体に負担が少ない胃がんの縮小手術に巡り合った写真家・関口照生さん
納得のいく手術法を探し求めたからこそ、今の自分がいるんです

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2012年3月
更新:2019年7月

  
関口照生さん

関口 照生 せきぐち てるお
1938年東京都生まれ。明治大学卒業。写真家。コマーシャルや雑誌・写真集の撮影を中心にフリーカメラマンとして活動。各TV局のコメンテーターとしても番組出演。世界の辺境を訪ねるTV番組の取材をきっかけに、以後ライフワークとして世界各地の取材を続け、全国各地で作品展「地球の笑顔」を開催。作品集に「地球の笑顔」「火のラティード」など多数。2001年に胃がんを経験。http://sekiguchiteruo.jp

これほど自分の納得する治療法を探し求めた人もいないだろう。写真家の関口照生さんは、2001年に胃がんが発覚。勧められた手術をすぐには受けず、1年あまりの間、治療法を模索し続けた。

たまたま行った検査でがんを発見

関口照生さん 写真家

早期の胃がんはこれといった症状が出ないため、検診や他の疾患の検査の過程で見つかることが多い。関口照生さんのケースもそうだった。

「がんが見つかったのは2001年のことですが、実は、その2年前に右目をケガしまして、手術を繰り返し受けたんですが、視力を失ってしまったんです。それで一時期、思うように写真が取れなくなり、そのストレスで胃潰瘍になってしまったんです。そんなことがあったんで、かみさんが内視鏡検査に行くとき『一緒に行かない?』って誘ってくれたんで、行くことにしたんです」

関口さんの奥さんは言わずと知れた女優の竹下景子さんである。おしどり夫婦として知られるが、検査の結果は2人とも仲良く「異常なし」とはいかなかった。関口さんだけ胃に小さながんが見つかったのだ。

ごっそり切る標準手術への疑問

ミャンマーで子どもたちと一緒にカメラを覗き込む関口さん

ミャンマーで子どもたちと一緒にカメラを覗き込む関口さん

がんは胃の中央部にあり、潰瘍のクレーターのような陥没の中に15㎜ほどの病巣があった。

検査担当の医師は関口さんに早期の胃がんであることを告げ、根治を目指すには開腹手術で胃を3分の2切除する必要があることを告げた。

ひと通り説明を終えると、医師は関口さんに消化器外科の受付に行って、入院の手続きをするよう勧めた。

だが、関口さんは、その勧めに従わなかった。

「ぼくが納得いかなかったのは、がんが小さいのに、なぜ開腹して胃の3分の2と、周囲のリンパ節までごっそり取らないといかんのかということでした。ぼくはもう60歳を過ぎていましたから、そんな手術を受ければ大変なダメージを受けることになる。そうなるとがんは根治しても、カメラマンとして社会復帰することは叶わなくなるような気がしました。カメラマンは体が資本。どこであろうと自在に行ける体じゃないと、仕事になりませんから」

納得しかねた医師の説明

手術を断ったあと模索したのは、がんと共存することだった。

そのことを奥さんの竹下さんに言うと、気持ちが楽になるような答えが返ってきた。

「うちのかみさんはどちらかといえば冷静なんです。『お父さんがご自分で考えて、がんと共存するほうを選ぶんだったら、それでいいと思う。手術はしようとしまいと、どちらでもいいです。お父さんが1番いいと思う方法を選んでください。私もそれに協力しますから』って言ってくれました。かみさんは、以前がん関連の学会の仕事を手伝ったことがあって、専門医も何人か知っていたので、もし必要であれば相談することもできるから、とも言われました」

関口さん自身も、医師の知り合いがたくさんいたので、その人たちに片っ端から意見を求めた。それだけでなく、意見の根拠となる資料も送ってもらって、自分でも勉強した。

「何人かには実際に会って意見を聞いたんですが、9割は手術を何らかの方法でするしかないという見解でした。がんが見えないところに広がっている場合もあるので、根治を目指すなら手術しかないと言うんです。でも納得がいきませんでしたね。医師は病巣を取り去ってしまえば、それで一応手術は成功したと言えるけど、患者はそれだけではないんだと思っていました」

がんと共存する治療を模索

関口さんはその後、がんと共存できる治療法はないか、探し始める。その1つとしてあたってみたのが、東洋医学だった。漢方に何かいい手だてがあるのではないかと思った関口さんは、中国の上海に飛んで漢方の医師(中医)に会った。

「その中医の方は『上海にずっと居るんだったら治療するよ』と言ってくれましたが、仕事があるので、そうはいきません。それに、居たとしても治る保証はどこにもないわけじゃないですか。ぼくの考え方は、やはりどちらかというと西洋医学寄りですから、この選択はないと思いました」

中国がダメならアメリカがある。そう思った関口さんは、アメリカの最先端医療もあたってみたが、こちらのほうも、共存を可能にするような画期的な治療法は見つからなかった。

結局1年3カ月、共存を可能にする治療法を探したが、「これはいい」と思えるものには出合えなかった。

そこで関口さんは、がんを切らないで共存していくことをあきらめ、がんの部分だけを切除する「部分切除」に近いことをしてくれる医師を探すことにした。

無治療でがんを抱え続ける不安

「そのような決断をするに至ったのは、精神的にかなりあせっていたからです。3カ月おきの検診では、がんはほとんど大きくなっていなかったんですが、手術賛成の医師の友人から電話が来て『もし転移していたら、どうするんです? 1、2年もたない可能性もあるんですよ』なんて言われるので、だんだん不安になってきたんです。精神的にもかなり不安定になって夜中に目が覚めることもありました。やっぱり、ぼくは精神的にそう強くないんですよ。がんと共存するという考えは捨てざるを得ませんでした」

はじめ意見を聞いた10数名の医師の中には、標準手術に賛成しない人もいたので、関口さんはそのうちの1人に面会し、がんの部分だけを切り取って、胃の上部(噴門部)と下部(幽門部)を両方残す、部分切除に近いやり方で手術してくれる医師はいないか尋ねた。

すると2人いるということだったので、そのうちの1人を紹介してもらった。

その医師はアメリカから帰ったばかりの気鋭の外科医で、神奈川県の地方都市にある総合病院に勤務していた。

「その方は、そういった手術もできると言ってくれたんですが、病院が東京からけっこう離れたところにあるので、もしリンパ節に転移が見つかった場合、通うのに大変だということで、都心にある大学病院の医師を紹介してくれました。その結果、たどり着いたのが、A医師でした」


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