4度のがんからの生還――。自分にしかできない「がんコント」を 元ゆーとぴあホープ 大腸がん、肺がん、胃がん、小腸がんを経験し、お笑いの舞台に戻ってきた芸人・城後光義さん(65歳)

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2015年5月
更新:2019年7月

  

じょうご みつよし
1949年福岡県出身。1970年、レオナルド熊と「コント三冠王」を結成。浅草松竹演芸場でデビュー。74年「コントスリーピース」結成、78年「コントゆーとぴあ」を結成。「ゴムパッチンよろしくネ」の挨拶をはじめ、「アントニオ猪木」「学園コント」などで名人劇場に再デビュー。フジサンケイ演芸大賞で「ホープ賞」を2度受賞。96年には「東京新喜劇21」の座長も務めている

大腸がん、肺がん、胃がん、小腸がん――これまで4度のがんを経験して、「価値観は大きく変わりました。生きることが趣味になりました!」。こう笑いながら話すのは、かつて「ゴムぱっちん」で一世を風靡したお笑いコンビ・元ゆーとぴあのホープこと城後光義さんだ。自らのがん体験をも笑いに変えてしまう、最後の昭和芸人の生きざまを追った。

大腸がんはほんの序の口

一昔前はストリップ劇場が若い芸人の鍛錬場だった。幕間に舞台に出て、踊り子の裸が目当てで来ている客をコントで笑わせることは至難の業だ。面白くなければ野次り倒される。そうなるまいと若い芸人たちは必死になって笑いを取る芸を磨いた。

そして名のある芸人に成長していった。渥美清氏、コント55号、ビートたけし氏が代表格だが、その掉尾を飾る存在が「ゴムぱっちん」で一世を風靡したお笑いコンビ・元ゆーとぴあのホープこと城後光義さんだ。

がんと初めて縁ができたのは2007年のこと。体調不良で十何年ぶりかで受けた健康診断で、大腸にポリープがあることがわかり、内視鏡検査を受けることになった。

ポリープが8個見つかったため、全て切除。病理検査でそのうちの3つが悪性と判明した。ただ大腸がん患者にはなったものの、がん化したポリープはすでに切除済みなので治療の必要はなく、たまたま加入していたがん保険から100万円下りたので、「がんになって得した」ぐらいの気分だった。それから6年が経過した2013年6月、体に異変が起きた。

「咳が止まらなくなって血痰が出たんです。ただ事ではないと思って都内にあるクリニックで診てもらったら、CT検査で肺がんの疑いがあると言われて、がん専門病院を紹介されました」

すぐにその病院を訪れ、担当医の問診のあと各種検査を受診。そして翌週、結果を聞きに再度病院を訪ねることとなった。

切除できるかは開けてからの判断

診察室に入ると、まず担当医から肺にがんがあることを言われ、状況説明と治療方針に関する話があった。伝えられた話のポイントは以下の点である。

・がんは左肺の下葉にあり、大きさは7~8㎝。
限局タイプであれば手術で治癒する可能性もあるが、肺気腫がかなり進行して肺の機能が著しく低下しているため、手術ができる状態ではないように見える。

・ただ切除できるかどうかは、開けてみないと判断できないので手術は行う。

・手術をするまでに肺の機能を改善する必要があるので、タバコはすぐにやめていただきたい。
手術はそれが条件になる。

それを聞き、城後さんはタバコを吸えなくなることに強い抵抗感を覚えた。城後さんにとって、タバコは酒やギャンブルと同様、人生の一部のようなものだったからだ。

「先生、タバコをやめたら何のために生きているかわからなくなります。『いい芸人は長生きしない』というのが僕の持論なんですよ。もう60を過ぎたので、いいころ合いだと思うんです」

城後さんは漠然と、手術ができなくても死ぬまでにあと2~3年はあるだろうから、やり残したことを片付けるくらいの余裕はあると楽観していた。しかし担当医から「手術ができなければあと半年です」と宣告され、短すぎることに愕然とした。さらにタバコをやめないと手術ができない理由をこんこんと説明され、城後さんはタバコをやめるしかないと腹をくくった。

「あと余命半年だと言われ、とにかく落ち着かなくてはと、病院の外に出て無意識にタバコを吸っているんですよ。『あっ、タバコ吸っちゃダメなんだ』と、自分でも訳がわからなくなっていました」

こうして高校生のときから1日40~50本が当たり前だった長い喫煙生活に終止符を打ち、手術に臨むことになった。

肺がんの手術は無事成功

手術は予定通りの日程で7月に行われた。
手術で胸を開けてみたところ、肺気腫の影響はあったものの切除は可能と判断され、左肺の下半分が切除された。術後は痛みで苦しむことはなく、回復は順調だった。

術後1週間ほどで病理検査の結果が出て、リンパ節転移も認められなかった。術後は抗がん薬治療や放射線療法を追加で受けることはなく、ほどなく退院の運びとなった。退院後、城後さんはしばらく療養したあと、再びライブの舞台に立つようになった。しかし年の瀬になって再び体に異変が起きた。

肺がん手術後の城後さん。肺気腫の影響もあったが、何とか無事手術することができた

肺がん手術後、2013年7月に行われた東京・赤坂Blitzの舞台にて。城後さんは術後にも関わらず、元気な姿でコントを披露し、観客を沸かせた

「ものが食べられなくなって、どんどん痩せてきたんですよ。心配になって肺がんのときにも診てもらった都内のクリニックに行ったら、血液検査で栄養失調状態になっていることがわかったんです」

何らかの理由で小腸に閉塞が生じていると見たクリニックの院長は、すぐに紹介状を書いてくれて、都内の総合病院を受診するように言った。紹介された病院では詳細な検査が行われ、その結果、胃と小腸にがんの病巣があることが判明した。幸いどちらも肺がんの転移ではなく原発だった。

拳ふたつ分もあった小腸がん

胃のほうは幽門(十二指腸側)に近い部分にあり、早期だったので胃の下半分を切除すれば治癒する可能性が高かった。しかし小腸のほうはかなり厄介だった。病巣は小腸の前半部である空腸にあり、大きさは拳ふたつほどもあった。ものが食べられなくなり、栄養失調になったのも、がんが小腸を完全に塞いでいたのが原因だった。

手術する方針が決まり、それまでの3週間、城後さんは点滴で生きることを余儀なくされた。担当の医師から受けた説明では、小腸がんは極めて稀ながんで、診断法も治療法も確立されていないため、がんのタイプ、ステージなどは手術で開けてみないとわからないということだった。

もう1つ懸念されたのは、手術に城後さんの体がついていけるか、ということだった。胃がんと小腸がんの手術では、約8時間の手術時間を要する。ものが食べられず、体力がかなり落ちている城後さんの体が、それに耐えられない恐れもあった。

同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート11月 掲載記事更新!