総理就任直後にわかったがん。だからこそ、どうすべきか迷いました 前立腺がんを克服した元首相・森喜朗さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2012年5月
更新:2019年7月

  
森喜朗さん

もり よしろう
1937年生まれ、石川県出身。高校時代はラグビー部の主将として活躍。早稲田大学ではラグビー部に入部するも、体をこわし断念。大学卒業後はサンケイ新聞東京本社に入社し、1969年に第32回衆議院選挙に無所属で出馬。2000年に第85代内閣総理大臣に就任。現在、日本体育協会名誉会長、日本ラグビーフットボール協会会長、東京オリンピック招致委員会評議会副会長などを兼務。

がんは1番望ましくないタイミングで見つかった。森喜朗さんは、内閣総理大臣就任直後に前立腺がんであることがわかったのだ。国家の政治指導者である首相のがんは、政局を左右する重大事項である。国の行く末と自らの病──。森元首相が当時の葛藤する心の内を吐露した。

就任直後に受けた前立腺生検

2000年4月7日夕刻、都心にあるT病院に新聞記者の一群が押しかけてきていた。2日前に首班指名を受けたばかりの森喜朗首相が検査入院することになったからである。

この日、森さんは衆参両院で所信表明演説を行い、さらに首相経験者などを訪ねて就任にあたっての挨拶をしていた。小渕恵三前首相が激務の中で脳梗塞に倒れた直後ということもあって、記者たちは森さんも首相就任前後のあわただしい動きの中で体調を崩したのだろうと思っていた。

しかし森さんの本当の目的は1泊の予定で前立腺がんの生検を受けることにあった。

「その数年前から健康診断でPSAマーカーが正常範囲である4ng/㎖を超えるようになり、2桁に近い数値が出ていたので健診センターの院長さんから『前立腺がんの可能性があるので、いっぺん生検をされたらどうですか』と言われたんです。そこで総理に就任する直前に紹介していただいたT病院で受けることになったんです。予約を入れてから小渕さんが脳梗塞で倒れ、はからずもぼくが総理に就任することになったので、いったんは生検をやめようと思いました。でも、また時間をとれるのがいつになるかわからないし、その日がたまたま金曜日で土、日は休めるので、今受けてしまおうということになったんです」

検査の結果、「がん」がわかる

数日後、検査の結果が出た。

結果はがんだった。

「生検では6カ所から組織を採取したんですが、4カ所からがん細胞が見つかったそうで、主治医のK先生から『間違いなくがんです』と言われました。

ショック?それはなかったです。あっ、そうか、という感じで冷静に聞いていました。私の家はがんの多い家系で、実の母を小さいときに乳がんで亡くしているし、父も弟も胃がんをやっていました。そのため常に私もいずれ体のどこかにがんが出るという思いがあったんです。しかし、首相になったばかりでしたから、どう対処するか悩みました」

告知のあと、K医師から詳しい説明があり、①前立腺がんは進行が遅いとはいえ周辺のリンパ節や骨に転移しやすいので早い時期に摘出手術を受けることが望ましいこと、②手術は開腹で行うので、約1カ月間入院する必要があること、③前立腺がんはホルモン療法(内分泌療法)が効き、一定期間、がんの進行を抑えられること、などが伝えられた。

「あとはご自分で判断していただくしかありません」

ひと通り説明を聞いたあと、まず森さんは、1番気になっていたことを尋ねた。

「手術をしないと死にますか?」

それに対しK医師は、

「前立腺がんは、それ自体で死ぬことはほとんどないですが、進行すると必ず骨とリンパ節に転移します。そうなると痛みが凄くて、最後はモルヒネも効かなくなり、大変苦しむことになります」

と答えた。しかし「早く入院してください」とは言わなかった。森さんとの会話の中で、小渕前首相が脳梗塞で倒れたばかりなのに森さんまで、がんで入院するような事態は許されないことをよく理解していたからだ。

「総理大臣になられたばかりの方に、『すぐに入院して手術を受けてください』と言っていいものかどうか判断に迷います。お伝えすべきことは申しましたので、あとはご自分で判断していただくしかありません」

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主治医にそう言われた森さんは、熟慮の末、ホルモン療法でがんの進行を抑えながら、首相の職務に全力投球する腹を固めた。ホルモン療法はLH-RHアゴニスト剤と抗アンドロゲン剤を併用する形などで行われるが、前者は注射で投与され、後者は飲み薬である。手術や放射線のように入院や長期通院の必要がないのが好都合だった。

しかし、その一方でこの治療は、途中で薬が効かなくなり、再びPSAマーカーの数値が上がりだすことがある。そうなると根治を目指すには手術を受けなくてはならない。

「就任早々にがんが見つかったので、総理の座に長くとどまる気はありませんでした。私が(総理大臣を)1年ちょっとやると参議院の選挙だったんですよ。戦術として、その直前に辞めて後任にボールを渡すのがいいと思っていました。政治もラグビーと同じで自分でトライしなくてもいいんです。ボールをつないで誰かがトライすれば、それでいいので、何とかそこまで引っ張っていこうという気持ちでした」

プーチン大統領に辞める意向を伝える

学生時代はラグビー部で活躍し、現在は日本ラグビーフットボール協会会長

学生時代はラグビー部で活躍し、現在は日本ラグビーフットボール協会会長でもある森さん。ユニフォームと一緒に

ホルモン療法は強い副作用が出る人が少なくないが、森さんの場合はどうだったのだろう。

「それはなかったですね。ただ、もともと肉付きがいいのにさらに太りやすくなったし、ゴルフの飛距離も出なくなりました。しかし、それほどひどいものはありませんでした。それよりマスコミが四六時中張り付いているので、注射を打ってもらうときはちょっと苦労しました。病院にはそう簡単に行けないので(医師に)公邸に来てもらったこともあります」

森さんががんのことをはじめて口外したのは辞意を固めた01年3月下旬のことだった。場所はロシアのイルクーツク。プーチン・ロシア大統領との会談の席上だった。

「プーチンさんとはそれまで何度も会っていましたが、ぼくはラグビーで、彼は柔道をやっていましたから(スポーツをやっていた者同士)、もともとウマが合うんですよ。北方四島の問題についても、ぼくとあなたで解決しようと言っていたし、そのときの首脳会談ではいろいろ意見を交換し、約束もしていたので、帰国してすぐに辞任したら、大変失礼なことになる。そこで『実は、がんを患っていることもあって、帰国したら10日後になるか1カ月後になるかわからないが、辞任する腹を固めているので、そのことをあなたの腹の中にしまっておいて欲しい。後任の首相にも私がやるのと同じようにやってもらいますから』と伝えたんです」

2001年4月、森さんは退陣、次の首相として小泉純一郎氏にボールを託した。


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