「絶対復帰する」その言葉を胸に、1歩1歩前へ 骨肉腫と闘うJリーグ・大宮アルディージャの塚本泰史さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2011年11月
更新:2018年9月

  
塚本泰史さん

つかもと たいし
1985年7月4日生まれ、埼玉県出身。埼玉県立浦和東高校から駒澤大学に進学。大学時代には関東大学リーグのベストイレブンに2度選ばれ、卒業と同時に大宮アルディージャに入団。ポジションはディフェンダー。

復帰に向けて、1歩1歩頑張ります──。Jリーグ・大宮アルディージャの塚本泰史さんが右大腿骨に骨肉腫があることを発表したのは2010年2月のこと。その後、手術、抗がん剤治療を経て、今、彼は復帰に向けてリハビリに取り組んでいる。彼を支える大勢の人たち、そしてある少女との約束を果たすために…。

がんに冒されていた黄金の右足

大宮アルディージャでは、右サイドバックのレギューラーとして活躍していた

大学時代は関東大学リーグのベストイレブンに2度選ばれ、卒業と同時にプロ入りした塚本さん。大宮アルディージャでは、右サイドバックのレギューラーとして活躍していた
©1998.N.O.ARDIJA

09年6月20日のJリーグ、大宮アルディージャ対京都サンガ戦。1対1の同点で迎えた71分。アルディージャが得たゴール前20メートルのフリーキックを茶髪の童顔の選手が右足で蹴った。ボールは一瞬ゴールポストの上にそれたミスキックのように見えたが、ゴールキーパーの前でストンと落ちてゴールに吸い込まれ、決勝点となった。

蹴ったのは入団2年目のディフェンダー、塚本泰史さんだった。試合後、アルディージャの同僚だった元クロアチア代表のマト・ネレトリャクさんは塚本さんを「彼は素晴らしいフリーキッカーだ。クリスチアーノ・ロナウドのようなキック(急激に変化する無回転フリーキック)を持っている」と絶賛した。

このような賞賛を受けた塚本さんの黄金の右足は、何の因果かこの時点ですでにがんに冒されていた。その7カ月後、塚本さんはその事実を知らされることになる。

サッカーの名門、浦和東高校から駒澤大学に進んだ塚本泰史さんは典型的なサッカーエリートだ。大学時代は関東大学リーグのベストイレブンに2度選ばれ、卒業と同時にプロ入り。

大宮アルディージャ入団1年目は6試合の出場にとどまったが、2年目の09年は開幕から右サイドバックのレギュラーに定着。抜群のキック力で前半戦2度、フリーキックをゴールに叩き込んで注目されるようになっていた。

MRIが捉えた大腿骨の黒い影

塚本さんが右太腿の、膝に近いあたりに痛みを感じるようになったのは、序文で記した京都サンガ戦でフリーキックをゴールに蹴りこんで間もないころのことだった。

「膝の上のあたりに痛みが出だしたのは夏場に入ってからです。8月の夏合宿のときひどくなったんで、初めて練習を休みました。でも病院には行きませんでした。高校時代にも膝が痛くなったことがあったんですが、だましだましやっているうちに治ったんで、今回もその程度だと思っていたんです。試合にも痛み止めを飲んで出ていました」

しかし、痛みはその後もおさまらなかったため、塚本さんは翌2010年の年明け早々に行われたチームのメディカルチェックの際、チームドクターにそのことを相談した。

「すぐにMRIを撮ることになったんですが、大腿骨の膝に近いほうに黒い影が見えたんです。大きな病気かもしれないので、大学病院で詳しい検査を受けるように言われました」

都心にある大学病院を訪ねた塚本さんは、診察に当たった医師から、病名を確定するため患部の細胞を切り取って病名を判定する検査(切開生検)を受けるよう勧められた。

それに従った塚本さんは、その大学病院に数日入院して切開生検を受けた。

結果は最悪だった。

骨肉腫だったのだ。

「骨肉腫だといわれたときは、エッ、何? という感じで、頭が真っ白になりました。9割方骨髄炎だろうと言われていたので……。一応、骨肉腫の可能性もあるということで、どんな病気か調べてはいましたが、自分では大丈夫だろうと思っていたんです」

サッカーが出来なくなるかもしれないという事実

病名を告知されたあと、ドクターから、骨肉腫の中では悪性度はそう高くないが大腿骨に5センチ位のがんがあること、がんができた部分を切除して人工骨に置き換える手術(人工骨置換術)が必要であること、また、もうサッカーはできなくなるということ、などが伝えられた。

「ドクターからは、すぐに受け入れることはできないだろうし、すぐに治療を始めないといけないわけでもないから、納得するまで、いろんな病院を回って治療方法を聞いてきてくださいと言われました」

そのあとご両親やお兄さん、お姉さんも一緒になって、一家でインターネットでの病院探しが始まり、国立がん研究センターをはじめ、いくつかの病院でセカンドオピニオンを受けた。

しかし、どの医療機関も標準治療である「手術+抗がん剤治療」は必須という見解だった。手術を避けたい塚本さんが最後に望みを託したのは重粒子線治療だったが、これも現実的な選択ではないことがわかった。

「国立がん研究センターでセカンドオピニオンを受けたあと、重粒子線治療を受けられる医療機関にも行くことになっていたんですが、がん研究センターでそのことを話すと、重粒子線を使った骨肉腫の治療例をいくつか見せてくれて、根治を目指すならば「手術+抗がん剤」が第1選択で、重粒子線はそれができないケースに限定されることを教えられたんです。それで決心がついたという感じでした」

敵味方を越えたサポーターの熱いエール

塚本泰史さん

このような過程を経て、塚本さんは手術を受けることになった。そのことはチームにも伝えられ、2月27日に記者会見が開かれ、塚本さん本人から集まった各メディアに、右大腿骨に骨肉腫が見つかり闘病生活に入ることが伝えられた。

「1月15日に生検手術を受けて検査したところ、骨肉腫という診断を受けました。医師からは、この病気を治すには悪い部分の骨を切り取って人工骨にするしか方法はないと言われ、サッカーはもうできないと言われました。それを言われたときは本当に頭が真っ白になって、夢じゃないかって、信じられない気持ちでいっぱいでした。でも、そこで立ち止まっているわけにはいかなかったので、手術をしなくてよい方法がどこかにあるのではないかと思って、1月、2月中、全国のいろんな病院を回りました。しかしどこの病院も同じような診断で、人工骨にするのが最善の方法じゃないかと言われました」

そのあと塚本さんは家族、チーム関係者らの支援に感謝の言葉を述べたあと、

「これから手術をして、つらい闘病生活やリハビリが待っていると思いますが、同じ病気の人、がんと闘う人たちに、少しでも勇気を与えられるようにしたいです。そしてチームのみんなにも、遠くで頑張っている仲間がいるんだっていうことを忘れないでほしいです」

と涙ながらに語った。

この無念の思いがにじみ出たメッセージはすぐに各メディアやネットを通して全国のサッカーファンの知るところとなり、チームの垣根を越えて、大きな感動の渦を巻き起こした。たちまち塚本さんのもとには膨大な数の励ましの言葉が寄せられた。

それに応えるため、塚本さんは入院を翌日に控えた3月7日、セレッソ大阪との開幕戦が行われる大宮NACK5スタジアムに試合前、背番号2のユニフォーム姿で登場し、アルディージャ、セレッソ両チームのサポーターが一緒になった塚本コールと、『塚本、絶対がんに負けるな』の横断幕に送られてピッチをあとにした。また、チームメートもこの試合を特別な試合と位置付け奮戦。セレッソに3対0で勝って塚本さんへのはなむけとした。


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