胃がん・膵がんの疑い――。それでもレジェンドの挑戦は続く 胃に新たながんが発覚しつつも、今年5月の大会に出場した重量挙げの王者・三宅義信さん(75歳)
1939年宮城県出身。重量挙げ日本代表として、ローマ五輪(60年)、東京五輪(64年)、メキシコ五輪(68年)、ミュンヘン五輪(72年)に連続出場。ローマで銀メダル、東京とメキシコで金メダルを獲得。世界新記録更新は計27回。引退後は自衛隊体育学校長などを歴任。2011年に端宝小綬章を受けた
五輪2連覇の偉業を達成した重量挙げのレジェンド・三宅義信さんは、2011年に胃がんが発覚。ただ、胃がんは「早期の早期」の段階で見つけて事なきを得ることができた。しかし安心したのも束の間、今度は治療が難しいとされる膵がんの疑いが生じたのだ――。
胃がんは早期の早期
日本の五輪メダリストの中でも重量挙げの三宅義信さんほど競技者、指導者として輝かしい道を歩んできた人はいないだろう。競技者としては4大会連続で五輪に出場。64年の東京大会と68年のメキシコ大会では、2大会連続で金メダルに輝いている。
現役引退後は自衛隊体育学校の校長に就任し、同校のレベルアップと施設の拡充に貢献。さらに退官後は現在に至るまで、重量挙げ関連の競技団体や五輪関連組織の役員に就任し、多彩な活動を行っている。
その三宅義信さんに胃がんが見つかったのは、2011年3月に受けた定期検診がきっかけだった。
定期検診のあと、病院から再び来院するよう連絡が来たので東京・世田谷区にある自衛隊中央病院に出向くと、医師から胃に小さながんが見つかったことを知らされた。
「ついに僕にも来たかと思いました。母と姉を胃がんで亡くしていましたから」
しかし、死の恐怖に襲われるようなことはなかった。医師の説明を聞くうちに、がんは早期で内視鏡で切除すれば治癒することがわかったからだ。
ひと通り説明を受けたあと、手術をいつ受けるかということになり、4月20日に入院し、25日に内視鏡による切除手術を受けることが決まった。
早期がんでも手術日が決まると、多くの患者さんはがんのことで頭が一杯になるが、三宅さんは違った。東日本大震災によって、故郷の宮城県をはじめ東北と関東の太平洋側の諸県が未曾有の被害を受けていたため、そのことが心配で、居ても立ってもいられない気持ちだったのだ。
三宅さんは退院後すぐに被災地に向かおうと心に決め、予定通り入院、内視鏡による手術を受け、がんとその周辺を3㎝ほど切除した。回復は順調で、術後程なくして3分粥による食事が始まり、出血等の合併症も見られなかった。
5月初旬に退院すると、三宅さんはすぐさまマラソンの瀬古利彦さん、レスリングの太田章さんらと福島市のあづま総合運動公園に設けられた避難所を訪ね、被災者の人たちを励ました。甚大な被害をもたらした東日本大震災を前に、「自分のがんどころの騒ぎではなかった」のだ。
経験したことのない激しい腹痛に襲われる
しかしこれでがんと縁が切れたわけではなかった。新たに膵がんの疑いが生じたのである。三宅さんは、2009年ごろから肉料理や油っこいものをたくさん食べると、それまで経験したことのない腹痛に苦しむようになっていた。
2010年の11月にも激しい腹痛に襲われたので、都内にある大学病院で診てもらったところ、医師から「膵臓に炎症が見られます」と言われた。診察を受けたときには痛みが治まっていたため、そのときは経過観察ということになった。
そして翌年の4月、前述したように胃がんが見つかり手術。経過は順調で、6月には中国・敦煌に行く予定だった。異変が起きたのは、出発3日前。焼き肉店で開かれた懇親会でユッケを食べたところ、翌朝激しい腹痛に襲われた。知人に紹介されたクリニックを訪ねると鎮痛薬を処方されたが、それを服用しても痛みは一向に改善されない。三宅さんは自衛隊中央病院に連絡を入れ、すぐに診てもらうことにした。
検査の結果、膵臓から分泌される消化酵素リパーゼ、アミラーゼなどの数値が正常値を大きく超えており、膵臓が炎症していることがわかった。三宅さんは急遽中国・敦煌へ行く予定をキャンセルして、そのまま入院することになった。
突如生じた膵がんの疑い
入院した上で詳しい検査が行われると、膵臓から十二指腸につながっている膵管の一部に狭窄が起き、膵液の分泌がかなり悪くなっていることがわかった。それが原因で炎症が起こり、腹痛が起きていたのだ。
炎症が再び起きないようにするには、カテーテルを使って、膵管の狭窄部分を広げて、膵液の流れを良くする必要がある。しかし三宅さんの場合、それができなかった。通常、膵管はほぼまっ直ぐか、緩いカーブを描いているが、三宅さんの場合はねじれた形状になっているため、カテーテルを通そうと思っても、膵管の中に入っていかないのだ。
もう1つ問題なのは、狭窄が起きている膵管の傍に嚢胞があることだ。これがあると、がんが見つかるケースが少なくない。
三宅さん自身、不安が昂じて眠れないこともあったという。
「死ぬんじゃないかと思いました。膵がんは、がんの中でもとくに難しいがんであることは知っていたので。もし宣告されたら、残された時間を有意義に使って、できる限りのことをするしかないと思いました」
症状が落ち着くのを待って、三宅さんは病院をあとにした。
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