乳がんの早期発見は「リレー・フォー・ライフ」参加のおかげ 「乳がんを経験して得たものが大きかった」と語るアグネス・チャンさん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2010年5月
更新:2018年9月

  
アグネス・チャンさん

あぐねす ちゃん
歌手・エッセイスト・教育学博士。香港生まれ。72年、「ひなげしの花」で日本デビュー。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学を卒業。89年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。94年、教育学博士号取得。現在は、目白大学教授、日本ユニセフ大使など知性派タレント、文化人として活躍している。

アグネス・チャンさんにとって仕事と乳がんの治療を両立させることは、たやすいことではなかった。手術の日程の確保からホルモン治療の副作用対策まで、乳がんとの闘いは、苦労の連続だったが、それでも彼女は「がんになって失ったものより、得たもののほうがはるかに大きい」と言い切る。彼女は、がんから何を得たのだろうか。

『リレー・フォー・ライフ』がくれた早期発見の幸運

72年「ひなげしの花」で歌手デビュー。一躍アグネス・ブームを起こした

72年「ひなげしの花」で歌手デビュー。一躍アグネス・ブームを起こした

がんは、何かの幸運で早期発見につながることが少なくない。

07年9月に乳がんが見つかったアグネス・チャンさんは、その典型と言っていいケースだ。

アグネスさんが、右の乳房に小さなジェリービーンのようなしこりがあることに気がついたのは07年9月19日のこと。しこりは4ミリだったというから、見過ごすことの多い大きさだが、彼女はそれに気付き、乳がんではないかと疑った。その4日前に兵庫県芦屋市で開かれた日本対がん協会が主催する啓発イベント『関西リレー・フォー・ライフ』に参加し、がんに対する意識が高まっていたからだ。

「芦屋市で開かれた『リレー・フォー・ライフ』に参加したのは、06年のNHKの番組にゲスト出演した際、番組で第1回の『リレー・フォー・ライフ』の模様が紹介され、がん患者が連帯する姿に共感したからです。それまで、がん検診を受けたこともなかったし、自分の乳房を触ってみたことなんかなかったので『リレー・フォー・ライフ』に参加しなかったら、たぶん大きくなるまで気がつかなかったと思います」

しこりを発見した彼女は産婦人科で診察を受け、そこで紹介されたS病院の乳腺外科で検査を受けた。その結果、9月25日に担当のY医師から早期の乳がんであることを知らされ、手術を勧められた。

まず考えたのは、どこで手術を受けるか、ということだった。

実は彼女は06年に唾液腺腫瘍(良性)が見つかり、香港の病院で手術を受けている。このようなとき、彼女が最も頼りにしているのが内科と小児科の医師である姉のヘレンさんだ。相談したところ、「がんの治療は手術をしておしまいということにはならないから日本で受けたほうがいい」とアドバイスされたので、アグネスさんは日本で手術を受けることにした。

人民大会堂で開催されるコンサートが持つ意味

問題は、入院する時間がとれないことだった。この年は年末までコンサートや講演会、テレビ出演、レコーディングなどのスケジュールがびっしり詰まっていた。とくに彼女が気にかけていたのは、1カ月後の10月31日に中国・北京市の人民大会堂で開催されるコンサートのことだった。これは日中友好35周年を記念して行われるビッグイベントで、絶対に外せないという思いが強かった。

この思いは彼女が日本限定ではなく、広東語文化圏、北京語文化圏をまたにかけたスターであることを考えれば容易に理解できる心情だ。人民大会堂は日本の国会議事堂に相当する国家施設だが、それだけにとどまらず、中華人民共和国を象徴する建造物である。

これまで、クラシックのパヴァロッティやベルリンフィルなどのトップアーティストが公演を行ったことがあるがポップスの世界で単独コンサートを開催するのはアグネスさんが初めてだった。

「やっぱり、人民大会堂のコンサートを成功させたい、という気持ちが強かったですね。たいへん名誉なことですから。それと日本でも10月以降、スケジュールが立て込んでいたので何日も入院することになると大勢の方に迷惑をかけることになりますから、入院するなら年末年始の休みしかないと思ったんです。そんな事情があったので、Y先生に『手術を2、3カ月待てますか』ってお聞きしたんです。そしたら『リンパ節に転移しないうちに切りたいのでそんなに待てません』と言われたので、結局10月頭に予定されていたレコーディングなどを後にずらして10月1日午前中に入院し、その日のうちに手術を受けることにしたんです」

当初は全摘手術を希望

写真:アグネスさん

「手術を受けた10月1日は、ピンクリボンデー(乳がん検診の日)でした。でも残念ながら、入院部屋からはピンクの東京タワーを見ることができませんでした」と話すアグネスさん

手術は乳房温存法で大丈夫と言われていたが、アグネスさんは当初、乳房全摘を希望していた。

「姉のヘレンが日本に来てくれて、Y先生から治療方針の説明を受けるときも一緒についてきてくれたんです。姉は、温存では再発の恐れがあるから、全部切ってしまったほうがいいという意見だったんです。全部切ってしまったほうが再発のリスクが減るし、術後に放射線や化学療法を受けなくてもいいケースが多いのでアメリカや香港では全摘してスッキリしたいという人が増えているようなんですね。Y先生にも『全部切っちゃってください』と言っていましたが、Y先生はそれには反対で『全摘でも、温存でも、転移する率はあまり変わらない』とおっしゃって温存で十分という考えを示したので、姉も納得して、基本的には温存でいくけど、もし手術中少しでも転移の疑いがあった場合は全摘に切り替えるということになったんです」

手術は、入院当日(10月1日)の午後に行われた。病理診断でリンパ節転移が確認されなかったため、予定通り乳房温存手術が行われ、無事終了。

術後は傷跡が痛むので寝返りがうてず、熟睡できない状態がしばらく続いた。それと全身麻酔をした影響で術後、吐き気に悩まされたが、それも2、3日でおさまり、その後の経過は順調だった。

医師同席のもと、病院内で記者会見を開く

退院したのは、10月9日のこと。このとき彼女はY医師同席のもと、S病院内で記者会見を開き、がんの手術を受けたことを公表した。

「姉は公表することに反対だったんです。香港では、有名人はがんになるとイメージダウンにつながるので隠しておくんだそうです。でも、日本と香港ではがんに対する理解が違うと思うし、偏見をなくしたいという気持ちも強かったから、夫や長男と相談して公表することにしたんです」

退院後は、放射線治療を受けることになるが、開始を11月上旬まで延ばしてもらい、3週間ほど仕事に専念した。

「術後は胸がまだ腫れていたので、ステージ衣装が1番問題でした。衣装を着るとき、後ろのファスナーを下げて手術したところを圧迫しないように工夫しました。それと退院して間もない頃は、ステージで歌っているときに手術で切ったところが突然グーンと痛み出して困ったことが何度もありました。手術にともなう痛みは外傷ではなく、神経を切ったような痛さなんで電気が走るような強い痛みが走るんです。でも、ステージでは笑顔で歌わないといけないので痛そうな顔はできません。我慢して歌っていましたが、ひきつった笑顔になっていたと思います(笑)」

国内でのコンサートが終わったあと、アグネスさんは30日に北京に飛んで翌31日、人民大会堂の大ホール(万人礼堂)を埋め尽くした6千人を超すファンの前で熱唱。中国側でも、大いに注目されたこの大イベントを成功させた。


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