家族がいたから、病気という高い壁を乗り越えることができました 術後9年──胃がんを克服した元チェッカーズの髙杢禎彦さん
1962年9月9日、福岡県久留米市生まれ。柳川高校卒業。高校在学中の80年、チェッカーズを結成。83年、「ギザギザハートの子守唄」でメジャーデビュー。92年、NHK紅白歌合戦を最後に解散。現在は歌手・俳優として活躍している。
元チェッカーズの高杢禎彦さんは「がんになったおかげで、それまで見えなかったことが、見えるようになりました」と語る。それまで当たり前だと思っていた家族の存在――それがどんなに大切なものかを、40歳の若さで胃がんを経験したことで、改めて気づかされたという。
経験したことのない嘔吐
1992年のチェッカーズ解散から10年が過ぎた2002年夏、髙杢禎彦さんは予期せぬ嘔吐に襲われた。テレビドラマの午前中の収録が終わり、スタジオの近くにある蕎麦屋でプロデューサーや共演者と昼食をとっていたときのことだった。
「普通、食べたものを吐くときは胃液のようなものが込みあげてきて、吐きそうな感じがあるじゃないですか。でも、そのときの嘔吐は違ったんです。全然気持ち悪い感じがしなくて、飲み込んだのに奥のほうに入っていかないから、自然に出てしまったという感じでした」
自分では何が起きたのか想像がつかなかった。ショックを受けた髙杢さんはすぐに近所にある胃腸科クリニックに行って診てもらった。
胃の内視鏡による検査が行われたが、異変はすぐに起きた。食道に挿入された内視鏡がどうやっても胃に入っていかないのだ。胃の上部にできたがんが食道の下部にも広がり、狭窄ができていた。
「胃の内視鏡は初めてだったんですが、画像を見たら、食道は焼肉屋のホルモンのように管状になっているのに、明らかに違うところがあることがわかりました。ショック? そのときはがんだと思っていませんから、これを取ればいいんだなあ、くらいに思っていました。でも、そのあとお医者さんから大きな病院に行って詳しい検査を受ける必要があると言われて、紹介されたのが埼玉県立がんセンターだったんです。がんセンターじゃないですか。本当にショックでした」
絶望感から救ってくれたひと言
埼玉県立がんセンターの消化器外科で各種の検査を受けた髙杢さんは、T医師からがんを告知された。
手術では胃だけでなく食道の下半分、胆嚢、脾臓、周辺のリンパ節まで切除することになるという説明を受けた。
告知されたあと、髙杢さんの精神的なダメージは非常に大きかったという。
「絶望感でいっぱいでした。人生を振り返って、ここまで好き勝手やらせてもらったのだから、こうなるのはしょうがないと思いました。それと、仕事への意欲が急に薄れてセリフが入らなくなったんです。それまで当然のことながら時間に厳格だったのに、遅刻したっていいじゃんという気持ちにもなりましたね。今思えば、そんな状態だったのは、せいぜい2、3日だったんですが、自分の感覚ではもっとずっと長く感じました」
そんな精神状態にピリオドを打ってくれたのは、奥さんが口にしたひと言だった。
「彼女が『万が一のことがあったら、私はあなたの後を追うから……』って言ったんです。それが本当にショックでした。それまで、自分のことしか考えていなかった。『自分は何でがんなんだ』とか、『このままほっといたら死ぬんだ』とか。だけど、そのひと言があったおかげで、『がんとちゃんと正対しよう』と思うことができたんです」
これで告知直後のショック状態からは立ち直ったが、すぐにがんと向き合うことができたわけではない。その前にびっしり入っているスケジュールを調整し、レギュラー出演している昼の帯ドラマについては、局のほうに事情を話して収録を前倒ししてもらう必要があった。
ドラマの撮影後に入院、手術
「ドラマは『はるちゃん6』(昼の帯ドラマ。東海テレビ製作、放映フジテレビ系)でした。番組のプロデューサーに、がんの手術で1カ月後に入院して手術を受ける予定であることを話すと、それまでに僕の分はすべて撮ってしまおうということになったんです。他の共演者の方と一緒に食事ができないので、収録中はどこにも行かず、楽屋にこもっていました。初めて共演した人は、髙杢は共演者を六本木の町によく連れて行ってくれると聞いていたらしく、てっきり僕に嫌われていると思ったようです。がんのことを知っているのはプロデューサーなど主だったスタッフと主役の子だけでしたから」
こうして仕事を片付けた上で髙杢さんは埼玉県立がんセンターに入院。3日後に手術を受けた。
周辺の臓器も切除する大手術
胃の上部にできたがんは食道下部にまで広がっており、その大きさは胃部分で8センチ、食道部分で8センチにも及んでいた。手術は横隔膜を切開し、肋骨を吊り上げて行われるため、脇腹から正面に左右50センチほどメスが入り、予定通り胃全部と食道の下半分、それに胆嚢、脾臓と周辺のリンパ節を切除。それが終わったあと小腸を使った再建術が行われて手術は無事終了した。胃がんの手術ではリンパ節の切除に時間をとられるが、髙杢さんの場合は68個リンパ節を切除したため、手術は7時間に及んだ。
術後の痛みはどうだったのだろう?
「ベッドで寝ているときは大丈夫なんですが、ベッドを少し起こして腰の辺りに力がかかったとたん、激痛が走りました。思わずうめいてしまうような痛さでしたね。それと肺に差し込んだドレーンを抜いたあと、肺に水がたまっていることがわかって、また肋骨と肋骨の間から入れたんですが、これが本当に痛かったですね。ただ痛みは退院後、長期にわたって続くということはなかったです」
術後の治療方針は病理検査の結果を踏まえて決められることになる。リンパ節転移は1個見つかったが、主治医は、抗がん剤治療は必ずしもする必要はないという立場だった。
「主治医のT先生は、抗がん剤をやらなくてもいいというのではなく、予防的に抗がん剤をやっておきますかという言い方でした。僕としてはやっと普通の生活に戻れるのに、これ以上きつい思いはしたくないという気持ちだったので『じゃあ再発してからにします』って言ったら、先生も『だったらそれでいいか』という感じでした」
こうして、抗がん剤治療は行わないという方針が決まった。
手術に伴う合併症も起きず、回復も比較的順調であったため、髙杢さんは術後3週間で退院した。
術後に心の余裕がない状態に
しかし、胃がんは術後が大変ながんだ。何よりもつらいのは、胃を切っているので思うように食事ができなくなること。
「胃がなくなっても頭の感覚は手術前と同じですから、つい食べ過ぎちゃうんです。そうなったら最後、もう七転八倒する羽目になる。それを防ぐには、食べることを自分で厳しく規制しなくちゃいけない。そうなるとものすごくストレスがたまるんです。人間の最大の楽しみを奪われちゃうわけですから」
それに加え、術後は体重が20キロも落ちて、今までの服がほとんど着られなくなり、足も1センチ縮んで靴も履けなくなってしまった。こうしたこともストレスに拍車をかけた。
「心の余裕がなくなっていましたね。女房や子供にちょっとしたことで大きな声を出すようになりました。親族を思いやる気持ちもまったくありませんでした。女房の父親が胆石で入院して腹腔鏡手術で胆嚢を取ったんですが、それに対しても『切った内臓、オヤジは1つじゃん、俺は3つも取っているんだから、オヤジは大丈夫だよ』って言ってました。そんな言葉しか出てこないんです。『痛かったろうな』『黄疸まで出てきつかっただろうな』くらいのことは、言って当然なのに頭に浮かばないんですね。心に余裕がないから」
義父だけでなく、実の父が軽い脳出血を起こしたときも思いやる言葉がまったく出てこなかったと髙杢さんは語る。
「久しぶりに両親を連れて温泉にでも行こうと思って久留米の実家に帰ったら、父が目を開いたまま横になっているんです。様子が変なのですぐに救急車を呼んで病院に運んでもらったんですが、酔っぱらったか何かのはずみで頭を打って、軽い脳出血を起こしていたんです。父は頭蓋骨に2つ穴を開けて血を抜く処置を受けたんですが、僕が集中治療室に行ったら、もう飯を食っている状態で……。それを見て、無性に腹が立って『せっかく温泉に行こうと思っていたのに何やってるんだオヤジは。酔っぱらうのはいいけど、どこで頭を打ったかわからないみたいなのはやめてくれ』と怒るばかりで、いたわる言葉、気遣う言葉は出てきませんでした」
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