がんを経験したことで、死に対する度胸がつきました ステージ3の大腸がんを克服した女優・中原ひとみさん
1936年、東京・上野に生まれる。1953年、東映ニューフェイス第1期生として女優の道へ。1960年、映画で共演した俳優の江原真二郎氏と結婚。映画「米」「純愛物語」や、テレビ「女と刀」「ただいま11人」など、女優として幅広い場で活躍している。
15年前、がんはまだ死病というイメージだった。しかし、女優の中原ひとみさんは大腸に開腹手術が必要ながんがあることを知らされても、冷静に受け止めることができた。がんにならなくても、遅かれ早かれ人は死ぬのだから──。小さな体からはうかがいしれない、中原さんの芯の強さに迫った。
舞台が終わっても治らない下痢
大腸がんは血便、下血、下痢、腹痛、腹部膨満感などの症状を伴うことが多い。中原ひとみさ んの場合は下痢だった。
しかし、それですぐに大腸がんを疑ったわけではなかった。
「その年(1997年)は年初から3カ月も続く長丁場の舞台に出ていたんですが、そのストレスのせいで下痢が続いているのだろうと思っていたんです」
舞台の仕事によるストレスならば、舞台が終われば治る。しかし、そうはならなかった。
一緒に舞台に出演していた友人にそのことを話すと、医師に相談するよう勧められた。
「漢方の先生を紹介していただいたんです。気功の先生のところにも行きました。漢方の先生からはお薬も出していただいたんですが、下痢は、治ったような治らないようなグジュグジュした状態が続きました。5月に通い始めたんですが、そんな状態が2~3カ月続きました。お腹に何かあるような感じもあったので、秋になって、やっぱりこれはちゃんと調べてもらったほうがいいと思うようになったんです」
横行結腸がんであることが判明
それまで中原さんは、体の調子がよくないときはお産でお世話になった知り合いの産婦人科医を頼っていた。その医師が転勤で神戸に移ってからも、向こうで仕事があるときに立ち寄って診てもらっていたので、このときも広島での仕事が終わったあと、神戸に立ち寄って検査を受けた。
がんが見つかるきっかけになったのは、その際に受けた便潜血検査だった。
陽性という結果が出たため、中原さんは帰京後、医師から紹介された都内の大学病院を訪ね、大腸内視鏡検査を受けた。その結果、横行結腸にがんがあることがわかったのだ。
「内視鏡検査の写真を見せられたんですが、卵くらいの大きさのがんが写っていました。着色した写真であることを知らなかったので『わー、ばらの花のようですね』と言った記憶があります。そのくらいの大きさになると内視鏡手術では対応できないので、開腹手術になるということでした」
がんだと知ったときの心境は、どうだったのだろう?
「ショックはなかったです。以前、関西テレビの『成人病110番』という番組で司会をしていたので、がんは死病ではないという認識がありましたから」
ご主人の江原真二郎さんや、娘の土家里織さんにも、がんが見つかったことを慌てて伝えるようなことはせず、タイミングを見計らって知らせている。
「主人は舞台の真っ最中でしたので、もし話すとショックを受けて舞台の仕事に集中できなくなると思ったんです。ですから、ほかのことは話しても、がんのことは黙っていて、舞台の公演が終わりに近づいてから話しました。娘には、もう少し早く伝えましたが、がん=死病と思い込んでいるので、おろおろして泣いていました。『大丈夫よ、大丈夫よ』って私のほうが慰めていました」
女優という職業に配慮した手術
医師からなるべく早く手術を受けるよう勧められた中原さんは、その年の12 月15日に手術を受けることになった。
手術の前日になると、主治医から詳しい説明があるが、このときになって初めて中原さんは大きなショックを受けた。がんの病巣は横行結腸の右側にあったが、がんの位置や状態によっては上行結腸から横行結腸にかけて腸管を40㎝ほど切除することになるかもしれないと言われたからである。
「手術時間も5~6時間かかると言われたので、『ワー、すごいことになった』と思いました。私自身の中では、がんは内視鏡で切除できる範囲は超えているけど、比較的早期だという思いがあったので、そんな大がかりな手術ではないと思っていたんです。私は腸が弱くて、ショックなことがあるとすぐにトイレにいきたくなるんですが、そのときも急にお腹が痛くなって中座してしまいました」
しかし翌日行われた手術は、2時間ほどで終了した。開腹後、がんの位置や状態、浸潤の度合いなどを検討した結果、横行結腸を20㎝ほど、所属リンパ節も含めて切除すればよいという判断がなされたのである。
通常がんの開腹手術では、皮膚の切開を電気メスで行い、縫合には医療用ホチキスが使われる。しかし中原さんの手術では、一昔前のように金属製のメスが使用された。
「女優さんだから変な傷はつけられないということで、昔式のメスでやってくださったんです。もう年なので、お腹を見せる仕事もないんですけどね(笑)。お陰さまで今では、切開部の傷がほとんどわからないくらいになっています」
術後の経過は順調で、痛みに苦しむようなことはなかった。4日目におもゆを食べ始めたとき下腹部が痛んだが、つらかったのはそのときだけで、6日目には3分粥の摂取が可能になり、予定通り、術後12日目の12月27日に退院の運びとなった。
リンパ節転移がわかる
退院の前日、中原さんは主治医から病理検査の結果、リンパ節転移が見つかったことを知らされた。
「手術の際に採取された27個のリンパ節の1つから転移が見つかりました。でも、それにショックを受けるようなことはありませんでした。それがどんな意味を持つのかよくわかっていませんでしたし、抗がん剤をやるという話も出ませんでしたから。私のがんがステージ3だと知ったのも、ずっと後のことでした」
術後は、とくに追加で治療を受けることなく、しばらくは自宅で安静に過ごしていた。
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