本当に沢山の人に救われた。落語を通して倍返しをしたい 腎盂がんと膀胱がんを経験し、さらに芸に磨きがかかった落語家・柳家権太楼さん(68歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年8月
更新:2018年3月

  

やなぎや ごんたろう
1947年東京都出身。大学では落語研究会で活躍。大学卒業後、故柳家つばめ氏入門、前座名として柳家ほたるを名乗る。75年に二ツ目昇進、柳家さん光に改名。82年に真打昇進、三代目柳家権太楼襲名。12年芸術選奨文部科学大臣賞受賞、13年明治学院大学客員教授就任、紫綬褒章受章

闘病生活を通して、本当に沢山の人に救われた。だからこそ「その人たちに、落語を通して倍返ししないといけない。そうしないと、落語の神様は許してくれないと思っています」。こう話すのは、落語家の柳家権太楼さんだ。闘病生活を支えたのは、落語をしたい、高座に上がりたいという、落語に対する強い思いだった。

高座の後で立てなくなってしまう

高座での柳家権太楼さん。闘病生活を支えたのは「落語をしたい」という強い思いだった

柳家権太楼さんは「寄席の帝王」「爆笑王」の異名を取る落語界きっての実力者である。

表情豊かな話術とオーバーアクションで客を爆笑漬けにする豪放磊落な芸風は世代を超えて愛され、東京だけでなく日本各地に多くのファンを持つ。

その権太楼さんが腎盂がんを告知されたのは2010年11月下旬のことだ。

このがんは血尿などがきっかけで見つかるケースが多いが、権太楼さんの場合は北海道で行われた高座で、落語を終えた後、全身から力が抜けて立てなくなってしまったのがきっかけだった。

そのまま空港に向かい東京に戻ったものの、意識朦朧でどういう風に帰ったのかさえも覚えていないほどだった。その後すぐに、いつも人間ドックに通っていた近くの総合病院を訪ねた。

そこではまず、いくつもの検査が行われ、腎機能、肝機能をはじめ、多くの項目で異常な数値が出たため、すぐに緊急入院することになった。

腎盂がんによる腎機能の低下で、権太楼さんはその半年くらい前から強い疲労感に襲われるようになっていた。しかし彼は、それを過密なスケジュールと60歳を過ぎて疲れやすくなったのが原因と思い込んでいたので、市販薬、サプリメント、ドリンク剤、疲労回復注射などを手当たり次第に試していた。その結果、各臓器が悲鳴を上げ、そのような事態になったのである。

「疲れが慢性化しても高座に上がる1時間前にドリンク剤を飲むと一時的に疲れが消えて落語もちゃんとできるんです。効き目は長続きしないので終わって楽屋に帰るとカクンとなっていましたが、仕事に支障をきたすことはなかったので、そんなやり方で無理を重ねていました。総合病院で主治医の先生に診てもらったとき、腹水が溜まっていたと言われたので、今思えば、よく高座に上がっていたと思います」

様々な検査を行った結果、主治医は権太楼さんに尿路上皮がんの疑いがあることを伝えた。それを聞かされたとき、権太楼さんは意識が朦朧としていたため上の空で、あまり頭に入っていなかった。

尿路とは腎臓で産生された尿を体外に排出する「腎盂→尿管→膀胱→尿道」と続く経路のことで、この腎盂、尿管、膀胱、尿道に発生するがんが尿路上皮がんである。

医師から「うちの病院でも手術は可能だが、ベストの治療を受けるなら、都内の大学病院がいいです」と勧められた権太楼さんは、すぐに紹介された大学病院を訪ねて、紹介状に記された医師の診察を受けた。

「6人のうち1人はアウトです」

いくつかの検査を行った結果、がんは腎盂にあることがわかった。担当となった主治医から、腎盂がんで左の腎盂にがんがあること、がんは表層だけでなく筋層にまで浸潤していることが告知された。

主治医からは「5人いたら、5人は助かります。僕に任せて下さい。ただ、6人目はアウトになる可能性はあります。そのお覚悟はして下さい」と言われた。

それを聞いた権太楼さんは「6人目に入ったら大変だ」と胸が騒いだが、同席していた智子夫人は「ラッキーじゃない。あんたは運が強いから、必ず5人のほうに入るわよ」とニコニコ顔で言ったという。

「僕は同じ話を聞いて多少なりとも落ち込みましたが、彼女はそうは思わなかった。あの人すごいな、と。そこが僕とあの人との違いです」

噺家として外せなかった正月の初席

主治医からは、手術を行い、その後抗がん薬治療を行うこと、手術はダメージの少ない腹腔鏡手術で行われる方針が示された。

年内の仕事はドクターストップがかかり、関係者の方に事情を話して止む無く全てキャンセルにしていた権太楼さんだが、そうそう休むわけにはいかない。権太楼さんは主治医に、いつごろ高座に戻れるのか、その目途を聞いた。すると主治医からは「そんなに簡単に戻れる病気ではない」との答えが返ってきた。

とはいえ、正月の寄席は〝初席〟と言って、噺家にとって非常に重要な寄席にあたる。芸人として休むわけにはいかなかった。権太楼さんは主治医に、元日から10日までの初席が終わった後に入院、手術を行うことができないか相談した。

主治医も、権太楼さんの想いを汲んで、そのことを了承。病気自体もその間に急に悪くなるわけではないということもあり、初席最終日の1月10日、浅草演芸ホールで一席行った後、権太楼さんはその足で大学病院に入院、翌日手術を受けた。

主治医の執刀で行われた腹腔鏡手術では、左の腎臓と尿管が全て切除され、手術は無事に終了した。

手術後、権太楼さんが心がけたのは歩くことである。1月21日に退院した後、翌22日には独演会があったので、声を十分出せるようにしておく必要があったのだ。

「皆さんはお腹から声を出すとおっしゃいますが、落語は正座して行うのでお尻から声を出すんです。ですから腰から下を鍛えていないと満足のいく声が出ません。長く寝ていると声が出なくなるので、毎日少しずつ距離を長くしながら、歩いていました」

こうした努力をしているうちに退院日を迎えたが、このときの手術・入院は第1幕の終わりに過ぎなかった。

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