骨肉腫で手術、抗がん薬治療を行ったアメフト元日本代表の大森優斗さん(25歳) 「前を向く。それを発信していきたい」

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年4月
更新:2017年4月

  

おおもり ゆうと
1992年1月2日生まれ。高校からアメリカンフットボールを始め、関西学院大学では大学2、3、4年生のときに学生日本一に輝く。大学卒業後は、社会人アメリカンフットボールXリーグのアサヒビールシルバースターに所属。ポジションはDB。2015年には「オールXリーグ」にも選出され、日本代表入りも果たす。2016年2月に骨肉腫と診断。抗がん薬治療や手術を経て、2017年1月から職場復帰。また、今季からはコーチとしてチーム運営に関わる

がんは日の出の勢いで成長するスポーツ選手にも容赦なく襲いかかり、選手生命を終わらせてしまうことも少なくない。アメリカンフットボールの名門アサヒビールシルバースターに所属する大森優斗さんもその1人で、24歳の若さで骨にできるがん、「骨肉腫」が見つかり、順調に歩んでいた選手生活に突然赤信号が灯ることになった。

インターセプトを連発するアメフト界のホープ

大学時代には日本一に3度も輝き、社会人になっては名門アサヒビールシルバースターのDBとして活躍していた

社会人のアメリカンフットボールリーグであるXリーグは、毎年8月下旬に開幕する。2015年の開幕週、最も注目されたのはアサヒビールシルバースターとLIXILディアーズの一戦だった。

この試合で誰よりも光っていたのは、シルバースターのDB(ディフェンシブバック)の大森優斗さんだった。DBはデフェンスのポジションで、主にパス攻撃を止めるのが役目だ。このゲームで大森さんは第3クォーターに体を巧みに入れ替えてインターセプト(パスを奪い取るプレー)を決め、さらに24対24の同点で迎えた第4クォーター、残り2分半の場面でこの日2度目のインターセプトを決めただけでなく、そのまま敵のタックルをすり抜けてエンドゾーンに駆け込みタッチダウンを決めた。

このインターセプトリターンタッチダウンというスーパープレーをやってのけた大森さんは、チームに劇的な勝利をもたらしただけでなく、ビッグプレーを連発するホープとして注目されるようになった。

しかし、それからわずか半年後の2016年2月、大森さんは骨にできるがんである「骨肉腫」と診断され、順風満帆だった選手生活に突然赤信号が灯ることになる。

右ひざの脛骨にあった7㎝の悪性腫瘍

大森さんが右ひざの脛骨(けいこつ)に痛みを感じるようになったのは、その2カ月前の2015年12月のことだった。

「初めは痛みというよりは違和感程度のものだったので、それほど気にはなりませんでした。学生時代に右ひざの前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)断裂という大ケガを経験し、8カ月間休んだことがあるので、その影響ではないかと思っていたんです」

このような痛みは、練習を続けているうちに次第に治ってしまうことが多いが、この脛骨の痛みは治まるどころか、日が経つにつれてどんどん痛みが激しくなった。不安になった大森さんは1月中旬、チームドクターである整形外科の医師に診てもらった。

そこで各種の検査を受けたところ、レントゲン検査で、脛骨に濃い白色になっている部分があることが判明。応対した医師は「炎症を起こしているのかもしれません。ただはっきりとしたことはわからないので、専門の施設で検査をする必要があります」と言って都内にあるがん専門病院で詳しい検査を受けることを勧めた。

その病院は全国から患者が殺到するため、なかなか診察予約を取ることができず、2月中旬になってようやく受診。応対した医師による診察の結果、大森さんは脛骨に腫瘍があることを知らされた。

「担当の先生からは、腫瘍には良性と悪性があり、1度手術をして組織を採取し、検査してみないとわからないと言われました。〝腫瘍〟と言われても、そこまで実感はなく、これから大変なことになるとは、その時は思ってもいませんでした」

大森さんは2月下旬、病院に入院して切開生検(せっかいせいけん)を受けた。

その結果、悪性、つまり骨肉腫であることが判明した。

骨肉腫は骨にできるがんで、年間の罹患者数は200~300人と少なく、希少がんにあたる。大森さんの場合、病巣は脛骨にあり、大きさは7㎝ほど。がんはまだ原発巣に留まっていて、他の臓器に転移は見られなかった。

手術して人工関節を入れることに

「来年、再来年と自分がしたいことができるのなら、今は苦しい思いをしても乗り越えないといけないと思った」と語る大森さん

骨肉腫を告知されたときの心境はどうだったのだろう?

「やっぱりショックでした。ある程度、自分でも悪性かもしれないと、薄々わかってはいたけれど……、そうじゃない可能性もあるという思いもありましたから」

骨肉腫と判明したことで、アメフトの現役生活を続けることは現実的に難しくなる。

「主治医の先生からは、人工関節にした人の中で、スポーツを100%の力でできている人はいないと言われました。ただ、これまで続けてきたアメフトができなくなることを受け入れるのは、そう簡単なことではなかったですね。ちょうどその年、シルバースターの副キャプテンに指名され、これからチームを強くしていくんだと公言していたところでしたし、僕自身もアメフト社会人のXリーグでベストイレブンの賞をいただいて、これから頑張っていこうと思っていた矢先のことでしたから。

実はがんの疑いが強くなったころ、どうにかして現役を続ける道はないものかと思い、チームドクターに相談したことがありました。しかし、チームドクターからは、もし骨肉腫で人工関節になった場合、やはり現役生活を続けることは難しいと。気持ちはわかるけれど、アメフトを選手として続けるという考えは止めたほうがいいと言われました」

精神的な落ち込みは相当だった。とはいえ、時間的猶予もない。日を置かず、すぐに治療が始まった。

身の回りのことは、東京に転勤中の父親と、関西にある自宅から上京した母親が、世話をしてくれたので、不便を感じるようなことはなかった。

主治医が示した治療方針は、

(1)手術前に抗がん薬を3カ月ほど投与してがんを小さくする(術前補助化学療法)

(2)脛骨の腫瘍部分を周辺組織も含めて大きく切除し、人工関節に置き換える手術を行う(人工関節置換術)

(3)手術後は、半年間抗がん薬治療を行って再発のリスクを減らす(術後補助化学療法)

と3段構えになっており、早速、術前補助化学療法が始まった。

使用されたのはシスプラチンとアドリアシンである。スケジュールは、1カ月1クールとして、それを3回行うことになっていた。

シスプラチンとアドリアシンは、どちらも副作用が強いことで知られるが、大森さんの場合はどうだったのだろう?

「吐き気、食欲不振、脱毛、だるさ、耳鳴り、発疹、爪の黒ずみなど、色々な副作用が出ました。自分でもある程度覚悟はしていたけれど、きつかったですね。とくにしんどかったのは味覚障害です。病室でお見舞いに来た友人たちと、いただいた高級イチゴを食べたとき『これ、全然味せ~へんな』と言ったら、みんなから『むちゃくちゃ甘いで』と言うんで、自分の舌の感覚が完全に麻痺(まひ)していることがわかったんです。何を食べても味が全くしなくて、白米も噛んでいるとお米の丸みが口に当たるような感じがして嫌になり、食べられなくなってしまいました。体重も10㎏近く減り、スポーツ飲料やゼリー系の食べ物など、食べられるもので何とかエネルギーを補っていました」

それでも医師から抗がん薬でがんが縮小していると聞かされれば、つらい副作用も耐えることができる。大森さんは3クールやり抜いた時点で腫瘍の縮小が認められ、5月下旬に手術を受けることになった。

手術は全身麻酔で行われ、まず、脛骨の腫瘍部位が周辺組織ごと大きく切除され、切除した骨の代わりに人工関節が置換された。さらに、切除した膝蓋腱(しつがいけん)の代わりにふくらはぎの筋肉を人工関節の周りに移植するなど、細かい作業が行われ、7時間に及ぶ手術は無事、終了した。

シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ アドリアシン=一般名ドキソルビシン

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