声が出ない日々――。廃業の恐怖と隣り合わせでした 喉頭がんで一時的に声を失ったものの、見事「笑点」に復帰した落語家の林家木久扇さん(77歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年2月
更新:2019年7月

  

はやしや きくおう
1937年東京都出身。高校卒業後、森永乳業に入社。その後漫画家を目指し、清水崑氏に師事。60年に清水氏の紹介で三代目桂三木助門下へ入門し落語家になる。林家木久蔵を名乗り、72年に真打ち昇進。07年に林家木久扇を襲名。現在、(社)落語協会相談役、(社)日本漫画家協会参与など、精力的に活動している

噺家にとって声は命。とくに林家木久扇さんの声は、多種多様なギャグや物まねを演じきることができる超一級の声である。喉頭がんが見つかって放射線治療を受けることになった木久扇さんは、76歳という年齢で、この命にも等しい声を一時的に失うことを余儀なくされた。

内視鏡が捉えたゼリー状の白い病巣

昨年(2014年)7月20日に放送された「笑点」名物の大喜利コーナーで、珍しい光景が見られた。メンバーの1人である林家木久扇さんが冒頭の挨拶で「一生懸命喋っているのに、声が出ないんです。木久扇です」とかすれた声で挨拶したあと、自分が言いたいことを全て右隣の三遊亭好楽さんに耳打ちし、好楽さんが代弁したのである。

客席はその様子を見て大受けだったので、多くの視聴者も、〝木久ちゃん〟が考え出した新趣向だろうと思っていた。

しかし、実情ははるかに深刻だった。声の変調は喉頭がんによるもので、木久扇さんはこの時点ですでに仕事を休んで闘病に入る腹を固めていたのだ。

喉頭がんが見つかったきっかけは、昨年6月に入ってから症状が出始めた、かすれ声と空咳だった。当初、それを風邪だと早合点して近所の内科に行ったが、薬を飲んでもよくならない。そこで奥さんの勧めに従って近くの耳鼻咽喉科を訪ねたところ、内視鏡検査で声門の手前にゼリー状の白いものがあることがわかった。

その医師から大学病院で精密検査をするよう言われた木久扇さんは、2000年に胃がんの手術を受けた大学病院を訪ね、耳鼻咽喉科で診察と検査を受けた。1週間ほどで検査結果が判明、喉頭がんであることがわかった。

「医師から『これは喉頭がんです』と言われましてね。病期はⅡ期です、と。Ⅱ期と聞いたときはドキッとしました。次の段階にいっちゃうところでしたから……。治療法に関しては、選択肢として放射線、放射線と抗がん薬の併用、手術などがあるという説明がありました。ただ、抗がん薬で治療すると、髪が抜けたり、シミが出来たりして嫌だったので、先生には『放射線で治療して下さい』とお願いしました」

幸い、リンパ節への転移はなかった。

医師から示された放射線治療は、高エネルギーのX線や電子線を発生させるリニアックによる放射線照射を、通院で週5回、7週間にわたって受けるというもので、入院の必要はなかった。

「僕は15年前に胃がんで胃の3分の2を切除する手術を受けているんですが、そのときと比べると、放射線治療は薬をたくさん飲まなくていいし、食事の制限もないので、胃がんと随分違うなと思いました」

ただ、いいことばかりでなく、声が出なくなるという大きなネックもあった。噺家は話芸で稼ぐ商売なので、声が出せないと収入が途絶える。4人の家族と10人の弟子を抱える身である木久扇さんにとって、それは大きな痛手だった。

「笑点」は泣く泣く2カ月お休み

2014年元旦、お弟子さんと一緒に

喉頭がん闘病中は小さなお子さんをはじめ様々な人から手紙をもらったという木久扇さん。「病気を通して視聴者の方ともつながりました」

仕事のことで木久扇さんが、とくに気にかけていたのは「笑点」のことだった。

「僕は40数年間、『笑点』に皆出席だったんです。胃がんで入院したときも、病院から点滴しながら収録に出かけたので1度も休まなかった。だから2015年5月の番組開始50周年までは、休みたくはなかったのですが……」

しかし、それを可能にする手立てはもはやなかった。木久扇さんは、番組関係者に喉頭がんが見つかったことを伝えて、2カ月ほどお休みをいただきたいと申し入れた。番組側はすぐにそれを受け入れ、休んでいる間は代役を立てず、木久扇さんの復帰を待ってくれることになった。

放射線治療が始まったのは7月22日。期間は7週間で、終わるのは9月4日である。治療が始まると、木久扇さんは月曜日から金曜日まで午前中大学病院に行き、放射線照射を喉の左右に20秒間ずつ、全体で3分間の治療を受けて帰宅するという日々が始まった。

放射線照射でがんは消失

放射線治療による副作用はどうだったのだろう?

「とくにはなかったのですが、治療開始後しばらくすると、飲み込んだ際に喉がヒリヒリ痛み出しました。あと、喉の照射部分が真っ赤になってただれてしまったので、薬を塗ってガーゼで覆って乾かないようにしていました。ちょっとでも触れると、皮がはがれて破けてしまいますから。他にも1日中、ぼーっとしてしまうんです。いつも横になっていたいというか。それには自分でもちょっとびっくりしました」

しかしその一方で、がんもどんどん縮小していった。

「治療が開始した後も、しばらく声門の手前に白いものがあったのですが、8月15日には完全に消えました。内視鏡で撮った画像を見ると、白かった所がきれいなピンク色になっているので、私のような素人の目にもよくわかりました」

いつまでたっても戻らない声

治療によってがんが消失したことが確認されたものの、日が経つにつれて木久扇さんは不安になっていった。

「僕は単純に、がんが消えれば声は出るようになると思っていたんだけど、いつまでたっても出ないので、声はもう出ないんじゃないかと思うようになったんです」

医師に、いつごろ声が出るようになるのか尋ねても「声を出すために治療を行っているのではありません。治療後に声が出る、出ないは個人差が大きいことなので、はっきりしたことは申し上げられません」と言われ、明確な答えは得られなかった。

「治療は声を出すために行っているのではない」という部分が心に引っかかった木久扇さんは、医師は「もう声が出ないことを知っているからこんな言い方をするのではないか」という思いに駆られた。

「もしそうだとしたら大変なことになると思いました。がんが治っても、声が出ないのでは、噺家として生きていけませんから」

そうこうしているうち放射線照射の最終日の9月4日になり、治療は終了した。

同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート9月 掲載記事更新!