がんを経験したからこそ、自分自身の生き方に確信を持った 大腸がんと後遺症の腸閉塞を経験したシンクタンク社長で作家の青山繁晴さん(62)
1952年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学卒業後、共同通信に入社。その後、三菱総合研究所に入社し、02年独立総合研究所を設立、代表取締役社長兼首席研究員に就任。主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし、各省庁の専門委員などを無償で務めている
がん告知の予感の中で、「心は晴れやかな気持ちになりました」。こう語るのは、外交・防衛、エネルギー安全保障、危機管理の専門家である青山繁晴さん。がんを経験したからこそ、これまでの自分自身の生き方は間違っていなかったと、確信を持つことができたという。
肉色の巨大なポリープ
青山繁晴さんのがんが見つかるきっかけは、たまたま受けた人間ドックだった。2010年11月初旬、人間ドックで大腸内視鏡検査を受けた青山さんの目は、モニター画面に釘付けになった。肉色の巨大なポリープが映し出されていたのだ。
青山さんは12月末に1泊2日で入院し、ポリープをレーザーで焼き切る手術を受けた。切除されたポリープは直ちに病理検査に回され、その結果を年明けの1月に聞きに行くことになった。
このとき、青山さんはがんが見つかる可能性が高いと感じていた。ポリープのブクブクと醜く大きくなっている姿が、通信社に勤務していたころ医学記事の取材で目にした悪性腫瘍とよく似ていたからだ。
ただ、がんの予感はあっても、不安に駆られるようなことは全く無かった。それどころか、彼の心の中にはどこかわくわくした感じがあった。もしがんであれば、自分なりに組み立ててきた死生観を試す格好の機会になると思ったからである。
私を脱することで死の恐怖を克服
姫路藩の父、津山藩の母といずれも武家の家系に生まれた青山さんは、両親から武士道教育を受けて成長した。武士道教育と言えば「死を恐れず公に奉仕する精神」といったことが基本になる。そのため彼は小さいころから、死を強く意識するようになった。
「子どものころは死ぬのがとても怖かったんです。どうしたら死を恐れずにすむか、死を超克する道のりが僕の人生であったといっても過言ではありません」
その中で青山さんはあることに気がつく。「私というものにこだわり過ぎる以上は、死の恐怖から逃れられない。私を脱して、人のため、広くみんなのために生きること。命を自分のものだけと考えるのではなく、子々孫々に伝えること。それこそが、命の本質だということがわかったんです。そしてそれを頭の中でわかるだけでなく、実現できるようになって、初めて死の恐怖を克服することが出来ました」
こうして青山さんは、自分なりに確固たる死生観を持つに至ったという自負があった。それゆえ死病のイメージが付きまとうがん告知を受けたとき、それが本物かどうかを見極めるいい機会になると思ったのだ。
がん告知でも 心は揺らぐことがなかった
青山さんは、病理検査の結果を聞きに行く前の心境を「晴れ晴れとした気持ちになっていました」と語る。
「命に関わるがんであると告げられる可能性もあるわけで、『死生定まる』という気がしたからです。がんの告知を受けるときは、自分がどう変わるか興味津々で、自分の心の中をのぞき込んでいました」
実際、青山さんは医師からのがん告知を明鏡止水の境地で聞くことができた。己の心に寸毫の揺れもなかったことに満足した彼は、医師の説明に淡々と耳を傾け治療方針を話し合った。
下行結腸にあるステージⅠのがん。命に関わることはないレベルである。ただ手術を行う必要があり、10日から2週間ほど入院しなければならなかった。
青山さんは、民間シンクタンク(独立総合研究所)の社長として「民」の力で「官」を改革し、日本を甦らせる実務を続ける一方、エネルギー問題、核セキュリティ、危機管理、外交安全保障の専門家として、各省庁の委員などを務めている。講演も多数こなしており、レギュラーで参加しているテレビ・ラジオ番組も1つや2つではない。
そのため、がんの告知を受けたとき真っ先に思ったのが、仮に転移の危険が増しても先約の仕事を優先しつつ、どう入院・手術の日をひねり出すかだった。
まず医師と交渉し入院を1週間に短縮、調整中だった欧州での講演だけを延期することで日程を確保、2月に入院し、手術を受けることになった。
耐えられないほどの術後の痛み
手術は病院の副院長の外科医が担当。15㎝ほど下行結腸を切除して、手術自体は無事終了した。しかし、術後にナイフで刺されたような激しい痛みが襲ってきた。
「追加で麻酔を打ってもらっても痛みがとれなくて、それが2晩続いたんです。ナイフでグサグサ抉られるような感じで、通常あり得ないほどの痛みでした」
しかし、これも3日目には和らぎ、それ以降は順調に回復していたため、予定通り1週間で退院の運びとなった。しかし、大腸がんとの闘いはそれでは終わらなかった。
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