「子宮を失うのが君の運命なら、僕も背負う」夫のその言葉に支えられた 子宮頸がんと進行子宮体がんを乗り越えて、芸能活動に見事復帰した タレント・原千晶さん
1974年4月27日生まれ。北海道帯広市出身。94年クラリオンガールグランプリとなり、芸能界デビュー。TBSの番組「ワンダフル」の司会を務め、一躍全国区の人気者になる。以後もドラマや映画、バラエティなどに多数出演。一方で、アロマインストラクターとしても活躍している。現在、TBSの情報番組「ひるおび!」の月曜レギュラーとして出演中。
昨秋、タレントの原千晶さんが結婚を機にがん闘病を告白し、多くの人の感動を呼んだことは記憶に新しい。6年前に子宮頸がん、さらに、2年前に進行子宮体がんを経験するという過酷な運命に遭遇した原さんが、その運命にどう立ち向かい、何を支えに乗り切ったのか、ありのままを語ってもらった。
子宮頸部に腫瘍が見つかる
タレントの原千晶さんといえば、かつてのTBSの人気番組「ワンダフル」の名司会役として覚えている人も多いだろう。原さんは、テレビの情報番組やラジオ番組で活躍するばかりでなく、数々のテレビドラマや映画にも出演して、女優としてのキャリアも着実に積み重ねていった。その一方で、2003年末にいったん芸能活動を休止し、アロマインストラクターの資格も取得している。
原さんが体の異変を最初に感じたのは04年夏のことだった。生理不順になり、下腹部の痛みが頻発するようになったのである。彼女は婦人科に行って子宮頸がんなどの検査を受けたが、このときは何も見つからなかった。
しかし、その後も生理不順が続き、おりものの量が増えて色も濃くなった。さらに、しばしば下腹部に差し込むような疝痛が起きるようになった。ちょうど、ストレスを抱えることもいろいろあったので、不安を感じた原さんは年末になって再び婦人科で検査を受けた。その結果、子宮の入り口である子宮頸部に1.5センチほどの腫瘍が見つかった。
「すぐにA大学病院を紹介されまして、子宮頸部の腫瘍がある部分を切り取る手術をして、それを検査することになったんです。手術を受けたのは翌年2月です。円錐切除術でした。入院は5日間くらいだったと思います」
迷った末に子宮全摘手術をキャンセル
この時点では腫瘍が悪性(がん)と決まったわけではない。しかし、病理診断の結果、腫瘍は悪性で、しかも、悪性度の高い低分化型の扁平上皮がんだった。
主治医はがんが進行の速いタイプであること、原さんがまだ31歳で、がんの増殖が速い年代であることなどを説明して、原さんに単純全摘手術を勧めた。
「先生は『僕は原さんの主治医として、命を100パーセント救う義務がある。もちろん、女性にとって子宮というのは特別な臓器であることはわかるけど、今はがんを治すことを最優先に考えるべきではないでしょうか』とおっしゃいました。真摯に説得されたので、私も心を動かされて、1度は手術を受けることに決めたんです。子宮がないならないで、自分の身1つで仕事に向かっていけばいいと思いましたから」
それで、手術の日取りまで決まったが、それまでのひと月あまり、彼女は気持ちが揺れに揺れた。「果たして、今の時点で将来あるかもしれない(出産という)チャンスの芽を摘んでしまってよいものか」という迷いが日増しに強くなったのだ。
揺れ続けた末に、手術前日になって、原さんは主治医に連絡を入れて、手術をキャンセルしたい旨を伝えた。主治医は原さんの心情を理解し、毎月1回必ず検診を受けることを条件にキャンセルを了承した。
術後5年目に体の異変が再び起こった
その後、原さんは約束どおり、毎月検診に通っていたが、2年が過ぎた07年初めごろから行かなくなってしまった。
「今でも行かなくなったときのことを覚えています。仕事でとても忙しく、自分の中でプツッと切れた瞬間があったんです。『悪いところは取りきったのだから、もう大丈夫』という甘い考えがどこかにありましたし、その年は体調もよかったんで、『こんな調子のいい自分が、なぜつらい検診を受けなくてはダメなの』という気持ちでした」
それから2年間は何も起こらず、がんの記憶も多忙な仕事の中に埋もれがちになった。ところが、手術から5年が経過した09年夏、再び体に異変が起きたのである。
「月経の出血量が増えてきました。10月になったら、5年前とは全く違う無色透明の水のようなおりものが大量に出だしたんです。さらに、11月には下腹部に刺すような痛みが走るようになりました」
それでも、彼女はすぐに病院には行かなかった。当時、ドラマの撮影スケジュールが立て込んでいたという事情もあったが、結婚を目前に控えていたからだ。
原さんのお相手は1歳年上の番組制作会社のプロデューサー。07年1月から放映されたドラマ「母親失格」の仕事を通じて知り合い、少し前から一緒に暮らし始めていた。原さんが自身のブログで「それまでフワフワと惚れっぽく、芯のない恋をしていた私が、最後の最後に出会った人」「どこまでも優しくて、懐が深く、器の大きい人」と記しているように、ようやく巡り会えた理想の男性であった。すでに2人の交際はメディアでも報じられ、周囲には知れ渡っていた。そのとき、彼にはすでにがんのことは打ち明けていたが、それでも病院に行くことにはためらいがあった。
経験したことのない激しい腹痛に襲われた
原さんがそれまで経験したことのない激しい腹痛に襲われたのは、ドラマ撮影のクランクアップ前日のことだった。
「自宅に向かって車を運転していたとき、急に下腹部をギューと締めつけられるようなもの凄い痛みがあって、たまらず車を止めました。痛みが少し治まったと思ったら、またギューッとくる感じでした。陣痛は経験したことがないけれど、こんな感じじゃないかと思いました」
その後、痛みが少し和らいだので、近くのレディースクリニックに駆け込んだ。
「検査を受けたら、先生から『原さん、また子宮頸部に何かできています』と言われたので、血の気が引きました」
すぐに大きな病院に行って診てもらうように言われたので、原さんはB大学病院を紹介してもらった。以前通っていたA大学病院は2年以上いっていなかったので行きにくかったのだ。
B大学病院を訪ねると、教授クラスの医師が応対してくれた。その医師は、その場で原さんに子宮頸部にがんがあることを告げ、「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」とたしなめるように言った。
「私は返す言葉がありませんでした。実は『また、がんになるのではないか』という予感が、私の中でいつも背中合わせにあったんです。なのに、目を背けていた。そのときほど、検診を続けなかったことを悔やんだことはありませんでしたね」
B大学病院での検査の結果、今回できたがんは腺がんとわかった。つまり、5年前の扁平上皮がんの再発ではなく、新たながんができたことを意味していた。腺がんは進行が速いので、医師からは、なるべく早い時期に広汎子宮全摘術を受けるように言われた。さらに、手術後には抗がん剤治療が必要であると聞かされ、彼女はそこまで悪いのかと落胆した。
元の主治医に手術を頼んだ
もう1つ気が重かったのは、A大学病院の元の主治医にも伝えるように言われたことだ。バツが悪く、気持ちの面で逡巡があったが、原さんは思い切って連絡を取ってみた。
電話口に出た元の主治医に、原さんは検診に行かなかったことを詫びたうえで事情を話した。すると、「そんなことは気にしないで、すぐに来てください」と言われたので、原さんはホッとして、A大学病院で診察を受けた。元の主治医の診立てはB大学病院の医師と少し違っていた。
「子宮全摘は免れることはできないけど、卵巣まで取るかどうかということと、抗がん剤をやるかということは、もう少し検査をしてみる必要があるとおっしゃるんです。そのときは『エキスパートと言われるお医者さんでも、見解がこれだけ違うんだなあ』と思いました」
元の主治医が温かく迎えてくれたこともあって、原さんはA大学病院で治療を受けたいと思った。
「先生に『もう1度お願いしたいんですが』と頭を下げたら、快く了承してくださって、翌10年1月13日に手術室に空きがあったので、そこに私の手術の予定を入れてくれたんです」
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