胃がんの手術後、食の楽しみが失われてしまいました 胃がん、劇症肝炎と2度の大病を患った小椋 佳さん(71歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年9月
更新:2019年7月

  

おぐら けい
1944年東京・上野出身。67年東京大学卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)入行、93年退職。この間、71年初アルバム「青春・砂漠の少年」発表。アルバム「彷徨」は100万枚のセールスを突破。以来ソングライターとして、布施明氏、美空ひばり氏等、多数のアーティストに作品を提供

胃がんは早期なら手術で切除してしまえばそれで終わりと思われがちだが、実際はそうではない。手術後、まともに食事ができなくなり、「すぐに戻してしまう」など、つらい後遺症に悩む人も多い。胃がんで14年前に手術をした小椋佳さんもその1人だ。胃がんを患ってからは、食べるものが限られてしまい、食欲そのものもなくなり、食に対する楽しみが失われてしまったという。

ひょんなことから知った「胃がん」

1966年、銀行員時代の小椋さん

医者嫌い、病院嫌いの人は健康診断にも背を向けているため、がんが手遅れになってから見つかることが多い。小椋佳さんも医者嫌いの上、49歳で銀行を退職してから8年間、1度も健康診断を受けていなかったので、1つの幸運な出会いがなければ、胃がんが進行して見つかった可能性が高い。

小椋さんは2001年5月、人間ドックを受けたのをきっかけに、早期の胃がんが見つかり、直ちに手術を受けた。人間ドックを受けるよう勧めてくれたのは、都内にある国立病院で総長を務める医師だった。

「その総長さんとは、新設される看護大学校の校歌作りを依頼されたのをきっかけに交流が生まれたのですが、あるとき、『50歳を過ぎたら体のどこかが痛んでいるものだから、1度遊びに来るつもりでうちの病院においでなさい』と言われたので、受けることにしたんです。そのころ、僕は全国コンサートツアーの真っ最中でしたが、空いた日にちを利用して、2泊3日の人間ドックを受けました」

小椋さんが奥さんからの電話で、人間ドックの検査で異常が見つかったことを知らされ、再検査のため翌日の1番早い便で東京に戻るように言われたのは、沖縄でのコンサートが終了した直後のことだった。言われた通り翌朝の1番便で那覇を飛び立ち羽田空港に着くと、すぐに車に乗せられ、病院に連れて行かれ、即入院することになった。

朝から入れ替わり立ち替わり、医師が病室に入って来るので「単なる検査ではない。何か様子が変だな」と思った小椋さんだが、ひょんなことから病名を知ることになる。

「複数の医師が病室に出入りしていたのですが、最後に若い医師が書類を持って入ってきたんです。ふと目をやったら入院事由の欄に『胃がん』と書いてありました」

主治医や病室に来た医師は、異口同音に「恐らく手術でがんを切除すれば大丈夫でしょう」と言った。ただ、自分ががんであることを知った小椋さんは「あ、来たか。僕ももうこれで終わりか」と思ったという。ただ、特段驚くわけでもなく、静かに受け止め、〝死〟に対しても恐れることはなかったと振り返る。

胃だけでなく 胆のうや副腎も切除

手術は入院の1週間後に行われた。早期のがんではあったものの、「念のため」ということで、胃の4分の3を切除した後、転移が起きやすい周囲のリンパ節および胆のう、片方の副腎も併せて切除された。

術後の痛みはどうだったのだろう?

「手術当日の夜から翌日にかけて、体中が強く締めつけられるような痛みがありました。でもナースコールは1度も押しませんでした。術後は1日経つごとに痛みが和らぐと聞いていたので、ここは我慢するしかないと思っていたんです。痛みより、僕の場合は体に管が7本も入って身動きが取れなかったことのほうがつらかったですね」

小椋さんは25日間の入院を経て無事に退院、自宅に戻ることができた。

その後6月に入ると、再発を予防する目的で経口の抗がん薬を使った化学療法が始まったのだが、これが小椋さんには合わなかった。服用すると、気持ち悪くなってしまったのだ。そのことを主治医に伝えると、「無理に飲まなくてもよいでしょう」ということで、結局2~3日ほど服用しただけで、抗がん薬による治療は終了した。

ご飯、肉、魚、牛乳、ラーメンは全てダメ

銀行員時代80㎏を超えていた体重は、手術後は20㎏近く落ち、57㎏になった。

胃がんの手術を受けると胃が小さくなって食べられる食事の量が大幅に減る。それに加え、小椋さんの場合、手術で迷走神経を切除した影響からか、胃が機能せず、食欲というものがなくなってしまった。

「食べることができるのは野菜と貝類くらいで、油ダメ、肉ダメ、魚ダメ、牛乳ダメ、ご飯ダメで、麺類はあらかじめ茹でてあるうどんは大丈夫ですが、こしのある讃岐うどんみたいなものはダメ。ラーメンもダメで食べると吐いてしまいます」

それでも食べないと生きていけないので、奥さんが限られた食材を工夫して食事を作ってくれたが、食べられる量はほんのわずかになってしまった。

当然ながら、退院後もスケジュールは埋まっている状態。自宅で静養する間もなくすぐに仕事を再開したが、「退院した直後は、歌える歌も限られていました」と小椋さん。手術のダメージや体力の低下で声量が落ち、音域も以前のように自由に操れなくなっていたからだ。

手術後すぐに行われたミュージカル

しかし、月を追うごとに、徐々に声量と音域は回復。術後半年くらいで元のレベルに戻ることができたという。

胃がんの手術を受けた2001年は、秋に小椋さんがプロデュースし、作・音楽・演出も手掛けた、紀伊国屋文左衛門にスポットを当てたオリジナルミュージカル「歌綴り・ぶんざ」の公演が東京、大阪、名古屋、浜松で計20公演が予定されていた。

小椋さんは公演が始まると本番の2~3時間前から食べ物を一切口にしなかった。食べてしまうと、本番中に腹痛が起き、不意に便意を催すことがあるからだ。

それでなくても、手術後まだ体が完全に癒えていない状態でのミュージカルということで、小椋さんは楽屋に簡易ベッドを持ち込んで出番のとき以外はそれに横たわり、なんとか公演をやり遂げることができた。

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