直腸がんを経験し、人工肛門にとことん悩まされた作家のC.W.ニコルさん(76歳) 「がんだと聞いて、1度は死を覚悟しました」
1940年7月生まれ。ウェールズ出身。17歳でカナダに渡り、以降、世界の様々な国で、自然に関わる仕事に従事する。62年に初来日。80年、長野県黒姫に居を定め、執筆活動を続けるとともに、86年より森の再生活動を実践するため、荒れ果てた里山を購入。「アファンの森」と名付け再生活動を始める。2016年6月、直腸がんが発覚。化学放射線療法を行い、その後手術。現在に至る
C.W.ニコルさんは弟、義理の息子、ベストフレンドの3人を1年のうちにがんで失った。そのため直腸がんと知らされたとき、「今度は自分の番だ」と自ら死を覚悟したという。化学放射線療法、そして手術。願わくば経験したくない〝冒険〟を経て、今思うこととは――。
大腸内視鏡検査に対する強い嫌悪感
作家、環境保護活動家、探検家として知られるC.W.ニコルさんは、1980年に長野県の黒姫に居を定め、86年からは、森の再生活動を実践するため、近隣の荒れ果てた里山を購入。「アファンの森」と名付けて再生活動を開始した。
都内にある総合病院で3カ月おきに健康診断を受けるようになったのもそのころからで、30年以上受け続けていたが、持病の不整脈以外、大きな異常が見つかることはなかった。
ところが昨年(2016年)春ごろに受けた際、血液検査で血中の鉄分が異常に低くなっていることが判明。医師から、最近体に何か異変が起きていないかを訊ねられた。
ニコルさんには思い当たる節があった。
「実は、検査を受ける数日前に、トイレで下血をしたんです。便器が血で真っ赤に染まるほどでした。しかもそれが初めてではなく、一昨年(2015年)の秋ごろにも、下血があったのですが、胃潰瘍(いかいよう)かなと思い、誰にも言っていませんでした」
そのことを話すと、医師は深刻な表情になって、なるべく早く大腸の内視鏡検査を受ける必要があることを説明した上で、検査ができる病院を紹介してくれた。
だが、ニコルさんは検査を受ける気は全くなかった。大腸の内視鏡検査に対する嫌悪感があったからだ。過去に1度、大腸内視鏡検査を行ったことがあり、人格を否定された気持ちになったため、2度と受けるものかと心に決めていたのだ。
しかし、医師から心の琴線に触れることを言われ、心変わりする。
ニコルさんは6月、天皇皇后両陛下を黒姫の「アファンの森」にお迎えして案内役を務めることになっていた。医師がそのことに触れて、「もし、そのとき下血が起きて大役を務めることができなくなったら、どうするんです」と諭(さと)したので、渋々ではあるものの、ニコルさんは検査を受けることにした。
化学放射線療法から始まった治療
ニコルさんは、紹介された病院で大腸内視鏡検査を受けた結果、すぐにがんがあることが判明。その後、都内の総合病院に移り、細かい検査を受けたのち、主治医になった医師から、直腸の肛門に近いところにがんの病巣があることを伝えられ、なるべく早く入院して手術を受けることを勧められた。
「がん」と知らされたとき、ニコルさんの脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、〝自らの死〟だった。
「死ぬと思ったのは、その1年以内にたった1人の弟と義理の息子(娘さんの夫)、それにカナダにいるベストフレンドの3人を、相次いでがんで失っていたからです。ニコル家の中で74歳を超えて生きている人はいません。次は間違いなく僕の番だと思いました」
主治医からはできるだけ早く手術を受けることを勧められたが、ニコルさんの場合、早く手術を受けたくても2、3カ月先まで仕事が立て込んでいるため、すぐに入院することが難しかった。そのため、まずはひと月ほど通院しながら抗がん薬と放射線治療を同時に行う化学放射線療法でがんを縮小させ、その後、日程調整した上で手術を受けるという治療方針が決まった。
手術前の化学放射線療法が始まったのは、夏の暑さがピークを迎えたころだった。使用された薬剤は、経口薬の*UFTと*ユーゼルである。
治療による副作用はどうだったのだろう?
「副作用は下痢ぐらいで、それほど出ることはなかったです。弟は闘病中、何も食べられずに吐いてばかりいたし、義理の息子も化学療法でしんどい思いをしたと聞いていましたので、半分諦めていたのですが……、僕の場合、全く吐き気もなく過ごすことができました」
1カ月にわたる治療の結果、腫瘍は縮小。ニコルさんは11月に入院し、手術に臨むことになった。
*UFT=一般名テガフール・ウラシル配合 *ユーゼル=一般名ホリナートカルシウム
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