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自分の命よりも、赤ちゃんを失った喪失感のほうがはるかに大きかった
どん底の私を救ってくれた最愛の夫からの25個のケーキ

取材・文:吉田健城
撮影:明田和也
(2010年1月)

向井亜紀さん

向井 亜紀 むかい あき
1964年11月3日、埼玉県に生まれる。日本女子大学在学中に、ラジオのパーソナリティとしてデビュー。以後、ドラマ、司会などで幅広く活躍。94年1月、プロレスラーの高田延彦さん()と結婚。著書に『16週』(扶桑社)などがある


高田延彦さんの「高」は、正しくは「はしごだか」です。

親しい女医からの貴重なアドバイス

向井さんにがんが見つかったのは00年9月、都内の産婦人科クリニックで妊娠の確認と同時に行われた、子宮がんの検査からだった。

ここから絶望と希望の間をめまぐるしく往き来する、長い試練の日々が始まることになる。

告知後、向井さんはすぐに都内の大学病院を訪ね、診察を受けるが大きな不安に襲われる。

応対した医師が、カーテンの向こうで実習医たちと「この大きさじゃあ、無理だよなあ」と話すのを聞いたからだ。

「あとから考えれば妊娠継続が無理なのではなく、子宮の入り口のところをレーザーで円錐形に切り取るだけでは難しいという意味でおっしゃったと思うんですが、そのときの私は頭の中が赤ちゃんを守れるかどうかでいっぱいでしたから、もう絶望で胸が張り裂けそうでした。あとから説明がなされたとはいえ、不安でいっぱいの患者の前で実習医に治療方針を話すデリカシーのなさにはなじめなかったので、セカンドオピニオン(第2の意見)をとることに決めました」

向井さんが相談したのは、知り合いの女医Uさんだった。Uさんは、麻酔科医で高田道場のリングドクターも勤めていた。

そのときUさんは海外に留学中だったが、電話で事情を聞くと信頼できる医師を主治医に選ぶことの重要性を強調し、以前勤務していた大学病院のK医師を訪ねるように言った。

「Uさんは以前卵巣膿腫で手術を受けているんですが、卵巣を取らないという約束だったのに、手術が終わったら、(卵巣が)1つは残ったけど、1つは取られていて医者不信に陥ってしまい、退院するときは心療内科から出てきたという経験をお持ちでした。ですから、病院の医師仲間から、腕もよくて人柄も誠実と高く評価されていたK先生を紹介してくれたんです」

実際に会ってみると、説明に時間をかける温和で安心感を与えてくれる医師だった。

ひと通り診察と検査が終わったあと、K医師から、『細胞診の結果、5段階中のクラス5(がん)。ただ、進行度はたぶん0期ないしは1期前半の段階なので、まず円錐切除術を行って患部を除去し、あとは病理検査の結果を見て対応を決めたい』との治療方針が示され、納得した向井さんは入院の手続きをとった。

出産――。
可能と不可能の境界線

写真:エコーに映し出された子宮と赤ちゃん
エコーに映し出された子宮と赤ちゃん

円錐切除術は、子宮の入り口の部分を円錐状に切り取る手術で、通常は妊娠の継続は可能。

妊娠を何よりも望んでいた向井さんは退院したら、また赤ちゃんを産む態勢に戻ることができると思い、ウキウキした気分になっていた。しかし、そんな気分に浸ることができたのは3日間のみ。K医師からの電話で、聞きたくなかった事実を知らされる。検査の結果、がんが取りきれていなかったのだ。がんの大きさは3.7センチもあり、ステージ(病期)は1a期ではなく、1b期に入っていた。1b期に入ってしまうと、通常、残された選択は子宮摘出。

それでも赤ちゃんを諦めきれない向井さんは、K医師にどうしても子供を産みたい心情を訴え、子宮全摘ではなく、別の方法で対処してくれるよう訴えた。

それに対し、K医師は病巣の広がりや浸潤の深さから取りきれないリスクが高いことを説明。子宮全摘手術を受けるように勧めていたが、最終的には向井さんの熱い思いを汲み、再度円錐切除術を行って子宮頸部を妊娠継続が可能なライン、ギリギリまで切除し、取りきれたかどうかは細胞診の結果で判断することになった。

しかし、結果はまたしても願いとは逆に出てしまった。

リンパに転移していたことより、喪失感のほうが大きかった

こうなると待ったなしで子宮全摘術になるのだが、出産を諦めきれない向井さんは出産を終えるまで待ってから子宮を切除するという選択もあるのではないかとK医師に迫った。しかしK医師は時間をかけて、それができない理由を説明し、最終的には向井さんも手術に同意した。

「私のがんのタイプは1箇所に留まるタイプではなく、ポツンポツンと周囲に飛んで広がっていくタイプなんだそうです。妊娠30週まで待って出産してからだと周囲のリンパ節に転移して命に関わるので(手術は)一刻も早いほうがいいと言われました」

しかし、向井さんは手術に同意するにあたり、1つ条件をつけた。それは、卵巣を残すことである。卵巣を残すことにこだわったのは、卵巣さえあれば代理出産という方法を選択できるという思いがあったからだ。

手術は11月21日に行われ、子宮と子宮周辺にあるリンパ節を切除し、無事終了した。卵巣は手術中に行った迅速病理診断でがんが見つからなかったので、2つとも温存できた。しかし手術の2週間後、K医師から病理検査で切除した68個のリンパ節の1つからがん細胞が見つかったことを知らされる。

「K先生からは出産してから手術をしていたら、がん転移のスピードが速いので、あと半年の命だったかもしれないと言われました。でも、私の中では自分のことより、赤ちゃんを失った喪失感のほうがはるかに大きかった。抗がん剤と放射線による治療が始まると告げられても、それに対する恐怖感は一切ありませんでした」

退院後、すぐ感染症にかかり、再び入院

放射線治療は、術後まもなく始まった。さらに手術からひと月ほどたったクリスマスの頃、シスプラチン(一般名)という抗がん剤の投与も開始された。

「抗がん剤治療の間は、吐き気止めによる眠気がすごくて朦朧としていました。副作用は、予想していたほどひどくなかったです。しばらく下痢に苦しめられることはありましたが吐き気は薬で抑えられましたし、髪の毛も抜けませんでした」

向井さんは退院後、すぐに仕事に復帰した。レギュラー番組をいくつも抱える身としては、これ以上まわりに迷惑をかけられないという気持ちだった。それに加え、子供を産めなかったことで心にあいた大きな穴を仕事に没頭することで埋めたいという思いもあった。しかし、これはあまりにも性急な復帰だった。放射線、抗がん剤治療で体の抵抗力は大きく低下していたうえ、向井さんの場合、妊娠の影響もあって、リンパの活動が活発だったため、リンパ液の量が人よりはるかに多く、それによってお腹はパンパンに膨らみ、右脚にもひどいむくみが出ていた。そんな体では、無理をしようとしてもできるものではない。

退院からわずか数日後に感染症にかかり、再入院となる。


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