多重がんを乗り切るコツはモグラ叩きに徹すること 幾度ものがんに負けずに女優生活を続ける大空眞弓さん
東洋音楽高校(現・東京音大付属高校)卒。1958年、新東宝に入社、「坊ちゃん社員」でデビュー。その後、東京映画に移り、喜劇「駅前シリーズ」などに出演。90年には舞台「人生はカタコト列車に乗って……」で第15回菊田一夫演劇賞を受賞するなど、女優としてさまざまな場で活躍し続けている。
大空眞弓さんは98年から11年までで、6回ものがんが見つかっている。乳がんが1回、胃がんが2回、食道がんが3回で、どれも原発がんである。しかし、驚くのはそれだけではない。その間も、大空さんは休むことなくテレビ、舞台にと、女優として活躍し続けているのだ──。
左乳房にできたゼリー状の柔らかいかたまり
はじめは乳がんだった。
告知されたのは98年11月のことで、部位は左の乳房。タイプは乳がんの中でも発生頻度の低い粘液がんだった。
このタイプは硬いしこりではなく、ゼリー状のしこりができるのが特徴である。以前から、大空さんの左乳房には柔らかいかたまりみたいなものがあり、その3年前には細胞診やマンモグラフィによる詳しい検査を受けていた。しかし、がん細胞は見つからなかったため、半年に1度、定期検診を行いながら経過観察を続けていた。
2年半は落ち着いた状態が続いた。ところが98年9月に検診を受けた際、しこりが大きくなっていることがわかったため細胞診をやったところ、「結果はあまり良い状態ではない」ということだった。
検診を受けたクリニックの医師は大空さんにその結果を伝えた上で、がんの専門病院でなるべく早く詳しい検査を受けるよう勧めた。
しかし大空さんは、それには従わなかった。スケジュールが立て込んでいたので、すぐに入院、手術ということになると、仕事に大きな穴を開けることになる。それだけは避けたかったのだ。
他にも、がんではなく乳腺症ではないかという気持ちもあった。左乳房のしこりは硬いものではなく、境目のハッキリしないブヨブヨしたものだったからだ。そこで大空さんは、友人から紹介された医師を訪ねて、本当にがんなのかを確認し、もしがんであれば仕事に差し障りがない形で、治療を受ける方法を探ろうと思った。
冷静に聞いていた乳がんの告知
訪ねたのは当時東京女子医科大学付属成人医学センターの所長だった横山泉医師だった。
同医師から、事前に電話で、検査を受けたクリニックからレントゲン写真やデータを持ってくるよう言われていたので、大空さんはそれを携えて訪ねた。
横山医師は、まずそれらの資料に目を通し、大空さんにがん細胞が見つかっているので、乳腺症ではなく、間違いなく乳がんであることを伝えた。そして、すぐに手術のできる病院に行くよう勧めた。
「がんと言われてショック?それは、なかったです。『あ、そうですか』という感じで、冷静に聞いていました。うちは、がん家系で一家4人のうち姉が胃がんで亡くなり、母は肝臓がんで逝きました。そのころ父はまだ存命でしたが、胃がんを経験していたので、私にもいつか来ると思っていたんです。ただ、すぐに手術をしましょうと言われたら、困るなとは思っていました。テレビの連続ドラマの撮影中で、それが終われば、お芝居も決まっていましたから」
そこで大空さんは、撮影や舞台出演が2月末までびっしり入っていることや、女優はいったん舞台やドラマの出演を引き受けたら、途中で降板することは許されないことを説明し、治療は舞台が終わってから開始したいと思っていることを率直に伝えた。
「あなたは人の命をどう考えているんですか!」
この時点で大空さんの頭の中は仕事のことで埋め尽くされ、自分の体のことは消し飛んだ状態になっていたといっていい。それを正常な状態に引き戻してくれたのは、横山医師の厳しい忠告だった。
「強い口調で『あなたは自分の命をどう考えているんですか!』って、怒られたんです。『がんを、甘く見てはいけません。人間生きていれば、人様の役に立つこともできるけど、死んだら何もできなくなるんです。命の重みというものを、あなたはよく考えるべきです』と気色ばんだ口調でおっしゃるので、頭をガーンと打たれたような気がしました。患者のことを本気で考えてくれるお医者さんなんだと思いましたね」
大空さんにとって、この横山医師との出会いは大きな意味を持つ。なぜなら今後襲いかかる一連のがんとの闘いで、常に頼りになる司令塔になってくれたからだ。
「もうヌードの仕事は来ないから、バッサリやってください!」
横山医師はその場で東京女子医大病院の第2外科に連絡を入れ、すぐに診察を受けられるよう取りはからってくれた。大空さんはその後すぐに診察を受け、検査の結果、浸潤性の粘液がんであることが確定した。
幸いだったのは、粘液がんは一般的に悪性度の低いがんで、他の乳がんと比べて予後が良好なことだ。大空さんの場合、主治医の判断として、手術で乳房を全部取ってしまえば抗がん剤や放射線治療をやらなくてもいいということだった。
それならば入院期間は10日ほどで済む──。大空さんは事務所の社長に頼んで連続ドラマの撮影スケジュールを調整してもらい、12月10日に速攻で東京女子医大病院に入院。翌日K医師の執刀で左乳房の全摘手術を受けた。
K医師からは乳房の温存手術も可能であることを伝えられていたが、大空さんは初めから全摘出しか考えていなかったという。
「温存だと退院後、放射線治療を通院でひと月半も受けなくてはならないからです。それに全摘にすれば、再発の心配も少なくなると思ったので、『センセー、もうヌードの仕事は来ないから、バッサリやってください!』ってお願いしたんです(笑)」
リクエスト通り手術では左乳房は切除された。
術後の経過も順調で、大空さんは退院直後に始まる舞台稽古に備えて体力保持のため、手術の翌日から院内を早足で歩き回った。そしてドレーンが外れたあとは階段の昇り下りを精力的にやって足腰を鍛えた。
その甲斐あって、退院後、舞台の立ち稽古が始まっても自然に演技ができたので、共演者にがんのことを気付かれることはなかった。
しかし、がんのことを隠し通すつもりはなく、手術から1年ほどが過ぎたころ、大空さんは「徹子の部屋」に出演し、乳がんの手術を受けたことを公表している。大空さんとしては、これでがんとの闘いにひと区切り付けた気持ちだった。しかし、これは第1幕の終わりに過ぎなかった。
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