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大腸がん、膀胱がん、食道がん、胃がんを経験しながらも、
芸能界の第一線に立つ俳優・歌手の黒沢年雄さん(70歳)

がんで立ち直るたびに 生きる自信を持てるようになった

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
(2014年11月)

くろさわ としお
1944年神奈川県生まれ。1964年、東宝映画第4期ニューフェイスに合格。美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ主演の『三人よれば』でデビュー。1966年『ひき逃げ』でスター新人賞受賞。1978年『時には娼婦のように』が大ヒット。近年は講演、バラエティなど幅広く活躍。現在「友情 昭和ヒット歌謡ショー」を全国各地で開催中

「昨年(2013年)はちょっと〝がんの当たり年〟だったなぁ」。こう笑いながら話すのは、俳優・歌手の黒沢年雄さん。大腸がん、膀胱がん、食道がん、胃がんとこれまで4つのがんを経験し、昨年に関しては、4度も手術を受けているというから驚きである。

「がんで立ち直るたびに元気になり、生きる自信を持てるようになった。それは〝つらい〟〝苦しい〟を楽しんで生きてきたご褒美だと思っている」。力一杯感謝して、楽しんで生きる。黒沢さんのがんとの向き合い方とは――。

48歳の働き盛りで見つかった大腸がん

黒沢さんが大腸がんを告知されたのは1992年、48歳のときである。発見のきっかけになったのは下血だった。

「平成4年(1992年)の正月休みに、家族とハワイでのんびり過ごしていたんですが、ホテルのトイレで用を足した際に、血が大量に出たんです。実は、その3年くらい前から、血便が出ていて、かかりつけの医者に診てもらったら『痔ですよ』と言われて座薬を入れていたんです。でも、このときの下血で、やっぱり痔なんかじゃない。これは、ただ事じゃないと思いました」

帰国後、黒沢さんはテニス仲間である外科のK医師に事情を話し、助言を仰いだ。K医師は消化器外科が専門で、当時、茨城県にある総合病院の院長をしていた。

黒沢さんの話を聞いたK医師は、大腸がんの疑いがあるので、なるべく早く内視鏡検査を受けるように勧め、都内の公立病院ですぐに受けられるよう手配してくれた。

早速その病院を訪ねて内視鏡検査を受けたところ、S状結腸にポリープが見つかった。病理検査の結果は陽性。ポリープの上層部ががん化していた。

それを受けて黒沢さんは、K医師が院長を務める総合病院に入院し、がん化したポリープを内視鏡で切除してもらった。

転移の可能性を考え、再手術へ

当初はこれだけで済むはずだった。しかしK医師は切除したポリープが予想以上に大きかったため(2.2 × 1.8㎝)、リンパ節に転移している可能性が皆無ではないとして、黒沢さんに改めて開腹手術をし、ポリープ周辺の腸管とリンパ節を切除することを勧めた。転移の可能性は僅かしかないのに、そこまでする必要があるのだろうか?

黒沢さんは迷いに迷ったが、結局受けることにした。万が一、転移があった場合、数年で死を迎え、奥さんと娘さんに何もしてやれなくなると思ったのである。

黒沢さんには、最愛のお母さんが喉頭がんになり、40歳の若さで、夫と4人の子供を残して他界したつらい記憶があった。亡くなる前日、お母さんは長男の年雄さんを呼んで、「弟たちを、頼んだよ」と言い残し、それを最後の言葉にして息を引き取った。それは黒沢さんにとって、耐え難いショックだった。

母親と同じ〝がん〟という病になったことで「お袋の気持ちがよくわかった」と話す黒沢さん。家族からの勧めもあり、黒沢さんは開腹手術を受ける腹を固めた。

大腸がんをカミングアウト

黒沢さんは3月に同じ病院に再度入院、翌日に院内で記者会見を行って、各メディアに大腸がんが見つかって後日手術を受けることを伝えた。当時は、がんをひた隠しにするのが芸能界の常識だったが、なぜカミングアウトしたのだろうか?

「誰だか知りませんが僕ががんで入院することを知った人間が、週刊誌に知らせたようで、取材申し込みが来たんです。それならばと、正々堂々と公表することにしました」

記者会見に集まった記者たちは、会見場に姿を見せた黒沢さんを見てどよめいた。ウェーブがかったワイルドなヘアスタイルから坊主頭になっていたからである。そこには、黒沢さんの静かな決意があった。

「手術が終わったら、自分を変えよう。これまでとは違う黒沢年雄を見せてやる」

当時は髪の毛が薄くなっていたことにコンプレックスがあり、パーマをかけていた黒沢さんだったが、この手術を機に、恥ずかしい部分もさらけ出し、ありのままの自分を世の中に見てもらおうという気になっていたのだ。

後日、K医師の執刀のもと開腹手術が行われ、手術は2時間ほどで終了した。手術後、K医師からリンパ節転移はなかったことを告げられた。

手術後に課したスパルタ・リハビリ

大腸がんの手術後の様子。黒沢さんはいち早く回復するため自らにスパルタ・リハビリを課し、手術後すぐに廊下に出て、歩くリハビリを始めた

黒沢さんは誰よりも早く回復してやるという意欲が旺盛で、手術後は自らにスパルタ・リハビリを課すことを決意していた。手術当日の午後、集中治療室で麻酔から覚めると早速歩行を開始、点滴ホルダーにつかまりながら廊下に出た。

開腹手術の直後なので、少し動いただけで切開部にカミソリで切られたような痛みが走ったが、近くの待合室から、

「あれ黒沢年雄じゃない? テレビと同じだね」

「ホントだ。手術終わったばかりなのに、もう歩いている。やっぱり凄いね~」

といった話し声が聞こえてくるので、痛さに顔をゆがめて立往生するわけにはいかない。昔気質なところがある黒沢さんは、自分に熱い視線を注ぐ人たちに軽く手を振って応えながら、各階に足を運び、医師や看護師さんたちを驚かせた。

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