大腸がんのおかげで、今生きています ステージⅢの大腸がんと骨病変前立腺がんを乗り越えて活躍するサクソフォン奏者・苫米地義久さん(70歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年4月
更新:2018年3月

  

とまべち よしひさ
1944年東京・青山に生まれる。64年、録音スタジオエンジニアとして日本ビクター(現ビクターエンタテインメント)に入社。91年作曲家・サクソフォン奏者として独立。95年からオリジナルアルバム『音楽紀行シリーズ』他の製作を開始。06年には世界の名曲を集めた『TOMA Ballads』を発表。14年にはその第4弾として『TOMA Ballads4』をリリースした

「がん運」というものがあるとすれば、サクソフォン奏者として知られる苫米地義久さんは非常に「がん運」がいい方だ。直腸がんと前立腺がんを経験しているが、直腸がんは「人運」がよかったため末期になる前に発見できた。前立腺がんは発見が極めて難しいタイプだったが、「病院運」に恵まれて見つけることができた。苫米地さんはどのような「運」に恵まれたのだろう?

友人の大噴火で直腸がんが発覚

学校卒業後、日本ビクター(現ビクターエンタテインメント)に入社。スタジオエンジニアとして、数多くのアーティストの録音を手がけた

便器が真っ赤になるような血便が出たら、大半の人は慌てて病院に駆け込む。しかし、中には自分で勝手に痔による出血だろうと決めつけて、何の行動も起こさない人もいる。サクソフォン奏者の苫米地義久さんもその1人だった。

もちろん、全く気にならなかったわけではない。お酒が入れば仲間にそのことを話した。それを聞いた友人たちは、グラスを口に運ぶ手を止めて異口同音に病院に行くよう勧めたが、苫米地さんは「まだ平気だから」「そのうち行くよ」と受け流していた。

そんな苫米地さんの態度にいら立ちを募らせていたのが、音楽活動のパートナーであるピアニストの石塚まみさんだった。

2004年12月4日、渋谷のライブハウスで演奏したあと、軽い打ち上げをして、駅に向かっていたときだった。苫米地さんが、うっかり血便のことを話題にした途端、石塚さんが大噴火を起こした。

「渋谷のど真ん中の歩道で『馬鹿なこと言うな!』『ふざけんな!』って、こっちが倒れそうになるくらいの気迫で罵倒されたのです。ショックなんてもんじゃないです」

さすがに「このままでは済まないな」と思った苫米地さんは、病院に行く腹を固め、大腸の内視鏡検査を受けた。

「検査をして10日後くらいに結果を聞きに行ったんです。そしたらポリープが3カ所に見つかり、うち2つは内視鏡で取れたけれど、1つ大きいのが直腸にあって、開腹手術で取るしかないということでした。『がんですか?』って聞いたら、即座に『そうです』と言われたんで、まさにガーンです(笑)」

治療は友人の勧めに従って、国立がんセンター(当時)で受けることにした。

手術が行われたのは翌05年2月2日だった。その日の2日前に入院して手術に備えたが、折悪しく風邪を引いていたため、部屋を個室に移され、手術当日を迎えた。

咳をするたびに激痛

開腹手術は予定通り行われ、経験豊富なM医師の執刀で直腸の大半が切除された。術後は風邪を引いた罰をたっぷり受けることになった。

「麻酔が切れたあと、もの凄い痛みに襲われて3日くらいそれが続きました。それに耐えるだけでも大変なのに、絶えず咳が出てその度に激痛が走るんです。とくに痰を切るときはお腹に力が入るので、痛みで気絶寸前になったこともありました」

さらに手術の翌日から30m歩かされたので、つらさは筆舌に尽くしがたいものがあった。そんな中で、唯一救いになったのは『輝く宵の明星』という曲だった。苫米地さんが作曲し、サックスの演奏も担当したCDアルバム『北アルプスの星』に収録されている曲である。

ヘッドフォンからサクソフォンの音色が流れ出した瞬間、苫米地さんは痛さを忘れて聞き入った。この曲は苫米地さんが日本各地の大自然を音楽化し、サックスで歌い上げた曲の1つだ。ノスタルジアを感じさせる透明感のある響きは、聴く者を森林浴をしているような気分にさせる。ましてや作曲者である苫米地さんの脳裏には、曲を作ったときに見た鮮やかな宵の明星の情景が記憶されている。曲に浸りきったであろうことは容易に察しがつく。

「ちょっと手前味噌になってしまいますが、このとき、自分が作った音楽の癒し効果を実感できました。人生無駄なことはないな、と。こうして病気になったからこそ、自分の作品を再確認できた。貴重な経験だったと思いました」

退院後は1日20回の頻便

術後1週間ほど経ったころ、病理検査の結果が出た。リンパ節転移が4カ所あったということで、ステージⅢ。再発の可能性が高く、手術後に抗がん薬治療を受けることになった。

術後の経過は順調で、予定通り2月15日に退院した。自宅に戻った苫米地さんを、何よりも悩ませたのは頻便だった。

肛門を残して直腸を25cm程切除したため、大腸の出口に向かって押し出されてきた便は滞留されることなく排出される。そのため、排便回数は1日20回前後になった。これだけ多いと肛門がただれてくる。

救いになったのは、新たに取り付けられた温水洗浄便座だった。弟さんが気を利かせて取り付けてくれていたのだ。以前の旧式の便座だったら、つらい思いをしたことは想像に難くない。苫米地さんは弟さんの気遣いに頭が下がる思いだった。

つらかった術後の抗がん薬治療

退院から1カ月後の3月15日、抗がん薬治療が始まった。ちょうど国立がんセンターでは5-FUの点滴投与と、自宅での服用で済む経口抗がん薬治療とを比較する臨床試験が進行中で、ランダム(無作為)に割り付けられた結果、苫米地さんは希望通り5-FUの点滴投与を受けることとなった。

5-FUの点滴投与を希望したのは、週に1度通院することになるので、気晴らしになると思ったのだ。しかし、実際に通い出すと、がんセンターが近づくだけで気持ちが悪くなり、吐き気を催すようになるなど、通院するのは大変だったという。

「指がどんどん黒くなって爪が変形したり、お腹を下したりと、副作用も出ました。この薬には、一体何が入っているんだと思うくらいきつい治療でした」

抗がん薬治療は8月23日になんとか終了。その後は10月と翌06年2月に検診を受けたあと、6カ月ごとの検診に移行した。

時の経過とともにトイレ通いの回数も減り、1日20回だったのが多いときで10回、そうでないときは5~6回程にまで減った。

術後の経過も順調で、手術から2年が過ぎ、さらに3年の歳月が経過しても、検診では何の異常も見つからなかった。

5-FU=一般名フルオロウラシル

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