肝内胆管がんを早期発見し、摘出手術も見事成功した大谷昭宏さん(70歳) 1人のジャーナリストががんになって思う、患者としての生き方とは?
1945年、東京都出身。早稲田大学卒業後、68年読売新聞大阪本社に入社、徳島支局勤務。70年に社会部(警察担当)へ異動。その後は、上司である黒田清氏と共に、数多くのスクープ記事を扱う。80年より、朝刊社会面コラム欄「窓」を7年間にわたって担当。87年に新聞社を退社後は、フリーのジャーナリストとして、テレビ、雑誌連載、書籍等、多方面で活躍中
大谷昭宏さんはテレビの報道・情報番組でお馴染みのコメンテーターである。ニュースや社会現象に庶民目線で鋭く切り込む姿は多くの視聴者から支持され、70歳を過ぎた今も、多数のレギュラー番組を抱えて多忙な日々を送っている。その大谷さんが一昨年(2014年)の夏、2カ月ほどテレビの画面から姿を消したことがあった。肝内胆管がんが見つかり、摘出手術を受けることになったのだ。
人間ドックの検査で肝臓の数値に異常
肝内胆管がんは、肝臓の中の胆汁を運ぶ管(胆管)にできるがんである。進行するまでこれといった症状が出ないため、早期発見が難しいことが知られている。黄疸などの症状が出たのをきっかけにがんが見つかったときには、すでに進行して手遅れになっているケースも少なくない。
ジャーナリストの大谷昭宏さんに、その厄介な肝内胆管がんが見つかったのは2014年夏のことだ。きっかけは人間ドックだった。
「僕は30年ほど前から、大阪にある病院で年2回人間ドックを受けているのですが、一昨年の5月末に受けたとき、肝機能の状態を示す「γ-GTP」の値が300IU/Lを超えてしまっていたんです。正常値は50IU/L以下ですから、そこの院長がこれは何かあると思ってCTなどの画像を精査したところ、肝臓の右側に肝内胆管がんと疑われる影が見つかったのです」
見つかったときには、かなり進行しているケースが少なくない肝内胆管がん。大谷さんの場合、そのがんに罹患しながらも命を奪われずに済んだのは、年に2回、必ず人間ドックを受けていたからだ。
「もともとそこの病院は、僕の恩師である黒田清氏が先代の院長と昵懇な間柄で、健康面の面倒を見てもらっていた病院なんです。その縁で黒田氏の下にいた僕たちも出入りするようになり、事務所のかかりつけ医みたいな存在になっていました。
先代の院長は僕らが日ごろ、〝不摂生の極み〟のような生活をしていることも知っていて、87年に僕が新聞社を辞めてフリーのジャーナリストになったあと、『お前はこれまで以上に仕事で無理を重ねている上、相変わらず毎晩深酒しとるし、タバコも途切れることがない。こんな無茶な生活を続けるのなら、年に1回の人間ドックじゃ足らん。2回受けなきゃダメだ』と言われたんです」
その後、先代の院長は亡くなられたが、現院長の下でも年2回の人間ドックは続けられ、通常の検査項目に加えて、全身のCTスキャン、脳ドックなどの検査を毎回受けることが恒例行事となっていた。
メールで知った自らのがん
検査を行った院長は、大谷さんの肝臓に腫瘍らしき影があることを確認すると、すぐ本人に知らせようとした。しかし、大谷さんはTBSの『ひるおび!』に出演中でなかなか連絡がつかない。そこで院長は、大谷さんの事務所の秘書に連絡を入れ、大谷さんの肝臓にがんらしき影があることを伝えた。びっくりした秘書は、すぐそのことをメールで大谷さんに伝えた。
「院長からうちの秘書に連絡が来たそうです。『あんたのところのボス、がんやで』と。秘書はひっくり返るほどびっくりして、私に『院長先生が、がんだとおっしゃっています』とメールを送ってきました。そんな形で自分ががんだと知ったので、告知もへったくれもありません(笑)」
大谷さんは、何の心の準備もないまま「がん」という言葉と向き合うことになったわけだが、それでもパニックになるようなことはなかった。間接的にその事実を知らされたことに加え、院長が秘書に、まだ早期なので手術ができれば命に関わることはないということも伝えてくれていたからだ。
「秘書を通して院長からは、『かなり早期なので手術で切除できる段階だと思う。だから、大至急詳細な検査ができる大学病院へ行ったほうが良い』と言われました。肝内胆管がんの場合、切れるか切れないかが、非常に重要になってくるそうなんですね。一般の人は『手術』と聞くと『大変だ』と言うけれどそれは逆で、むしろ手術できるほうが良い。ですので、がんはがんだけれど、何とかなるかもしれないと思いました」
8月下旬に手術が決定
大谷さんは、院長が紹介してくれた大学病院をすぐに訪ねた。応対した医師はCT、エコー等の画像で肝臓に肝内胆管がんが疑われる病変があることを確認すると、大谷さんに肝内胆管がんは、診断が難しいがんであることを説明し、1週間ほど検査入院してもらう必要があることを伝えた。
「医師に言わせると、このがんでこんなに早く見つかるケースはほとんどないそうです。その一方で、本当に肝内胆管がんだということは、手術してみないとわからないとも言われました。ただ、現在の状況や年齢などを考えると、がんの確率が高いだろうということでした」
大谷さんは、仕事のスケジュールを調整して7月中旬に大学病院に入院し、各種の検査を受けたあとにいったん退院。その後医師との話し合いの末、8月下旬に手術を受けることが決まった。
手術は大成功。がんは全て取り切る
手術日が決まってからは、呼吸機能、腎機能、血圧など、がんとは直接関係のない検査が続いた。幸いこちらの検査では、何の問題もなかったので、予定通り手術を受けることになった。
大谷さんは、大きな手術を受けるのはこれが初めてだったが、不安や緊張はあまりなかったようだ。医師との間ではこんな会話がなされていたという。
「医師からは手術前の説明で、『手術ではお腹をベンツ形(逆Y字形)に切開します』と説明されたんです。それを聞いて、思わず『しょうがねえなあ、アウディよりましかぁ』と、そんなことを言っていました(笑)」
手術は予定通り8月末の朝、開始された。まず患者(本人)を麻酔で眠らせたあと、お腹がベンツ形に切開され、患部が切除された。病変の一部は直ちに迅速病理診断に回され、ほどなく悪性腫瘍であることが確認された。がんは肝臓の右葉にあり、がんのある部分を中心に、肝臓全体の27%が切り取られた。
朝8時に始まった手術は午後4時に終了予定だったが、全ての作業がスムーズに運んだので、午後3時前には終了したという。
「妻は手術中、食堂で待機していたのですが、終わったという連絡がやけに早く来たので、一瞬、手術が失敗して最後まで行われずに終わったと思ったそうです。しかし、部屋に戻ると、執刀医の先生がニコニコしながら入ってきて『大成功でした』と言うのを聞いて、ほっと胸をなでおろしたそうです。ただし、迅速病理検査の結果、顔つきの良くないがんだったことも伝えられました。微細ながん細胞が飛んでいる可能性は否定できないけれど、目視の範囲ではがんは全て取り切れたということでした」
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