光がいくつあるか、これが重要なんです ステージ4の肺がんと闘う、東京プリン・牧野隆志さん
1964年2月17日生まれ。近畿大学卒業後にバンド活動に入り、その後ラジオのDJやテレビのリポーターなどとして活躍。1997年に、伊藤洋介氏と東京プリンを結成。現在は、仙台放送『あらあらかしこ』のメインパーソナリティーをはじめ、イベント司会、ゲームプロデュースなどマルチに活動している。
牧野隆志さんは、プリンのかぶり物にサングラス、ネクタイ、スーツ姿で登場して、ひねりの効いたコミックソングを歌っている男性デュオ「東京プリン」の1人である。現在は定評のある話術を活かし、司会業のほうで多忙である。その牧野さんが、ステージ4の肺腺がんを告知されたのは昨年6月のことだった。
2リットルの胸水
肺がんの中でも肺腺がんは、大半が肺の末梢部にできるため、無症状のまま進行していることが多く、見つかったときには胸膜に浸潤したり、リンパ節に転移したりしているケースが多い。
東京プリン・牧野隆志さんのケースもそうだった。
見つかったきっかけは、肺と心臓のまわりに大量に貯まった胸水だった。
「昨年の6月中旬、レギュラーのテレビの仕事を終えて仙台から車で東京に戻ったんですが、急に体がしんどくなったんで、家に帰って寝たんです。そしたら冷や汗がたくさん出るし、体を横にすると吐き気がするんです。これはおかしいと思って近くのクリニックに行って診てもらったんですが、そこのお医者さんから大きな病院に行ってすぐに詳しい検査を受けるように言われまして……。その足で紹介された病院に行ったところ、肺と心臓に2リットルも水が貯まっていることがわかったんです。心臓のほうはすぐに水を抜かないと心不全を起こす可能性があるので、緊急入院してくだ さいと言われました」
入院後は、まず心臓のまわりに貯まった胸水を200cc抜く処置を受けた。さらに翌日と翌々日、肺のまわりに貯まった水を1800cc抜いた。体も楽になったので、牧野さんはこれでまた仕事に全力投球できると思っていた。
しかし、そうはならなかった。
ステージ4の肺がんと告知
抜いた胸水を調べたところ、がん細胞が見つかったのだ。その後の詳しい検査で右肺の背骨に近いところに、大きさ5センチのがんの病巣があることが判明した。
「お医者さんからは『浸潤もしているので、残念ながらステージ(病期)4です』と告知されました。そう言われても、ぼくはほとんど知識がない状態だったので、他人事のようでした。『ぼく、死にますか?』って聞いたら『そればっかりはわからない』と言われた記憶があります。そばで聞いていた女房は泣き崩れていました」
病室を出たあと、若い研修医が追いかけてきて言ってくれたことを、牧野さんは今でも鮮明に記憶している。
「ぼくがネットで5年生存率のデータを調べるとショックを受けると思ったのでしょう。『牧野さん、ネットなどで調べますとステージ4の場合、5年生存率は低いですが、それは平均70歳の患者さんを対象にしたデータです。牧野さん はまだ46歳ですから、失望しないで前向きに病気と向き合ってください』と言ってくれたんです。その言葉が本当に心強かったですね」
その後、都内のA病院でセカンドオピニオンを受けたが、結果は同じだった。
大きかったがん体験者の励まし
働き盛りのとき、目の前に「ステージ4」という厳しい現実を突きつけられると、多くの人はなかなか受け入れることができない。牧野さんの場合、どうだったのだろう。
「街を歩いていて、70歳くらいのご老人を見て、ふと『あそこまでは生きられへんやろな』という気持ちになることはありましたが、がんとは早い段階で向き合うことができました。大きかったのはがん体験者の励ましです。乳がんを体験している平松愛理さんに電話でがんが見つかったことを話したら、その日のうちに飛んできてくれて『がんなんて怖くない。むしろ死と向き合ういいチャンスだし、牧野君はこういうしゃべる仕事をやっているんだから、あなた自身がこれから話していくことによって誰かを勇気づけたり、何かを伝えたりすればいい。もしかするとこれは天から与えられた使命なのかもしれない』と言ってくれました。また、ラジオDJの山本シュウ君もすぐ来てくれて『マッキン(牧野さんのこと)はそれが使命や、大変やけど、やらなあかん』と言ってくれたんです。他にも心を前に向かせてくれる友人が大勢いたので、比較的早い段階で現実と向き合うことができました」
心の整理がついた牧野さんは、自らのブログで肺がんが見つかってこれから入院生活に入ることを報告した上で、セカンドオピニオンをとったA病院に入院、化学療法を受けることになった。
2カ月半後にがんが半分に縮小
薬剤はシスプラチン(*)(一般名)とアリムタ(*)が併用された。スケジュールは3週間を1クールとし、4クール行うというものだった。
1回の投与には3日を要し、1日目14時間、2日目、3日目も各7時間ずつかかった。
「抗がん剤自体の投与は1日目だけで、1時間か1時間半で終わるんですが、副作用を最小限に抑えるため、さまざまな薬剤が投与されるんです。おかげで耳鳴りなど軽いものがいくらか出ましたが、吐き気はなく、白血球の減少も外出を制限されるほどではありませんでした。投与後1週間くらいは食欲がわかなかったけど、食事も残さずに食べていました。副作用対策が重点的に行われていることを痛感しましたね」
この2剤併用による抗がん剤治療は期待した効果をあげた。2クール目を終わった時点の検査で、がんが5センチから3.5センチに縮小していたのだ。
そのあと3クール目、4クール目の投与があり、抗がん剤投与は予定通り2カ月半で終了した。しかも4クール目終了後の検査で、がんは2.5センチにまで縮小していた。
*シスプラチン=商品名ランダ/ブリプラチン
*アリムタ=一般名ペメトレキセド
がんとの闘いは総力戦
その後、牧野さんはA病院から、別のある大学病院に転院することに決めた。なぜ、そのような心境になったのだろう。
理由は2つあるようだ。
「最大の理由は標準治療以外認めてくれないことです。認めないのは抗がん剤との相性、副作用との関係、それから複数の治療を行っていると、どれが効いたのか特定できなくなるといった理由でした。それはそれで理解できるんですが、しかし、ステージ4のがんの場合、根治を望める治療が難しい以上、ぼくは総力戦で臨むべきだと思っています。もちろん抗がん剤は重要ですが、免疫療法だとか、食事療法だとか、お笑い療法だとか、いろいろな力を結集していかないと、いい方向には向かわないと思うんです」
もう1つの理由は何なのだろう?
「A病院は、最先端の設備を備え、看護師さんもエキスパートが揃っていて入院生活も快適だったんですが、すべてがデータ主義という感じでした。診察室に入っても、カルテや問診票に目を落としたまま『こんにちは』と話す先生が多く、最初に患者の顔を見ないような感じで……。そこに違和感を禁じえなかったんです」
しかし、すぐに転院したわけではなかった。A病院の医師から「転院するのは構わないですが、ALK阻害剤の治験があるので、その治験が受けられるか、検査をしてみたらどうですか」と勧められたのだ。
牧野さんは検査を受けることを決意する。医師から、ALK阻害剤は、すでに米国、韓国などで治験が行われ、奏効率50~60パーセントという、目を見張る結果が出ていると聞かされたからである。しかも、肺がん患者全体で見ればこの遺伝子を持つのは5パーセント前後だが、50歳以下の若年層に限れば約3割が持つのではないかといわれている。
牧野さんはいい結果が出ることを祈って、この遺伝子の有無を調べる検査に臨んだ。
──だが、結果は陰性だった。
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