手術でできた首の傷は、私の山あり谷あり人生の勲章です たちの良い甲状腺がんでも、歌手生命を脅かされるまでの経験をした歌手・仁支川峰子さん
旧芸名・西川峰子。1958年5月23日生まれ。福岡県田川郡出身。1973年に全日本歌謡コンテストで優勝、1974年に演歌歌手としてデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦に出場するなど一躍、人気歌手となり、数々のヒットを飛ばす。その後、女優として映画やテレビドラマなどにも出演。現在、タレントとしても活躍中。
命にかかわらないがんでも、職業的な生命が脅かされることがある。抜群の歌唱力で知られる歌手の仁支川峰子さん(昨年12月に西川峰子から改名)のケースは、その典型といってよい。彼女は今春、甲状腺乳頭がんが見つかった。このがんは進行の遅い、悪性度の低いものだが、手術で切除するしか治療法がないとされたため、声に大きなダメージを受けるおそれがあった。
首の付け根のしこりに気づいた
甲状腺は、喉ぼとけのすぐ下にある蝶のような形をした小さな臓器だ。「名前しか聞いたことがない」という人も多いだろうが、細胞の代謝をつかさどる甲状腺ホルモン、体内のカルシウム量を調節するカルシトニンというホルモンを分泌する、大切な役割を担っている。手で触れることができないので、実生活でその存在が意識されることはほとんどない。ただ、ここに何らかの病変が生じるとしこりができ、それがきっかけとなってがんが見つかることが多い。仁支川峰子さんの場合もそうだった。
仁支川さんは、歌手や女優として全国各地の舞台を飛び回り、忙しい毎日が続いていた。
「2010年1月は、5日から27日まで福岡の「博多座」でお芝居があって、福岡に滞在していたんですが、そのとき、首の付け根に固いしこりができていることに気がついたんです。『何かなあ』と思いました。でも痛くないので、脂肪の塊だろうと思って放っておいたんです」
それががんだとわかったのは、それから2カ月たった3月下旬のこと。友人と会食した際、たまたま友人の知り合いの医師も同席していたので、首のしこりのことを話したら、「甲状腺の病変だと思うから」と言われ、専門の医師に診てもらうよう勧められた。その医師に教えられたクリニックで診察を受けたところ、甲状腺に腫瘍があることが判明。それが良性なのか悪性なのかを判断する必要があるため、N大学病院でさらに詳しい検査を受けることになった。その結果、腫瘍は悪性とわかったのである。
N大学病院の医師は、仁支川さんに手術を受ける必要があることを告げ、甲状腺がんのエキスパートとして知られるT大学病院のK医師を訪ねるように勧めた。 「N大学病院の先生は、実は甲状腺がんの経験者で、ご自身もK先生の執刀で手術を受けているんです。しかも、K先生は甲状腺がんの手術を手がけた回数でも日本屈指ということでしたので、K先生のいるT大学病院で治療を受けることにしたんです。最終的に、T大学病院で悪性腫瘍であることが確定したのは4月1日でした」
元の声に戻らないリスクがあると言われた
仁支川さんが告知された正式な病名は甲状腺乳頭がん。
まず、甲状腺がんの約8~9割は乳頭がんであること、手術でがんを切除すれば大半の人は再発しないこと、乳頭がんの多くは進行が遅くて悪性度の低いタイプであり、仁支川さんのがんもこのタイプなので命にかかわることはない、といったことが伝えられた。
こうした説明は落ち着いて聞くことができたが、治療法に関する説明が始まると、仁支川さんはドキッとした。手術で声が出なくなったり、かすれ声、しわがれ声になったりする可能性があるというのだ。
「先生のお話では、甲状腺のすぐ後ろに声帯を動かす神経(反回神経)があって、がんがその神経に癒着している場合は、その神経をがんと一緒に切らざるを得ないケースがあるそうなんです。そうなると、声が出なくなるので、神経を再建して声が出るようにするが、元の声には戻らないというお話でした。それと、手術中に声帯を動かす神経を傷つけてしまうことがあり、その場合は半年くらい、かすれ声が続くということも言われました」
これは歌で生きている人間にとって重大事である。確率的にはそう高くないと言われても不安になる。それでも、彼女は医師に、「これから次のお芝居に向けて稽古に入るので、それが終わったら、手術を受けたい」と希望を伝えた。
「根治を目指すなら、手術で切るしかないわけですから、先送りしても、いずれは手術を受けることになります。いくら進行の遅いがんでも、半年、1年と放っておけば大きくなって、声帯を動かす神経に癒着するリスクも高くなるので、今受けるしかないと思ったんです。それに、K先生は甲状腺がんでは日本でも有数の名医でしたから、この先生に任せておけば安心という思いもありました」
仁支川さんがT大学病院に入院したのは5月14日で、3日後の17日に手術を受けている。
手術は、甲状腺乳頭がんの標準治療とされている「甲状腺亜全摘+リンパ節郭清(甲状腺のまわりのリンパ節の予防的切除)」で行われた。亜全摘は、左右に蝶のような形で広がる甲状腺のうち、がんのあるほうは全摘するが、がんの無いほう、あるいはがんの小さいほうは、ホルモン分泌機能を温存するため、部分摘出に留めるやり方である。仁支川さんの場合は、右のほうは全部切除されたが、左のほうは部分摘出ですみ、甲状腺全体の3分の1が温存された。
術後出血で再手術
手術は、声帯を動かす神経の位置を慎重に確認しながら進められたため、4時間に及んだ。手術創も、仁支川さんの舞台での仕事に配慮して、最小限にとどめるような工夫がされたという。
麻酔から醒めたあと、仁支川さんは主治医のK医師から、「がんは、声帯を動かす神経にはかかっていませんでした。大丈夫でしたよ」と告げられ、ホッと胸をなでおろした。
手術では、しこりになっていた腫瘍を摘出したほか、周囲のリンパ節にも小さい転移が2つ見つかっている。それ以外にも微小な腫瘍がいくつも見つかったようだ。こう書くと、ほかのがんなら、深刻な事態になるところだ。しかし、甲状腺乳頭がんは進行が遅く、1センチ以内のものならば、ほとんど大きさが変わらないことが多いため、たいていは経過観察になる。
本来なら、これで終わりになるところだ。しかし、そうはならなかった。手術が終わり、病室に戻って4、5時間が経過したとき、予期せぬことが起きたのである。
「夕方近くになって、手術したところが出血しだして、見る間に大きく腫れあがったんです。先生たちが来たのは7時か、7時半ごろだったと思いますが、緊急手術を行って止血する必要があるということで、手術室にUターンするハメになったんです。再手術が始まったのは夜の8時半ごろでした。このときも全身麻酔で行われたので、手術中のことは憶えていませんが、2時間くらいかかったと聞いています」
これは、手術後にまれに起きることがある「術後出血」という合併症だった。どんな手術でも、傷を縫い合わせるときは、まず慎重に出血していないことを確認してから行うので、術後に出血するケースは皆無に近い。しかし、甲状腺の手術では2パーセントくらいの確率で、止血が確認されたところから出血が起きる。これが術後出血で、原因はさまざまだが、大きな原因になっているのが、せきや嘔吐だ。手術後は激しいせきや嘔吐に見舞われる人が少なくないが、それらは胸腔内圧力を急激に高めて、静脈圧を一気に上昇させるため、手術で切れた静脈から出血が起こるという図式だ。
ほかの部位の手術でもこのような現象は生じるが、甲状腺の手術の場合は、出血が止まらずに呼吸困難をきたして心停止にいたることもある。そのため、出血で著しく腫れているような場合は、ただちに再手術を行い、出血しているところを探し出して止血する。
再手術は通常40~50分で終わるが、仁支川さんの場合、2時間近くかかったのは出血部位を特定するのに時間がかかったためだ。
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