乳がんになって、改めてオッパイの持つ大きな価値に気づかされました 「あげ乳」経験のある林家一門のおかみさん・海老名香葉子さんの乳がん顛末記――

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2010年8月
更新:2018年9月

  
海老名香葉子さん

えびな かよこ
エッセイスト。1933年、東京・本所(現・墨田区)に生まれる。45年の東京大空襲で、家族6人を失う。52年に落語家の林家三平(初代)と結婚。2男2女の母。夫の死後、30人の弟子を支え、マスコミでも活躍。著書に、『ことしの牡丹はよい牡丹』(文春文庫)、『お咲ちゃん』(徳間書店)、『玉ねぎコロリン』(共同通信社)、『うしろの正面だあれ』(金の星社)などがある。

夫の林家三平師匠(初代)を30年前に肝がんで亡くしたあと、海老名香葉子さんは三平一門のおかみさんとして働き詰めに働いてきた。そして昨年、最後の大仕事である次男いっ平さんの二代目三平襲名披露がつつがなく終了した直後に、左の乳房にがんが見つかった。

江戸の伝統を受け継ぐ「あげ乳」の経験者

海老名香葉子さん

海老名香葉子さんは、本所(現・東京都墨田区)竪川町の水で産湯を使った生粋の江戸っ子である。

江戸っ子というと、喧嘩っ早くてちょっとおっちょこちょいだが、いなせで宵越しの金は持たないきっぷのよさがウリ、というのが通り相場である。しかし、それは男に限ったことだ。女までおっちょこちょいだったら大変なことになる。下町の女房たちは江戸の昔から、いなせを競うのに忙しい亭主の影でたくましく家を支え、お互い助け合って生きてきた。その助け合いを象徴するのが、「あげ乳」「もらい乳」である。

粉ミルクがない時代、赤子が生まれても乳が十分に出ない母親はもらい乳をして育てた。昔は3歳ぐらいまで母乳を与えるのが普通だったので近所をあたれば1人や2人、母乳がたくさん出るお母さんがいて快くオッパイを吸わせてくれたのである。

香葉子さんも、そんな偉大なオッパイの持ち主で「あげ乳」をした経験があった。

「私、若いころはお椀を伏せたような大きなオッパイでお乳もよく出たんです。子供が赤ちゃんのときは銭湯に行くと、まず子供だけ先に洗って着替えさせたあと、自分はサーッと入って、パッと洗って出てくるんですが、体を洗っているとき、前に向かってオッパイからピャーってお乳が勢いよく飛び出して鏡にかかったことがあったくらいです。それだけよく出たんで自分の4人の子供だけでなく、親の乳の出が悪い赤ちゃん4、5人を預かってお乳をあげました。お世話になっているテレビ番組のプロデューサーのお子さんもいたし、親戚の子もいました。長女(海老名みどりさん)のだんな(峰竜太さん)のお兄さんの娘です。近所のおうちの坊やにもあげました。その坊やも、今では立派な紳士ですよ。道で会えば『どうも、おはようございます』って丁寧に挨拶してくださるんだけど、オッパイを吸わせてもらったっていう意識があるようで、いつも会うとちょっと恥ずかしそうな顔をするんですよね(笑)」

神様はなんてことをするんだろう

その香葉子さんに、乳がんが見つかったの2009昨年5月のことだ。

持病の心筋梗塞の治療を受けている病院で懇意にしている医師から人間ドックに入ることを勧められ、左の乳房にしこりがあることがわかった。

「ドックの検査の途中で、先生の部屋に呼ばれたんですよ。『いやー、驚きました。胸にしこりができてる』っておっしゃるんで、『もしかして、がんですか?』って聞いたら『そうかもしれない』って。主人(初代林家三平師匠)はがん(肝がん)で亡くなっていますが、自分はがんにならないと思い込んでいたので、信じられない気持ちでした」

自分ががんにならないと思い込んでいたのは、家系にがんになった人がいないことや、過去に4度も心筋梗塞で入院し、自分が死ぬとしたら、そちらのほうだという思いが強かったためだ。しかし、がんはそんな思いとは関係なく、体をむしばんでいた。

がんができても、それが胃や腸だったら、すぐに受け入れることができたかもしれない。

しかし、がんができたのはこれまでたくさんの人の役に立ってきた自慢のオッパイだった。

「自分の子供4人に飲ませただけでなく、人様の子にもたっぷり飲ませたオッパイじゃないですか。神様はなんてことをするんだろう、と思いました」

左のオッパイのほうが大きいわけ

とくに、しこりができた左のオッパイは内職をしながら子育てに励んだころの思い出がたくさん詰まった大事なオッパイだった。

「私、右と左のオッパイの大きさが違うんです。左のほうが、大きいんですよ。主人が売れっ子になる前は、家で内職をしながら家計を支えていたんです。1番長かったのは、短いテグスが付いた釣り針を小さい台紙の上に揃えて袋に入れる内職でした。その作業は右手を細かく動かすけど、左手は台紙を押さえているだけでいいので、内職をしながらいつも左の腕で長女を抱いて左のオッパイをあげてたんですよ。それも3~4歳まであげていたんで、左のほうが大きくなっちゃったんです。それは左のオッパイが役に立った証明でもあるので、自慢のオッパイだったんですよ。よりによって、そこにがんができたので、はじめは割り切れない気持ちでした」

1つは良性もう1つは悪性

しこりが見つかったあと、香葉子さんはドック入りを勧めてくれた医師から高名な乳がんの専門医N医師を紹介され、N医師が勤務するS病院で詳しい検査を受けた結果、乳がんであることが確定した。2つあったしこりのうち、1つは良性だったが、もう1つは悪性という診断結果が出た。

N医師から告知を受けた際、香葉子さんは「もし、がんがかなり進行しているようでしたら、ハッキリおっしゃってください」とお願いしている。心筋梗塞という大病で死にかけた経験があり、しかも、これまでの人生でやるだけやったという気持ちが強い香葉子さんには、1個人としては死を恐れる気持ちは微塵もない。しかし、香葉子さんは同時に、夫亡き後、三平一門を支えてきたおかみであり、4人の子供がすべて一流の芸人という大家族の扇の要でもある。そういう立場もあるので、かなり進行しているようなら、いろいろやっておくことがあるため、そのようなお願いをしたのだ。

しかし、幸いがんは早期の段階だった。

リンパ節郭清の必要性を判断する有力な手段のセンチネルリンパ節生検の結果も陰性だったため、香葉子さんは乳房温存手術で対応できると言われた。そして、その後、すぐに入院して手術を受けることとなった。


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