずきながら聞いていた。医師が「今の時点でどのような治療を受けようと思いますか?」と問うた。初めて口を開こうとした瞬間、涙が出てきた。

「切りたくありません……」

そう言うのが精いっぱいだった。しかし、医師は乳房温存手術ではなく、全摘を勧めた。石灰化が広範囲に見られ、がん化のリスクが高いこと、乳がんの家族歴、年齢が若く再発のリスクが高い――が理由とされた。

「大きな部分を取ると胸の形もかなり変わってしまうから、最初から全摘して乳房を再建したほうがきれいになる、と選択を迫られたときに泣けました。何も考えられず、『とりあえず時間をください』と答えを出さずに帰りました」

長野の早苗さんに電話した。冷静なつもりだったが、「がんだった」と言ったらまた涙が出てきた。電話の向こうの早苗さんは毅然として言った。

「あなたには今日、生放送があるんだから泣いてないで頑張ってきなさい」

その日は乗り切れたが、生放送の内容は記憶にない。

「放心状態でラジオのバラエティをやっていました。いつもと変わらず乗り切らなくちゃと、がむしゃらだった」

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