何度がんになっても諦めない 探せば必ず出会いがある 咽頭がん、大腸がん……再発・転移にも負けない落語家・三笑亭夢丸さん(68)
1945年横浜生まれ。本名・坂田宏。横浜市立金沢高校卒業後、三笑亭夢楽に入門、夢八に。1978年真打昇進、夢丸。20代からテレビの情報番組のレポーターとして、「ルックルックこんにちは」「3時のあなた」「ウィークエンダ―」など多数の番組で活躍。50代から噺家としての活動に専念し、江戸を舞台にした新しい落語の展開を図っている。趣味は釣り
落語家の三笑亭夢丸さんが鼻の奥の違和感に気付いたのは4年前。あれよあれよという間に幾種類ものがんとの闘いに突入した。声が出ないという、落語家としての死線も乗り切った。今、ともにがんと闘う同士に伝えたいことは――
体験談を明かすことにしました。
「噺家の場合、お客さんの気持ちが暗くなってはいけないから、病気はタブーなんです。私は治療しながらも知らん顔して寄席に出ていました。でも、そろそろ正直に〝治った〟ことを話せば、がんの人々を励ませるのではないかと体験談を明かすことにしました。積極的にお役に立てるならば話したほうがいいのではないかと……」
夢丸さんが最初に違和感を持ったのは、2010年の春だった。右の鼻の様子がおかしく、近くの耳鼻科に行くと、炎症があると言われた。たばこが原因かなと思った。
一方、そのころテレビCMで「医療機関にかかることで禁煙を実行しましょう」というキャンペーンが繰り広げられていた。
「噺家は信頼している人と約束したら、それを守る。お医者さんと約束したらたばこを止められるはず、と思ったのです」――病院に行く決心をした。
中咽頭に2cmのがん 放射線治療で乗り切る
知り合いの医師がいる大学病院に相談に行った。医師は「とりあえず痰を吐いてよ」と言った。そのときは「そんなに簡単に吐けるもんじゃないだろ」と軽口を言う余裕があった。
しかし、事態は軽くなかった。すぐに電話が来た。「悪いものが見つかりました」。
結果は中咽頭がん。紹介された国際医療福祉大学三田病院の鎌田信悦医師を訪ねた。検査薬でがん細胞に目印をつけるPET検査で、中咽頭に2cmのがんがあり、リンパ節も光っていた。ステージはⅢ。放射線治療をすることになった。
放射線治療は10年4月に始まった。中咽頭と転移している近くのリンパ節への照射が毎日行われ、計32回、合計の線量は66グレイだった。「体が疲れるんです。照射自体は2分くらいなのですが、なぜかクタクタになるんです」
苦しい治療を受けた甲斐があり、がんはどんどん小さくなっていった。「がんは大した病気じゃないな」と思った。
リンパ節で再発 そして、大腸がんも……
退院後、すぐに寄席の高座に出た。しかし、11年が明けた3月、PET検査の結果、リンパ節にがんが再発していることが判明した。放射線治療は2度できない。外科手術が選ばれた。
「ザーっと裂いて、そのあたりのリンパ節を全部取りました」
夢丸さんはあっさりと振り返るが、手術は4時間半かかった。右側の首を大きく開いての大手術を経て、夢丸さんはこう思った。「今度こそ、もう大丈夫」
しかし、「大丈夫」ではなかった。別の検診で大腸がんが見つかり、内視鏡による切除術を受けた。
「咽頭がんになったことがきっかけで受けた検査で見つかったのだから、よしとしなければ」夢丸さんはここでも、前向き思考を貫いた。
上咽頭がん 「もうしゃべれないかも……」
がんの侵攻は、夢丸さんの強い意志に対抗するように続いた。12年、上咽頭がんという形で再発してしまう。外科手術をするしかなかった。これまでの施術とは次元が違っていた。
「『もう、しゃべれないかも』と説明されました。噺家を辞めることは、私には絶望的なことです。しかし、弟子たちも、家族も『死んでくれるな。何とか生きてくれ』と言ってくれました。そこまで言ってくれるならば、手術をするしかありません。たとえしゃべれなくなっても……」
12年4月に手術を受けた。鎌田医師による手術は9時間半に及んだ。顎の骨を割って、耳の後ろまでざっくり開いた。あとで夢丸さんが医師から見せてもらった写真には、鎌田医師が大きく足を開いて夢丸さんの顔の上に仁王立ちしてメスを振るっている様子が写っていたという。
顎の部分を切除すると、顔の形が大きく変わってしまう。それでは、高座に上れない。左足の内腿を20cm ほど切って、口腔内に移植した。入院は1カ月半にわたった。記憶が半分ない。幻覚が見えた。カーテンにいろいろなものが見えた。「幻なんです。不可思議な夢もずいぶん見ましたね」
口蓋垂切除 噺家としての意地
夢丸さんを悩ませることは、これに収まらなかった。現実の深刻な事態が待っていた。口蓋垂(いわゆる〝のどちんこ〟)が切除されたのだ。
「のどちんこがなくなると、かきくけこ、さしすせそ、たちつてとの発音ができなくなるんです。そして、落語で重要な『ばか野郎』の〝ば〟などの破裂音が出せない」
噺家として必要なものを奪われた気がした。声帯は無傷で残っているだけに、なおさらやるせなさが募った。
「覚悟はしていたが、噺家がお客の前で話ができないという寂しさは、絶望感以外の何ものでもなかった。あー、話がしたいな、落語がしゃべりたいなという気持ちで一杯でした」
そんな中、手で鼻をつまめば、声が出ることがわかった。「開き直って鼻をつまんでしゃべろうかな。がんだとお客さんに分かってもいいと思いました。『あいつの芸は臭い芸』として受け取ってもらえればなと」
そんなころ、妻の八重子さんが思いついた。「鼻をつまめば話せるなら、シンクロナイズドスイミングのような鼻栓をしてみたら……」。弟子たちが都内のスポーツ用品店を回っていろいろ集めてきた。残念ながら転用はできなかった。
しかし、この発想が次の展開を生んだ。一人息子が、岡山大学病院に手で鼻をつまむ代わりに鼻の穴に詰め物をする治療を考案した医師がいることを調べ上げた。夢丸さんはすぐに新幹線に飛び乗った。
同病院の皆木省吾医師が提示した鼻栓のような器具は、夢丸さんにジャスト・フィットした。天の恵みだった。外見的にも装着していることがわからない。夢丸さんはそれを付けて、高座に復帰する決意をした。
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