進行直腸がんと"闘わない"という生き方を選択した名脇役・入川保則さん
がんに最後のひと花を咲かせてもらった気持ちです
入川 保則 いりかわ やすのり
1939年、兵庫県出身。テレビシリーズ「水戸黄門」「銭形平次」「部長刑事」など人気時代劇や刑事ドラマの名脇役として活躍。2010年7月、直腸がんが発覚したものの、抗がん剤治療を一切拒否。肝臓への転移が見つかり余命半年と宣告された現在も、役者として活躍し続け、今年9月には初の主演映画「ビターコーヒーライフ」も撮り終えた
進行がんが見つかり余命が限られていることを知らされたとき、大半の人は絶望的な気持ちになりながらも、気を持ち直し、がんと闘うことを選択する。しかし、もう十分生きた、1つの道を全うしたと、延命治療を拒否し、ジタバタしないことを選択する人もいる。俳優の入川保則さんも、その選択をした1人だった。
沖縄での公演中に身体に異変が……
「水戸黄門」「銭形平次」「部長刑事」……1つの時代を築いた人気時代劇や刑事ドラマの名脇役として不可欠な存在の俳優・入川保則さん。映画や舞台にも多数出演しており、70歳になった昨年も、7月に始まった前川清さん、藤山直美さん主演の喜劇「気になる二人~持ちつ持たれつ~」の全国縦断公演に加わって、悠々たる演技を見せていた。
その入川さんの体に異変が起きたのは2010年7月のことだった。沖縄・那覇での公演が終わったあと、ホテルのトイレでお腹に力を入れた瞬間、右太腿の付け根のところがポコッと膨らんだのだ。鼠頸ヘルニア(脱腸)だった。
入川さんはホテルの人に相談して、車で15分ほどの総合病院に連れていってもらった。
「すぐに入院して、翌朝手術を受けたので鼠頸ヘルニアのほうはよくなったんですが、そのときの検査でヘモグロビン値が通常の3分の1くらいしかなく、ひどい貧血状態であることがわかったんです」
鼠頸ヘルニアで、通常そうなることはない。どこかおかしいと、2~3日後に大腸の内視鏡検査を受けることになったのだ。
「それで直腸がんだとわかったんです。直腸の、肛門から5~10センチくらいのところにできていたので、内視鏡を入れてすぐに見つかりました」
がんより舞台に穴をあけたことがショック
医師は検査のあと、直腸にがんがあることを伝え、かなり進行しているので、なるべく早く帰京して手術を受けるよう勧めた。
「ショック? がん自体はショックじゃなかった。それより、生まれて初めて舞台に穴をあけたことがショックでしたね。ぼくが舞台に立てないとなると、急遽代役を立てて、夜通し稽古することになりますから、頭の中はそのことでいっぱいでした。がんどころじゃないという気持ちでしたね」
しかし時間の経過とともに、舞台に穴をあけたショックが和らぐと、入川さんはがんと向き合えるようになり、すぐに退院して東京で手術を受ける腹を固めた。
しかし沖縄はちょうど旅行シーズンのピークに入っていた。そのため航空券がまったく取れなかったのだ。それに加え、入院していた病院は、病棟が全室個室のホテルのような快適な病院だった。
そこで入川さんは、そのままその病院にいさせてもらい、8月に手術を受けることになった。
抗がん剤治療を一切拒否
手術では、がんの病巣と、周辺のリンパ節が広範囲に切除された。
「麻酔から覚めたあと、ひと晩痛みに苦しみました。脊髄から入れる麻酔の量が足りなかったんですね。座薬を入れたらピタリと止まったので、2日目からは楽になりました」
術後の病理検査で、リンパ節に転移が見つかったため、がんはステージ(病期)3の段階であることがわかった。医師はそのことを入川さんに伝え、1年以内に肝臓や肺などに転移する可能性が極めて高いことも説明した上で、今後の治療について入川さんと話し合った。
標準治療は再発転移の予防のため、術後に抗がん剤治療を行う術後補助化学療法である。医師からは、抗がん剤の話をされ、もし薬が合わなければ、副作用の影響で仕事ができなくなる旨が伝えられた。すると入川さんの口から出た言葉は、次のようなものだった。
「それだったら、抗がん剤治療を一切お断りします」
入川さんはそのときの心境を振り返ってこう語る。
「抗がん剤をやる気はまったくなかったです。そんなものをやって、副作用が出てしんどくなったら舞台に立てなくなりますから。前川清さんからは『この役をできるのはいりさんしかいないから、早く戻ってよ』と言われていましたし、自分の中でも、前々から舞台で演じられるのは70歳までという思いがあったので、まだ体力のあるうちに舞台に復帰して役者人生を締めくくろうと考えていました。
今71歳ですが、役者としてのピークは65歳からの2~3年でした。50年以上役者をやっていて、65歳でようやく自分が納得いく演技ができて、絶頂を味わうことができた。自分なりに精一杯のことをして、自分なりの達成感を味わえた。だからむしろ、いいタイミングでがんになったという思いのほうが強かったですね。『仕事をしながら末期がんになってすぐに死ねる』という幕引きが理想的だと思っていましたから」
医師はこういった入川さんの考えを尊重、術後の抗がん剤治療は行わないこととなった。
余命半年と宣告される
10月から始まる公演に復帰した入川さんは、貧血予防に鉄分補給を受けながら舞台に立った。病みあがりの体で大丈夫だったのだろうか?
「気が張っていたのでしょう。体調に関しては、あの3カ月が今までで1番よかったように思います。がんにかかったことを忘れるくらい元気でした」
こうして55年に及んだ舞台生活にピリオドを打った入川さんは、年が明けた今年1月中旬、沖縄に飛んでがんの告知を受けた総合病院で検査を受けた。
「そのときはお医者さんから『今はまだ転移はありませんが、がん細胞が体中を巡っていますから、どこかしらに転移するでしょう。このままだと、来年はないと思ってください』と、はっきり言われました」
それでも入川さんは、抗がん剤をやる気はなかった。
「やっても完治するわけではなく、ただ寿命が少し延びるだけです。遅かれ早かれ死を迎えるわけですから、抗がん剤をやり続けながら少し長く生きるよりは、苦しまずに楽に逝かせてもらいたいというのが率直な気持ちでした」
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