がんもキャリアの1つ。不運に思ったことは1度もありません 大腸がんの手術は1度ですんだものの、術後の後遺症に5年間も悩まされた 歌手・平山みきさん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2011年3月
更新:2018年9月

  
平山みきさん

ひらやま みき
1949年、東京都出身。1967年銀座の音楽喫茶「メイツ」のオープンに伴い、メイツ・ガールとしてステージに立ち、そこでスカウトされ、1970年「ビューティフル・ヨコハマ」でレコードデビュー。2作目の「真夏の出来事」が50万枚の大ヒットとなり一躍人気歌手に。現在もライブやショーに出演中。

「不運だと思ったことは1度もありません」自身のがんを振り返って、平山みきさんはさらっとそう言ってのける。とはいえ平山さんは、がんの手術そのものもさることながら、術後の後遺症に、なんと5年間も悩まされ続けたのだった。

検便に対する心理的抵抗

写真:平山みきさん

平山みきさんが大腸がんを告知されたのは1995年8月のことだ。

兆候はその1年くらい前からあった。もともと下痢をしやすい体質だったのに、逆に便秘に悩まされるようになったのだ。

心配になった平山さんは、かかりつけの近所の内科に行って診てもらった。

「そしたらお医者さんに『最近大腸がんが増えているので便の検査をしましょう。容器を出しておきますから、今度来るときもってきてください』って言われたんです。でも、放っておいたんですよ。検便って小学校のときの嫌なイメージがあるじゃないですか。心理的な抵抗感が大きかったんですよね」

検便を拒否したみきさんは、便通をよくする方法をあれこれ考えた末、毎日1個パイナップルを食べるようになった。

パイナップルは大量の食物繊維を含んでいるうえ、胃腸の働きをよくする酵素も入っているので、便秘の予防には1番いいと思ったのだ。

翌年の夏、体に異変が

「真夏の出来事」

1971年に50万枚の大ヒットとなった「真夏の出来事」。これを機に、平山さんは一躍人気歌手に

それからしばらく、体に異変を感じることはなかった。しかし翌年の夏、家族旅行でアメリカに発つ前日の午後、平山さんは激しい腹痛に襲われた。

じつはその日の午前中、平山さんは近所の内科に行って薬を処方してもらっていた。数日前から胃がムカムカする感じがあったので、旅行中の備えに持っていくことにしたのだ。薬を出してもらった彼女は、その日の午後、旅行に必要なものを買い揃えるため、車で京都市内にあるデパートやショッピングセンターを回った。

激しい腹痛に襲われたのは駐車場に車を入れて、外に出ようとした瞬間だった。

「足の先からお腹のほうにビリビリビリッという痛みが走ったんです。右側の下のほうが痛かったので、これは盲腸に違いないと思いました。そこで家に戻ってすぐ午前中に行った病院とは別のかかりつけの病院に電話を入れて、お医者さんに『どうも盲腸みたいなので、散らす薬はないですか』って聞いたんです。楽しみにしていた年に1回の家族旅行を、盲腸ぐらいでふいにしたくはなかった。そしたら『そんなもの無いです。第一、盲腸かどうかもわからないのだから、早く来てください』と言われて、すぐに行きました」

かかりつけのクリニックの内科医は、血液検査と触診を行ったうえで平山さんに「旅行どころじゃないですよ、これは」と言って、その場で洛北にある総合病院に電話を入れてベッドに空きがあるか確認をし、翌日診察を受けられるよう予約を入れた。

「それで次の日、紹介していただいた総合病院に入院しました。もちろん旅行のほうはキャンセルです。がんだということは家族には知らされていたのですが、私には一切知らされず、『大腸と小腸がつながっているあたりにポリープができて腫れているので、それが激しい腹痛を引き起こしている。治すのは手術で腫れているところを切るしかない』という話でした」

開腹手術が行われたのは入院して2週間ほどたったときのことだ。すぐに行われなかったのは、炎症が起きてがんのある辺りが腫れていたため、まず、それを抑える治療をする必要があったからである。

手術は無事終了。麻酔の管理もしっかりしていたので痛みに苦しむことも無かった。

癒着が起きる確率は2割

写真:姉で女優の平山洋子さんと一緒に

姉で女優の平山洋子さんと一緒に。小さいころは「いつも2人お揃いの服を着ていたのを覚えています」と平山さん

平山さんが、本当は大腸がんであることを知らされたのは、退院間近になってからだ。

「家族から知らされました。軽い口調で『じつは大腸がんなんだよ』って。黙っていると退院後、私が薬を飲まなくなると思ったので知らせたほうがいいと思ったんですね。ショックは全然ありませんでした。多分そうだろうと思っていましたから。というのも、家族に『がんだったら、嫌だね』みたいなことを言うと、何も答えないでほかの話にいっちゃうんです(笑)。

がんじゃなかったら、ハッキリ違うと言うじゃないですか。だから、うすうすがんだろうと思っていたんです。でもお医者さんからは、手術で取ってしまえば治ると言われていたので、がんかどうかは、それほど気になりませんでした」

退院前になると、主治医から自宅に戻ってから留意することについて説明がある。

このとき平山さんは、腸をつなぎ合わせた部分が、腹膜と癒着すると腸閉塞が起きる可能性があるので、それを防ぐためなるべく歩くように言われた。

「私の場合、大腸と小腸を切ってつなげているので繊維質をとり過ぎると閉塞が起きやすいということを言われました。ただ、起きる可能性は2割くらいということでしたので、自分はならないとたかをくくっていました」

術後3カ月に腹痛、嘔吐

最初に腸閉塞の症状が出たのは手術から3カ月ほどたったときだった。いただきものの大きな柿を食べたところ、強い腹痛に襲われたのだ。しかし嘔吐したところ、すぐに治まったので、彼女は食あたりだろうと思っていた。

同じようなことがミズナを食べたときにもあった。京都は言わずと知れた野菜の宝庫だが、とくに人気があるのがミズナだ。平山さんの一家もこれが大好きだった。

「毎年11月になるとミズナを煮て食べるのですが、たくさん食べたら、また痛くなったので、かかりつけのお医者さんに行って診てもらったんです。そしたら腸の動きをよくする薬を点滴注入してくれました。それで痛みはすぐにおさまったので、それっきりです。春になると京都はタケノコのシーズンじゃないですか。これがまた、美味しいんですよ。ついたくさん食べちゃったら、また痛くなって……。で、また点滴です。この時点では食べ物が腸を詰まらせているという意識はあまり無かったですね」


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