大腸がんを経験した市民ランナーのカリスマコーチ・金哲彦さん
再発への不安はフルマラソンを走ることで乗り越えました

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2012年8月
更新:2013年8月

  
金哲彦さん

金 哲彦 きん てつひこ
1964年生まれ。福岡県出身。中学校より陸上・長距離を本格的に始め、高校卒業後は名門、早稲田大学の競走部へ。箱根駅伝では1年生から4年連続で5区の「山上り」を走り活躍。その後はリクルートに入社し、現役引退後、コーチとして強豪クラブの礎を築く。現在は市民ランナーの指導にあたるかたわら、テレビ、ラジオの陸上競技の解説者としても活躍中

年齢が若く、健康に自信のある人は、健康診断でがんのシグナルが出ているのに、それを放置しておく人も多い。マラソン・駅伝の解説者、市民ランナーの指導者として知られる金哲彦さんも、その1人だ。健康診断で便潜血反応が認められたものの、詳しい検査を受けず、4年後に突然大量下血に見舞われ、大腸がんが見つかった。

21㎞走ったあとに起きた大量下血

金哲彦さん

2006年7月上旬、金哲彦さんはホノルルマラソンで好タイムを狙うタレントの長谷川理恵さんのコーチとして、高地トレーニングのメッカであるコロラド州ボルダーに赴き、指導にあたっていた。

ボルダー滞在中、金さんは便通が異常に多くなり、毎日5~6回もトイレに行くようになったので、なぜだろうと思った。しかし、健康には絶対の自信を持っていたので、一時的なものだろうと解釈して、帰国後、休む間もなく長野県小布施町で開催されたハーフマラソン「小布施見にマラソン」にゲストランナーとして出場した。

異変が起きたのはレースに参加後、帰りの新幹線で、いつものように仲間と缶チューハイを飲みながら楽しくやっていたときのことだった。

「急に腹が下る感じがしたのでトイレに行ったんです。水のような下痢便がかなり出た感じがあったので、お尻を拭いた紙を見たら血で真っ赤でした。便器も真っ赤で、排泄されたものは、ほとんどが血でした」

不安に駆られた金さんは、知り合いの看護師に教えられた内科クリニックで、大腸の内視鏡検けんさ査を受けることになった。そのクリニックは金さんの家がある千葉県佐倉市に隣接した成田市にあり、院長のH医師は内視鏡検査に熟練したドクターとして、地元で評判がよかった。

検査当日、金さんはH医師のクリニックに10時前に入って受付を済ませたが、待合室は順番を待つ患者でいっぱいで、金さんが呼ばれたのは午後4時過ぎだった。それまでの時間を金さんは持参した本を読んだり、待合室に貼ってある大腸がんの解説ポスターを見たりしながら過ごした。

検査が始まると、H医師は内視鏡を肛門から大腸の先端まで送り込み、腸管を観察していった。

金さんはプロのコーチとして、医学的基礎知識や運動生理学の知識を習得しているので、人のからだの仕組みや組成に対する好奇心が旺盛である。H医師が内視鏡を操作しながら、これが何で、これは何ですと、説明してくれたので、一緒にモニター画像を見ながらそれに聞き入り、疑問点や知りたいことがあれば、どんどん質問した。

大腸がんのポスターと同じものが画面に

内視鏡が肛門のところまで来るとH医師は、少し内視鏡を戻してカシャ、カシャと写真を撮り始めた。

金さんはどうも変だと思った。

「写真を何回も撮っているので、はっきりその部分の形が見えるんです。待合室で見た大腸がんのポスターに出ていたものとそっくりなんで、背筋が凍りつきました。まさか、と思って見ていると、腸管の表面をつまんで切り取るようなことも行っているので『ひょっとして、がんですか』って聞いたんです。そしたら『そうですね。間違いないでしょう』って、あっさり肯定されてしまったんで、サーッと血の気が引きました。新幹線で下血があったあと、これといった自覚症状はなかったし、健康には絶対の自信を持っていて、ぼくの辞書に、がんという文字はなかったですから」

ショックを抱えながら金さんは、妻に電話で大腸にがんが見つかったことを伝え、さらに北九州市に住む母にも事実を伝えた。

「母には『がんになっちゃった。ごめん』と謝りました。親より先に逝くかもしれないわけですから。受話器の向こうで母が『どうしておまえが!』って、泣きじゃくっているので、こっちもしんどくなって涙が止まりませんでした」

そのあと、しばし思い切り声を出して泣き、さらに自転車に乗って、いつも走っているランニングコースに行き、上り坂を心臓が苦しくなるまでペダルをこいでいると、疲れきって汗だくになり、少し心の平静を取り戻すことができた。

検査からわずか10日で開腹手術

がんが見つかったあと、金さんはH医師から、がんがかなり進行している可能性があり、若いと進行の速度も早いので、一刻も早く摘出手術を受けるよう勧められた。

それに同意すると、内視鏡検査のわずか10日後に、千葉市にあるI記念病院で摘出手術を受けられることになった。

なぜ異例のスピーディーさで、手術日が決まったのだろう?

「ドクター(H医師)の奥さんが、大腸がんの手術実績が十分にある外科医だったので、夫婦の間で話がすぐに通り、奥さんの執刀で開腹手術を受けることになったんです」

手術ではS字結腸の大半と、まわりのリンパ節が切除された。

術後の抗がん剤治療をしないと決める

ステージ3の大腸がんだった金さん

ステージ3の大腸がんだった金さん。手術ではS字結腸の大半と、まわりのリンパ節が切除された

がんは深く浸潤し、大腸の壁の外まではみ出していた。それのみならず、腹水も出ていたので、もし病理検査で腹水にがん細胞が認められたりすると、ステージ4となり、深刻な事態となる。

しかし不幸中の幸いで、数日後に出た病理検査では、腹水にがん細胞は認められず、ステージ3。金さんはホッと胸をなでおろした。

「腹膜転移が無かったことは本当にラッキーでした。長野からの帰りの新幹線で下血せず、あと1、2カ月そのまま過ぎていたら、転移していたと思います。今考えると、棺桶に片足突っ込んでいる感じでした(笑)」

このように、腹膜転移は見られなかったものの、リンパ節転移がわずかながら認められたので、金さんはH医師から、再発防止のために抗がん剤治療を行うよう勧められた。抗がん剤は比較的副作用が少ないTS-1()がいいのではないかという話だった。

「TS-1については北九州にいる父も、静脈注射ではなく飲み薬で、副作用が少ないという評判を見て、ドクターから話が出る前に、新聞の切り抜き記事を送ってきました。自分自身でも、本で調べてTS-1のことは知っていましたが、いろいろ調べた上で、やらないことに決めました。やれば確実に体が弱り、仕事ができなくなると思ったからです。そのかわり食生活を変えるなどして、免疫力を高めていくことにしたんです」

やらない選択をしたことをH医師に伝えると「あ、そうですか。わかりました」と、了承してくれた。

TS-1=一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム


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