子宮頸がんで子宮全摘、抗がん薬治療を経て完全復帰した女性ドラマー小林香織さん(39歳) 自分と同じ思いをしないためにも「がん検診に行って欲しい」
1978年東京都生まれ。12歳でドラムを始め、数々のバンドを経て、99年からはソロドラマー、サポートミュージシャンとして、様々なライブや舞台に立ち、2004年にはブロードウェイミュージカル日本版「CABARET」に演奏出演。06年、宇都宮隆プロデュースのバンドU_WAVEに参加、今年でU_WAVEは12年目を迎える。11年7月に子宮頸がんの闘病に入り、手術、抗がん薬治療を経て12年3月に復帰
サポート、スタジオワークと並行してTM NETWORKの宇都宮隆さん、ヨッチャンことギタリストの野村義男さんらとバンドU_WAVEを結成して今年(2017年)で12年目、独自の音楽を開拓しながら、女性ドラマーとしての確かなポジションを築いてきた。そんな小林さんに病という激震が起きたのは5年半前。仕事を休むことへの焦り、不安……自分の居場所に戻りたい一心で、小林さんは治療に臨んだ――。
円錐切除術で終わるはずが……
2011年5月、当時住んでいた区から、子宮頸がん検診のクーポンが届いた。33歳のときだった。
「不正出血もあったし、無料なら行ってみようかな」
5月31日、初めてのがん検診。細胞診前の内診では、「ちょっと炎症がありますね」と言われ、抗菌薬を処方された。数週間後に要再検査の通知が届き、区内の総合病院を紹介されて6月20日に受診。検査の結果、子宮頸がんであると知らされた。
「円錐切除術(えんすいせつじょじゅつ)で2週間ほどの入院になるでしょう、と言われました。それを親に話したら、がん専門の病院でもう1度診てもらうよう強く言われて……」
円錐切除術とは、子宮頸部を、がんの部分を含めて1~2cmの奥行きで円錐状に切り取る手術法。子宮頸がんの詳細な診断のために行われることが多いが、早期(主にⅠ期以前の上皮内がん)には治療法になる。円錐切除術ならば、子宮の多くを残すことができ、その後の妊娠も可能。手術時間も30分前後と患者の負担も軽い。小林さんも、この円錐切除術さえ受ければ、治療は終了すると思っていた……。
しかし、両親の強い勧めもあり、都内のがん専門病院の門を叩く。それが7月7日、七夕の日だった。このときは、円錐切除術でがんを取り除き、1日も早く仕事復帰したいという思いで一杯だった。しかし、がん専門病院では、内診の時点で「これは子宮を全摘しないといけない」と明言されたという。
「えっ……全摘? 円錐切除じゃないの?」
子宮頸がんは、進行の度合(浸潤の深さ:深達度)によって病期が細かく分類される。まず、がんが子宮頸部にとどまっているものがⅠ期。その中でも、肉眼では見えない段階で、浸潤の深さが5㎜以内、広がりが7㎜を超えないものがⅠA期。大きさがそれを超えて、肉眼で確認できるものがⅠB期。ⅠB期の中でも大きさが4㎝以内ならばⅠB1期、4㎝を超えるものはⅠB2期となる。小林さんの腫瘍は、検査の結果、子宮頸部にとどまるもので、3㎝大。ⅠB1期だった。
命優先の選択をしたとき
ⅠA期であれば、妊娠を強く希望する場合などでは円錐切除術が適応になるケースもあり、段階ごとに単純子宮全摘出術、準広汎(じゅんこうはん)子宮全摘出術、広汎子宮全摘出術と摘出範囲が広くなる。しかしⅠB期に入ると、子宮の周囲も大きく切除する広汎子宮全摘出術、加えて骨盤リンパ節郭清も必要になってくる。
「子どもは欲しいですか?」
子宮全摘という話になったとき、まず医師にそう聞かれた。
「私たち夫婦は、絶対に子どもが欲しいというわけではなかったので、『これからも2人一緒に楽しく生きていこう』と話して、迷うことなく、命を優先する選択をしました。でも、もし夫婦どちらかが子どもを強く望んでいたら……、非常に難しいところだったと思います」
全摘の覚悟は決めたものの、ライブを控えていた小林さんは、手術日を1カ月延期できないかと医師に相談した。
「そんなことしたら、どんどん悪化してしまうよ」
医師にそう言われ、ようやく自身の病状と、今何を優先すべきかがわかったという。
8月8日、広汎子宮全摘術と骨盤リンパ節郭清が行われた。手術時間6時間50分。術後、名前を呼ばれて目覚めたとき、とにかく傷口が痛かった。そして、麻酔のためか、悪寒で震えが止まらなかった。
「強がりな私は、それでも弱音を吐けなくて……。親もいたから心配をかけたくなかった。でも、手術直後、父が病室に残った時間があって、そのとき『父の手を握りたい』と思ったんです。普段はそんなこと思ったこともないのに。あのときだけは無性に人の体温に触れたいと思った。皮膚と皮膚の温もりが欲しい、と」
リンパ節転移陽性という結果
手術後、切除したリンパ節の病理検査の結果、50個採取したリンパ節のうち、2個が陽性と判明。わずかではあるが、すでに骨盤リンパ節に転移していたのだ。まさか……の結果だった。リンパ節転移があった以上、すでにリンパ節を介して、全身にがん細胞が回ってしまっている可能性もある。全身への抗がん薬投与が決まった。
「実は、手術でおしまいと思っていたので、抗がん薬と言われても実感がなくて。だから淡々としていたように思います。投与すればいいのよね……という感じ。そのときは、副作用があんなにつらいとは知りませんでした」
すぐに抗がん薬治療が始まった。*カンプトと*アクプラによる治療を5クール、5カ月間かけて行う抗がん薬治療。想像だにしなかった副作用に見舞われた。
「9月に始まった1クール目。点滴での投与は2~3時間で終わりました。投与後、昼食で出された野菜カレーも美味しくて完食し、大丈夫だ! と思っていたら、3日後に突然気持ち悪くなって……。胃のムカムカと倦怠感(けんたいかん)はいまだかつて経験したことのないもので、その後ずっとカレーを見ると気分が悪くなって、しばらくの間食べられなくなってしまうほど。2、3クール目も同じでした。投与から2~3日して突然気持ち悪くなって何もできなくなるんです。5クール目になると抗がん薬が蓄積されてくるのでしょう、投与直後から気持ちが悪くて、迎えに来てくれた車に乗ることすらつらかった。『この状態で、電車で帰宅する人もいるんだ……そんなの無理だ……』と朦朧としながら思ったことを覚えています」
胃のムカムカから解放されない5カ月間、なぜかガラッと味覚が変わったという。普段はミネラルウォーターを好むのに、炭酸飲料や甘いミルクティーのペットボトルをゴクゴク飲んだ。そして、なぜか果物だけはたくさん食べられた。山梨で農家を営むご主人のご両親が送ってくれる果物が、何よりありがたかったそうだ。
*カンプト=一般名イリノテカン塩酸塩 *アクプラ=一般名ネダプラチン
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