怖い、逃げたい、戻りたい…。現実を受け入れて闘い、復帰へ 人気アイドル・吉井 怜さんを襲った「白血病」という運命の悪戯

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
(2009年9月)

  
吉井怜さん
よしい れい
女優。ホリ・エージェンシー所属。1982年3月18日生まれ。身長155cm。東京都出身。2009年4月開始の昼ドラ「エゴイスト」(東海テレビ)では、川島なお美演じるトップ女優の隠し子を熱演。著書に『神様、何するの…』(幻冬舎、現在幻冬舎文庫)がある。最新写真集は『S/M Rei Yoshii』(ワニブックス)
公式ブログ「Aquamarin18」

がんという病気は、人生のいちばん意地悪なタイミングで人を蝕む。吉井怜さんも、その1人だ。大きな仕事がどんどん決まり、トップアイドルの座に踊り出ようとしていたまさにそのとき、急性骨髄性白血病を発症した。

「待っている」と言った専務の一言で気持ちが楽になった

写真:16歳の吉井さん
写真集『レイ』(ワニブックス、撮影・井ノ元浩二)より 16歳の吉井さん

96年にTVデビューを果たした吉井怜さんは、2年後の98年に特撮番組「仮面天使ロゼッタ」のヒロイン役を掴みとり、一躍大ブレイクする。

アイドルとして順風満帆だった00年7月、グラビア・カレンダーの撮影で奄美大島に滞在していたとき、彼女は突然40度を超す高熱を発して島の総合病院に担ぎ込まれた。

そこで応急処置を受けて熱は少し下がったが、帰京後にまた高熱がぶり返したため、横浜市内の総合病院で診てもらったところ、即入院となった。

検査が終わったあと、主治医は両親にだけ本当の病名「急性骨髄性白血病」を知らせたが、彼女には「骨髄不全症から来る再生不良性貧血」のため、3カ月くらい入院することになるだろうと告げた。

「3カ月の入院と聞いて、ずっと涙が止まりませんでした。8月は、CMの撮影とかゴールデンタイムの特番の司会とか大きな仕事がたくさん入っていたんです。それが、全部キャンセルになる。こんないい仕事を全部キャンセルしたら、もう仕事は来なくなるだろうし、事務所にも見捨てられるに違いないと思いました」

それだけでも大変なショックなのに、主治医から、さらに翌週から点滴治療(実際は抗がん剤投与)が始まると薬の副作用で髪の毛が全部抜け落ち、爪も黒く変色すると聞かされ、絶望的な気持ちになる。

「3カ月後に退院できたとしても、髪が元の長さに戻るまで時間がかかるから、すぐに復帰はできない。引退するしかないのかと思い、落ち込みました」

打ちひしがれていた彼女に、立ち直るきっかけを与えてくれたのは事務所の専務(現社長)の一言だった。

「事務所にすごく迷惑をかけたので、このままクビになっても仕方がないと思っていたんですが、それを口にすると専務が『そんなこと心配するな。今は病気を治すことだけ考えろ。待っているから』と言ってくれて、頑張ろうと思えました。これで仕事に早く戻りたいという意欲が湧いてきたから、そのあとの5カ月も頑張り続けることができたんです」

ほかの子がやっている自分の仕事を見るのがつらかった

入院から1週間後、点滴治療(実際は抗がん剤治療)が始まった。

それと同時に、一般病棟から無菌室に移された。

ガラスで仕切られた狭い空間での闘病生活は、たいへんつらかった。

「1回目の投与で髪が抜け落ちてしまい、爪も黒くなりました。それと、体がものすごく重かったですね。はじめの頃は、高熱がずっと続いていて、解熱剤を服用していたこともあって、1日中ほとんど寝ている感じでした。ただ、お薬との相性は悪くなかったようで凄い吐き気に悩まされるようなことはなく、ご飯はちゃんと食べていました」

無菌室に入るのは抗がん剤投与によって白血球値が下がり、感染症に対する抵抗力がなくなるためだ。

そのため患者は外に出られないうえ、外部の人間と直接接触することもできなくなる。

無菌室に入室できるのは医師と看護師だけで、毎日病院に来てくれるお母さんでさえ、中に入ることは許されず、コミュニケーションはガラス越しにインターフォンを通じてとる。

このような完全隔離生活は、精神的にもかなりつらいものになった。

「精神的には『閉じ込められている感』というか、みんなと遮断されている感じがつらかったです。それでも高熱が続いていたはじめのうちは解熱剤の副作用で意識が朦朧としていたから、つらいと考える余裕もなかったんですが、その段階が終わり、体調が少し安定すると狭い部屋に閉じ込められていることが耐えがたくなってきました。それと、テレビを見ていて、自分がやるはずだった仕事をほかの子がやっているのを見るのもつらかったですね。私の代わりに出ている子にどうのこうのという気持ちではなく、そこに自分がいられなかったことが悔しかったんです。こうしたことが重なって、無菌室の中では、感情をコントロールできなくなって、いつも苛立っていました」

苛立ちや不安はどこかに吐き出さないと、精神は壊れてしまう。

彼女の場合、そのはけ口になってくれたのは、お母さんだった。

「イライラした感情を、母にぶつけていました。申し訳ないくらい、あたってしまった。先生やナースの前では、比較的いい子で、(病気のことも)冷静に質問して冷静に聞く……という感じだったんですが、その分、ストレスが全部母のほうに向かっていたんだと思います」

告知のタイミングを見計らってくれた主治医に感謝

彼女が本当の病名を知らされたのは、入院からひと月ほどたった頃だった。

1回目の抗がん剤投与が終わり、休薬期間に入って体力が回復してきたところで主治医は白血病という本当の病名を告げた。

「入院したての頃は仕事を全部キャンセルし、長期入院になったショックで精神的に参っていましたから、白血病という本当の病名を最初に知らされていたら、思考回路がすべて停止したと思います。不治の病というイメージが、あまりにも強かったですからね。どうしていいかわからなくて、暴れていたかもしれません。主治医の先生は私の精神状態を見て、今は無理だと判断して告知するベストタイミングを見計らっていたんです。そういう配慮をしてくださったことに、本当に感謝しています」

「もう芸能界に戻れない」という恐怖心との闘い

急性骨髄性白血病の治療は、骨髄の中の白血球細胞が5パーセント以下になる「完全寛解」の状態にすることを目的に行われるが、1回の抗がん剤投与で5パーセント以下になっても、投与をやめてしまうとまたすぐに白血球細胞が増加するので、残存している白血病細胞を叩く目的の抗がん剤投与を行って再発を防ぐ。

そのため結局抗がん剤投与を4回受けることになり、退院まで5カ月かかった。しかも、この退院で、闘病が終わったわけではなかった。

急性骨髄性白血病にはM0からM7まで8つのタイプがあるが、彼女のタイプはM5(単球性白血病)という再発率の高いタイプだった。

退院時、主治医は彼女にそのことを説明した上で、退院後の治療法として、寛解維持療法と骨髄移植の2つの選択肢があることを伝えた。

寛解維持療法は引き続き、抗がん剤を定期的に投与して再発を抑える治療法だ。

よい点は、抗がん剤投与を行う6回の短期入院以外は自宅で生活できることで、抵抗力が回復しているときは外出も可能。

デメリットは再発リスクが高いことで、M5タイプは5年生存率が30パーセントという低い数字だった。

それに対し、骨髄移植は根治が望めるものの、再度3カ月ほど入院して抗がん剤と放射線による過酷な治療を受けなくてはならない。それに、骨髄移植は受けたいと思ってもHLA(白血球の型)が一致するドナー(臓器・骨髄の提供者)が見つからなければ受けることができない。

主治医は検査でお母さんと彼女のHLAが完全に一致することが確認されたことを伝え、彼女に骨髄移植を勧めた。

しかし、彼女は寛解維持療法を選択した。

「骨髄移植を選択すれば、もう1度無菌室に閉じ込められて長期間つらい入院生活を送ることになる。そうなれば、もう芸能界に戻れないと思ったのと、移植そのものに対する恐怖心もありました。髪もせっかくショートになってきたのに移植を受ければ抗がん剤の副作用でまた髪が抜け落ちるし、移植に伴う合併症で外見が変わってしまうかもしれないことが怖かったんです」


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