声を失う位なら、手術せずに行ける所まで行こうと思いました 2012年にⅣ(IV)期の甲状腺がんが見つかった河内音頭・河内家菊水丸さん(52歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年12月
更新:2018年3月

  

かわちや きくすいまる
1963年、河内音頭発祥の地・大阪府八尾市に生まれる。9歳で父・河内家菊水に入門。17歳、高校3年生でプロデビュー。吉本興業の旧なんば花月劇場で初舞台。新聞詠み河内音頭菊水丸流家元として活動。91年、リクルートフロムAのCMソング「カーキン音頭」が大ヒット。08年には大阪芸術大学芸術学部客員教授に就任するなど、様々な場で活躍中

甲状腺がんの中でも最も多い甲状腺乳頭がんは、進行の遅い大人しいがんだが、声が命である河内家菊水丸さんにとって、これほどまでに深刻なものはなかった。手術で声を失う可能性があるからだ。治療を優先するか、治療せずに河内音頭を歌い続けるか――。菊水丸さんは苦渋の選択を迫られることになった。

独演会で左首に激痛

大阪府八尾市発祥の伝統芸「河内音頭」。その第一人者である河内家菊水丸さんが体の異変に気がついたのは2012年秋のことだ。大阪・国立文楽劇場で開催された10月の独演会は大入りで、菊水丸さんは客席を大いに盛り上げながらエンディングに突き進もうとしていた。そのときだった。

「『ハァアーン』と高い声を張り上げたとき、左の首筋を突き上げるような痛みが走ったのです。初めは、力みすぎてそうなったと思ったのですが、その後、魚の骨が刺さったような感じがするので、人間ドックでいつも胃カメラ(胃内視鏡検査)をしてもらっている先生に、今回も診てもらったのです」

その医師は手先が器用で胃カメラを上手に操るので、刺さった骨を簡単に取ってくれるものと思っていた。しかし何度探してもそれらしきものは見つからなかった。

それでも確かに喉に魚の骨が刺さっている感じはあったので、菊水丸さんはそんなはずはないと、繰り返し医師に伝えた。

「すると先生が、そんならエコーをしましょうかと、言うてくれはったんです」

エコーを始めた当初、医師もとくに異常は見当たらないだろうとプローブを動かしていた。しかしプローブを喉仏の下のあたりに移して調べ出した途端、表情が一気に険しくなった。医師はモニター画面に目を張りつかせて、その部分を繰り返し調べた。そして、菊水丸さんに伝えた。

「その場で『甲状腺乳頭がんです』と言われました。がんは甲状腺のところに左右対称に2、3個ずつあって、それがリンパ節にも転移しているということでした」

その医師から神戸にある甲状腺の専門病院に行って詳しい検査を受けるように言われたので、菊水丸さんは紹介状を持って日を置かずにその病院を訪ねた。

そこでは様々な検査が行われ、併せて甲状腺周辺の細胞が採取され、病理検査に回された。その結果、Ⅳ(IV)A期の甲状腺乳頭がんであることが確定し、菊水丸さんは担当した医師からそのことを知らされた。

気管切開手術は絶対ノー

声を失う恐怖にさらされた河内家菊水丸さん。「手術せずに行ける所まで行こうと思いました」と当時の心境を振り返った

告知のあと医師から甲状腺の機能や甲状腺乳頭がんの性質や特徴についての説明があり、そのあと治療方針が示された。

それは、到底受け入れ難いものだった。

「がんが気管に巻きついていて浸潤している可能性があるので、気管切開手術を受けてもらうことになりますと言われたのです。実はそのころ、僕は医学的知識があまりなくて、気管切開手術と聞いても最初はピンと来なかったんですが、医師に『気管切開したらどうなりますか?』と尋ねたら『歌うことはもとより、話すことも困難になります』と言われて、そのとき初めてびっくりしたというか……。

それまでⅣ(IV)期の甲状腺がん、転移が始まっていると言われても、ある程度落ち着いて聞くことができたのですが、声が出なくなると言われたときは、本当にショックでした。命に関わることはなくても、歌えなくなれば僕の芸人としての人生は終わりです。気管切開手術を受ける気は全くありませんでした」

菊水丸さんにとってせめてもの救いは、甲状腺乳頭がんが進行の遅いがんであることだ。そのため手術を受けないまま、しばらくお客さんの前で歌うことは可能だった。

「手術をしなくても、河内音頭のシーズンである来年(2013年)9月ごろまで生きられますか?」

菊水丸さんは医師に尋ねた。「声もかすれてくるだろうし……。『はい、大丈夫です』とは言えません」

医師はそう答えたという。しかし、菊水丸さんの心は決まっていた。手術を受けずに行ける所まで行ってみよう、来シーズン、思う存分河内音頭を歌って、それから手術を受けようと、腹を決めた。

「ちょうどその年、吉本興業が創業100周年で、12年4月から翌年3月まで、1カ月ごとに12本『吉本百年物語』という芝居を上演していましてね。その芝居の4月公演の幕開けは『河内音頭で行こう』ということで出させてもらって、3月公演も『河内音頭で幕を閉めよう』と、出演することが決まっていたので、それにはどうしても出たいという思いもありました。僕は小学校4年生のとき、河内音頭の師匠だった父に入門して以来、河内音頭一筋に生きてきた男です。ですから、声を失う前に思い切り歌っておきたかったのです」

菊水丸さんは吉本興業の看板芸人の1人である。がんが見つかったことをマネージャーに伝えると、程なくして大崎洋社長から連絡が来た。社長は菊水丸さんががんの治療を受けずに行くところまで行くつもりであることを知ると、「順番が逆だろう」と言って翻意させようとした。

そして色々と話し合った結果、菊水丸さんは本当に気管切開せずにがんの手術をしてくれる医師がいないかどうか、探してみることになった。

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