早期の大腸がんのはずが……術後の合併症にトコトン苦しみました がん手術、腸閉塞、人工肛門造設――。1年間に4度手術を経験した落語家・三遊亭歌笑さん(76歳)
1939年、東京都あきるの市出身。戦後「爆笑王」と言われた先代の三遊亭歌笑の甥にあたる。58年に2代目三遊亭円歌に入門(前座名「歌寿美」)。61年に二ツ目昇進、三遊亭歌笑を襲名する。73年に真打昇進。85年から03年まで名古屋で活動。89年に大須くるみ(三遊亭笑くぼ)を弟子にとる。心臓病、脳梗塞、大腸がんなどの病を患いながらも高座に上がり、活躍中
古典落語の名匠・三遊亭歌笑さんは術後1週間で退院できると言われて、早期大腸がんの手術を受けた。ところが退院前に激しい腹痛に襲われ、そこから全てが悪いほうに転がり出した。結局、歌笑さんは11カ月の間に、手術を4回、入院を3回経験。人工肛門とのつらい闘いも強いられることになってしまった。
下血で見つかった大腸がん
落語家の三遊亭歌笑さんが大腸がんを告知されたのは、2014年5月下旬のことだ。見つかったきっかけは下血だった。5月に浜松市で落語教室の講師を務めた際、滞在していたホテルのトイレで用を足したところ、便器が鮮血で真っ赤に染まったのだ。
東京に帰ってから、通い慣れた近所の総合病院を受診したところ、内視鏡検査でS状結腸にがんの病巣があることがわかった。
「内視鏡を中に入れてすぐにがんが見つかりました。Ⅰ(I)期の早期がんだったのですが、私は医学的な知識が全くないものですから、がんと聞いて寿命が来たと思いました。もうショックで頭の中が真っ白になり、お医者さんの話が全く耳に入りませんでした」
医師から、すぐに手術を受けるように勧められたが、歌笑さんはファンに最後の高座姿を見てもらう必要があると思い、テレビ放映される寄席への出演を優先させた。
身辺整理も必要だと思った歌笑さんは、後継者と決めている愛弟子の大須くるみ(三遊亭笑くぼ)さんに宛てた遺書もしたためるなど、万が一に備えて、行っておくべくことを全て片付けてから、入院の運びとなった。
腹腔鏡下手術が行われたのは7月17日のことだ。手術は6時間を要したが、S状結腸を10㎝ほど切除して無事終了した。
医師からは1週間くらいで退院できるでしょうと言われていた。術後の痛みも激しくなかったので、歌笑さんは大事に至らなくてよかったと思った。
2度目の手術で人工肛門
しかし予期せぬ事態が起きた。術後6~7日が経過して食事がお粥から通常食になったころ、激しい腹痛に襲われたのだ。
原因はイレウス(腸閉塞)だった。
イレウスは大腸がんの手術後に起きることのある合併症である。原因は、術後に腸管が癒着して狭窄が起き、消化物が通らなくなっていたからだ。そのため、歌笑さんは急遽、消化物の通り道を確保するため、一時的に人工肛門(ストーマ)を造ることになってしまった。
「2度目の手術が行われたのは、最初の手術の8日後でした。開腹手術で行われ、人工肛門はお臍の右側に造られていました」
術後の回復が遅れ、入院が長期化
その後はつらい日々が続いた。今回は開腹手術だったため、激しい痛みに襲われた。
また、我慢できない痒みにも悩まされた。
「全身に斑点のようなものができて、あまりに痒いので掻いてしまうとガマガエルの背中みたいになってしまうんです。皮膚科を受診して処方された塗り薬をつけたけれど、効かなくて困りました」
術後の回復も芳しくなかった。術後しばらく食事を摂ることができず、栄養補給を点滴や鼻から通した管に頼ることになった。
「このときは体重が7~8㎏減り、頬がこけ、目が落ち窪んでいました」
その後も脱水症状など、様々なトラブルに見舞われたが、9月中旬になるとやっと容体が安定。何とか、9月20日に退院の運びとなった。
終わりなきストーマ地獄
2カ月半ぶりに自宅に戻った歌笑さんは、ストーマの管理に四苦八苦するようになる。
「入院中ずっと体調が悪かったので、ストーマの扱い方をしっかり教わらないまま退院してしまったんです。そのため、初めは失敗続きでした」
とくに面倒なのは着物の帯を締めるときだった。ストーマは装具の面板という部分をお腹に貼り、パウチという袋で便を受け止める仕組みになっているが、帯を締める位置が装具と重なるため、これまでと同じ強さで締めると漏れ出す恐れがあった。
そこで歌笑さんは、ストーマをタオルで幾重にも巻いた上で、帯を緩く締めて高座に上がり、漏れないよう工夫を施して乗り切っていた。ただ、それでも便が漏れ出してしまうこともあったという。
「その日は朝から漏れていて、タオルで押さえていたんだけど、上手くいかなくてね。午後1番の出演が終わった後、すぐにそのままタクシーで病院に駆けつけたこともありました。退院する際、ストーマの面倒を見てくれていた専門の看護師さんが『困ったことがあったらいつでも来て下さい』と言ってくれたので、頼ろうと思ったんです」
ところがその看護師は不在だった。そこで他の看護師に行ってもらえないかと頼んでみたが、熟練した人でないと扱えないということで、仕方なく歌笑さんはタオルをストーマの周りに幾重にも巻いて、いったん帰宅。その日は結局、椅子に背をあずけたまま目を閉じて、朝になるのを待った。
「横になると漏れてしまうから、家に帰っても椅子に座って寝ていたんです」
このようにストーマトラブルに悩まされていた歌笑さんだが、12月には、ストーマを閉鎖する手術を受けることになっていたので、それまで耐えるしかないと思っていた。しかし周囲の人たちは、1度ストーマ外来がある病院を受診することを歌笑さんに勧めた。専門的に行っているところなら、自分で手に負えないときは、行けば助けてもらえるし、ストーマの扱い方も、しっかり教えてくれると思ったからだ。
初め歌笑さんはそれに気乗りしない様子だったが、12月初旬になって、考えが変わった。総合病院の医師から、癒着で腸に著しい狭窄が起きている箇所が見つかったので、ストーマを取り外す手術を行う前に、まず、狭窄部分を手術で切除することになるかもしれないと言われたのだ。
「それを聞いて、このままストーマが取れなくなるのではと不安になってしまいましてね。前回は、長くかからないはずの入院が、予期せぬ事態が起きてどんどん延びてしまったじゃないですか。同じような展開になることは避けたいと思いました」
周囲の人たちに教えてもらい、歌笑さんはストーマ外来のある東京山手メディカルセンターを訪ねてみることにした。
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