病気になって、物事の価値がはっきりと見えてきました 食道がんの治療から見事復帰した、海援隊・中牟田俊男さん(67歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2016年10月
更新:2020年3月

  

なかむた としお
1949年、福岡県出身。西南学院大学在学中の1971年に武田鉄矢氏、千葉和臣氏とともに、3人で海援隊を結成。72年、アルバム『海援隊が行く』でデビュー。73年、大ヒット曲『母に捧げるバラード』をリリース。74年NHK紅白歌合戦出場。79年にはTBSテレビ『3年B組金八先生』の主題歌『贈る言葉』が大ヒットとなる。82年、海援隊解散。その後はソロ活動として、ライブや楽曲プロデュース等の音楽活動を実施。94年に海援隊再結成後は、グループ活動とともにソロ活動でも活躍している

今年(2016年)7月11日、福岡・博多座で始まった7月公演「海援隊トーク&ライブ」の初日、オープニング曲の『贈る言葉』が終わった後、海援隊の3人は久しぶりにそろってステージに立った。リーダーの武田鉄矢さんは、盟友・中牟田俊男さんが食道がんの治療から復帰したことを観客に伝えた。すると「お帰り」の声とともに、熱い拍手が巻き起こり、中牟田さんは言い知れぬ高揚感に包まれた。

食道がんを告知されたのは昨年12月のこと。ここまで来るのに、思っていた以上に時間がかかったと振り返る中牟田さん。だがその一方で、中牟田さんの中には、病気になったからこそ、気づいたこともあったという。

酒やタバコの味が変化

コンサート前のリハーサル中に。治療中は、仕事に復帰したい想いで一杯だったと語った中牟田さん

1860年代、日本では政治の地殻変動が起き、勤王(きんのう)の志士たちが各地で蹶起(けっき)した。それから100年後、日本では音楽シーンで既存の音楽に飽き足らない志士たちが、あちこちでグループを結成し、独自の感性で曲や詞を作って歌い始めた。

福岡の大学生だった中牟田俊男さんも、そんな志士の1人だった。彼が同じ高校出身の熱血漢、武田鉄矢さんらと結成したバンドは、その後、千葉和臣さんが加わり、3人組の海援隊になった。浮き沈みの激しい芸能界でサバイバルすることは容易なことではない。

海援隊の歴史も山あり谷ありで、1982年にいったん解散したが12年後の94年に再結成され、それ以降は毎年全国各地で「トーク&ライブツアー」を行う一方で、主要都市で舞台公演を行うなどの活動を続けている。

中牟田さんはその海援隊のメンバーとして活動しながら、シンガーソングライターとしてソロ活動も行い、60歳を過ぎても多忙な日々を送ってきた。がんが見つかったのは66歳になった昨年12月のことである。

食道がんは、「飲食をしたあと沁みる感覚がある」「少し食べ物がつかえる感じがする」といった症状がきっかけになって見つかることがあるが、中牟田さんの場合は違った。

「お酒もタバコも、それまでと違って何か美味しく感じなくなってしまったんです。ゲップも頻繁に出るので、これは最近よく聞く逆流性食道炎ではないか思い、近所のクリニックに行って診てもらったところ、先生から『胃カメラで調べてみましょう』と言われ、胃カメラの検査を受けました。1週間後、結果を聞きに行ったら、あっさりと『あ、がんですね』と言われたんです」

告知されたときの心境はどうだったのだろう?

「ショックは……あとから段々ときましたが、その時はなかったです。思ってもみなかったことで、初めは自分のことのように思えませんでした。先生がとてもあっさりとした口調で『食道がんですね』とおっしゃったので、こちらも『ああ、そうですか』という感じで淡々と聞いていました。その時は、自分の体のことよりも、むしろ仕事のほうが心配でした。『武田と千葉に何て言おうか』『仕事を休むとしても、なるべく短い期間で済ませられないか』と考えていました」

クリニックの医師は、大きな病院で詳しい検査を受ける必要があることを説明した上で、どこの病院で治療を受けるかを決めるよう伝えた。そこで中牟田さんは、開業医をしている高校時代の同級生に相談してみたという。

「その同級生は地元の医大を出て福岡県内で開業しているので、電話で事情を話して、どこか私の家の近くにいい病院はないかを聞いたんです。そしたらすぐに返事が来て、都内の総合病院が食道がんの治療では実績があるとアドバイスされたので、それに従い、日を置かずにそちらの病院に行きました」

年明け早々に入院、手術が決定

焦点は、がんが最も浅い粘膜に留まっているかどうかであった。留まっていれば、内視鏡で切除して終わりになる。しかし、病院での詳しい検査の結果、がんはそれより深く浸潤していることが判明。主治医からは、手術を勧められた。

「先生からは、手術をしたほうがいいと言われたのですが、すぐに『はい、わかりました』とは応えられませんでした」

仕事に穴を空けたくない気持ちが強かったためだ。中牟田さんは再度、福岡で開業医をしている友人に検査結果を話した上で、手術を受けずに治す手段はないか尋ねた。

「友人からは、『即刻切ったほうがいい』と言われました。それを聞いて、腹が固まったというか……。すぐに主治医に電話して『手術を受けます』と伝えました」

手術は年明け早々の1月11日に受けることになった。

気になるのは入院期間だった。手術による合併症が出なかったとしても、2~3週間程度の入院が必要ということだった。そうなると、その後の療養期間を最小限に留めたとしても、海援隊の仕事を一定期間、休まざるを得ない。

中牟田さんは12月下旬、海援隊の年内最後の仕事が終了したあと、武田さんと千葉さんに、食道がんが見つかり手術を受けるので、しばらく休まざるを得なくなったことを伝えた。中牟田さんは大事に取られないよう、極力抑えた口調で伝えたが、どんな口調で言っても誰だってがんと聞けばビックリする。その時の様子を盟友の武田鉄矢さんは、海援隊の公式ホームページの中で、こう綴っている。

「(中牟田は)千葉と私には、どうしても驚いて欲しくないようでした。ポツリ、『すぐに戻ってくる』とそう言って、自分でうなずいていましたので(僕たちは)驚くのを止めました。(中略)数年前は私自身が己の病(大動脈弁狭窄症)で中牟田を待たせたことがありますので、今度は私が待つ番だと前を向きました」

揺るぎない友情と信頼を感じさせる骨太な表現で綴っている。

年明け早々、中牟田さんは病院に入院し、手術を受けることになった。

11時間にも及ぶ手術は無事成功

手術を受けるにあたり、中牟田さんには大きな不安があった。

「手術によって、声にダメージが残る可能性があると言われたのです。主治医の先生は私が歌う仕事をしていることを知っていたので、できるだけ声に影響が出ないように、細心の注意は払うからとおっしゃってくれたのですが、やはり可能性としてはあると。時間が経てば治るということでしたが、やはり心配でした」

手術は予定通り1月11日に行われ、8時間の予定が11時間を要したが、無事終了した。

「当初は、切除した食道の代わりに小腸を一部切除して代用するはずだったのですが、血流を確保することができなかったため、結局、胃を持ち上げて食道の代用にする手術に切り替えたと聞いています。そのため、予定より時間がかかったそうです。僕は麻酔で意識がありませんから知る由もなかったけど、あとで家族からそのことを聞いて、『無駄にした小腸をどうしてくれるんだ!』と思いました(笑)」

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