子宮頸部腺がんを体験したことで、人のありがたみがよくわかった 予後の悪いがんを乗り越え、舞台に立った 女優・三原じゅん子さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2010年3月
更新:2018年9月

  
三原じゅん子さん

みはら じゅんこ
1964年9月13日生まれ、東京都出身。1979年、『3年B組金八先生』に出演し、人気に。1980年、歌手デビュー。デビューシングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超えるヒットとなる。1982年、NHK紅白歌合戦に出場。1984年、本名の「三原順子」から現在の「三原じゅん子」へ芸名を改める。

「軽いがん」子宮頸がんではなく、「予後の悪い」子宮頸部腺がんと診断され、子宮の全摘手術を受ける必要があるとわかったとき、三原さんは手術を優先するか、大事な舞台の仕事を優先するかで迷った。その仕事とは、人気テレビドラマ『3年B組金八先生』共演以来の恩師、武田鉄矢さんが主演・脚本を務める長丁場の舞台だったからだ。

どんどん悪くなる検査結果

がんははじめ簡単に治ると言われていたのに、詳しく調べてみたところ、実は悪性度の高いタイプだとわかり、大掛かりな手術を受けることになるケースはよくある。

三原じゅん子さんは、その典型的なケースと言っていい。

子宮頸がんが見つかるきっかけになったのは、2008年3月に受けた人間ドックだった。

人間ドックの数日後、三原さんのもとに病院から電話が入り、「子宮の検査で引っかかったので、大きな病院で精密検査を受けるように」と言われた。 「人間ドックに子宮頸がんの検査も含まれていたので、『私、がんなんですか?』って訊いたんです。そしたら、『細胞の検査で、がんではないけれども、正常でもない、擬陽性という結果が出ているので、詳しい検査を受ける必要があるんです』というお話でした」

三原さんは、都内の総合病院で精密検査を受けた。

結果は、高度異形成。これは子宮頸がんになる手前の状態、前がん段階を意味する。

しかし、担当の若い医師から「がんの初期である上皮内がんに移行している疑いもあるので子宮頸部(子宮の入り口)の円錐切除術を受けるように」と勧められた。

円錐切除術とは子宮の入り口(頸部)を円錐形に切り取る手術で、病変の程度や広がりを調べる診断目的と、治療目的を兼ねて行われる。仮に上皮内がんの段階に進んでいたとしても円錐切除術で患部を取り除けるため、子宮頸部の前がん病変、頸がん初期病変の多くの場合、これで治療が完了する。 三原さんは医師の説明に納得し、円錐切除術による手術を受けた。

「このときは、検査手術というイメージでした。お医者さんは、『たぶんこれで大丈夫だと思うけど、予想以上に広がっている場合もあるので切除した部分を顕微鏡で調べるんです』という言い方でしたから」

子宮を失うことに強い抵抗感

それから2週間ほどして三原さんは結果を知らされ、愕然とした。

がんの段階に進んでいるばかりでなく、子宮頸がんの中でも予後の悪い腺がんであることを告げられたのだ。

そのうえで、医師はなるべく早い時期に子宮の全摘手術を受けるように勧めた。子宮頸部腺がんは子宮頸がん全体の15~20パーセント程度で、多数を占める扁平上皮がんに比べ、転移が起きやすい。医師が、早めに手術を受けるようにと勧めたのはそのためだ。

「最悪の結果でした。悪い結果が出る場合もありうるとは思っていましたが、そこまでいくなんて思ってもみなかったですから、ショックもショック。落ち込みました。自分の想定よりずっと悪くなっている感じがあったので、一瞬、死ぬんじゃないかと思ったりもしました。それと、子宮を失うことにも強い抵抗感がありました。半年くらい前に離婚していましたから〔前年10月にタレントのハッピハッピー。(元コアラ)さんと離婚〕、子供がどうこうという状況ではなかったんですが、やっぱり女ですから」

セカンドオピニオンを受けるが……

子宮全摘を何とか避けたいという思いでいっぱいだった三原さんは、他の病院でセカンドオピニオン()を受けることにした。「子宮を取らなくてもいい」と言う医師がいるのではないか、と考えたのだ。

しかし、彼女はセカンドオピニオンを受けに行ったがん専門病院で、そのような選択肢はどこにもないことを思い知らされる。

「その病院では医師が診察や説明に十分時間をとれないせいか、『卵巣もリンパも取ったほうがいいです』と機械的に言われました。『卵巣まで取らないとダメですか?』と訊いても、『残せって言えば残すこともできるけどリスクありますよ』って突き放した言い方をするんです」

医師にそう言われた三原さんは、子宮を失うことは避けられないと思った。しかし、同時にいくら治療実績のあるがん専門病院でもこの医師に命は預けられないとも思った。

「私を含め、患者はみんな不安でいっぱいになりながら来ているんですよ。ですから、人の感情というものをまったく考えない言い方をされるとつらいです。私は8月に名古屋で大事な舞台のお仕事があったので、そのことをお伝えして、『手術を9月にすることは可能か』と訊いたんですが、それにも何を考えているんだという感じで、『命があるだけ有り難いと思ってください』とピシャリと言われちゃったんで、これはダメだと思って他の病院をあたることにしたんです」

セカンドオピニオン=「第2の意見」として病状や治療法について、担当医以外の医師の意見を聞いて参考にすること

漁ったネット情報でますます落ち込む

頼れる医師にめぐり会えないでいたこの時期、三原さんはインターネットで子宮頸部腺がんに関する情報を漁った。しかし、それはプラス面ばかりではなかった。

「最初は腺がん? それ何? っていう感じで、インターネットでいろいろ調べました。すると、進行が早いとか、悪性度が高いとか、転移しやすいとか、放射線が効きにくいとか、ネガティブなことばかり書いてある。だから、読めば読むほど落ち込んでいくんです。なんでインターネットというものがあるの! って思ったくらいです」

恩師の舞台に間に合うよう手術の日程を組む

写真:三原さん

「特別な先生の舞台に穴を開けるくらいなら、自分の命と引きかえに出ようと思っていました」と三原さん

そのあと三原さんが尋ねたのは、腺がん仲間に紹介されたS病院だった。ここを尋ねてT医師の診察を受けた三原さんは、ようやくこの人になら任せられるという気持ちになった。

T医師も子宮全摘は避けられないという見解だったが、赤ちゃんに対する望みを残しておきたいという三原さんの気持ちを理解し、卵巣は残すことを約束してくれた。それ以上に、有り難かったのは、8月2日から24日まで名古屋御園座で行われる舞台公演がどれだけ女優三原じゅん子にとって大事な仕事かを理解し、1週間前に始まる舞台稽古にも間に合うように手術と入院の日程を組んでくれたことだった。

その舞台というのは、「3年B組金八先生」時代からの恩師である武田鉄矢さんが座長となって主演する『母に捧げるラストバラード』だった。武田さんとの緊密な師弟関係を考えれば、どんなことがあっても穴を開けられない仕事だった。

「手術はできるだけ早い時期に、とお願いをしました。そしたら、手術日を7月4日に設定してくださったんです。『たいへんだけど、どんなことも乗り越えられますか』って言われたので、『はい』とお答えしました」


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